第3話 きよこの娘と藤堂牧師の娘の思いがけない自殺
きよこが還暦の直前、なんとせいなは、ミュージカル公演の前日に、講演先のホテルでなぞの飛び降り自殺を図ったというニュースが飛び込んできた。
この悲劇は、きよこのディナーショーの直後に知らされたことである。
きよこはもちろん、信じられなかった。
私を勇気づけるための、嘘、ジョークでしょうと一笑した。
なぜなら、ミュージカル劇場の華やかでステージで、主役として活躍し、二年後までスケジュールが埋まっている筈のせいなが、自殺する理由などどこにもない。
第一、きよことせいなは、親子愛を超えた親友だったはずじゃないか。
しかし、せいなの自殺がまぎれもない事実だったとわかった途端、きよこは大スターのプライドから、卒倒するのをかろうじてこらえていた。
気が付くと、足がすくみ一歩も歩く気力さえなくなっていた。
藤堂牧師は、念願かなって神学校を卒業した後、牧師の按手を受け、自らの故郷である関東地方に「罪人寄り添いイエス教会」をおこし、自ら牧師となって牧会を行っていた。
最初は信者は誰も来なかった。
半ば絶望的になっても、藤堂牧師は祈ることをやめなかった。
すると、不思議なことが次から次へと起こった。
一人、二人と信者が増え、またブログで公開すると、それを見ていた知らぬクリスチャンから宅配で聖書が届いたりした。
宅配で聖書が届いた前日である配達依頼日には、藤堂牧師は神に祈っている最中だった。
このことは、単なる偶然とは思えない。
もしかして、最初から神は聖書が必要であるということを、ご存じだったに違いない。
神に祈った時点から、思いもよらない人から聖書を用意して下さっていたのである。
なかには、元反社の信者から無理難題を言われることもあった。
藤堂牧師は、最初はガマンしていたが
「俺の女に金を工面してくれ」と言われたときは、思わず切れそうになったが、なんとかガマンした。
しかしそのこともイエスキリストに祈っていると、気分が平静になり、また相手からも無理難題を言われなくなった。
罪人寄り添い教会をおこしてから十年後には、信者が十人を超えようとしていた。
のちに、テレビ出演を果たし、藤堂牧師が表紙になっている著書も出版するほどの有名人となっていった。
罪人寄り添い教会には、現役の反社もきていたが、そのことは予め、警察の許可をもらっているので、問題をおこすことはなかった。
もちろん、藤堂牧師が元反社であることを批判したり、ネットいじめもあったが、それも祈りによって解決していった。
さあ、これからだと思っている矢先、二十歳になったばかりの一人娘ゆきえが練炭自殺をはかるという悲劇に見舞われた。
藤堂氏と顔立ちが似ている、アイドルに勝るとも劣らない容姿のかけがえのない一人娘ゆきえ。
養育費を渡そうとすると、元妻から「反社からもらった汚い金など受け取れない」と拒否されたが、娘のことは忘れたことはなかった。
なぜ、自殺などという道を選んだのか。
統合失調症の傾向はあったが、進学校を卒業したときには、一緒に旅行にもいった仲であり、藤堂氏の牧会する「罪人寄り添いイエス教会」の礼拝にも参加して、信者ともなじめた筈なのに。
不思議としか言いようがなかった。
自殺の原因は、本人しかわからない。
誰のせいでもなければ、周りの環境のせいでもない。
一見、恵まれないようにみえる人でも、精一杯与えられた命を生きている人もいる。
借金だらけで家族に見放されたホームレスでも、酒におぼれながらも生きているケースは後を絶たない。
日本は先進国であるが、なぜか若者の自殺が多い。
一見環境に恵まれている金持ちの秀才が、殺人を犯すように、自殺も本人が選んだ道であろう。
人の悩みは、健康、金銭、人間関係だという。
しかしそれらがすべて揃っているようにみえる、恵まれた才能をもち、環境にも恵まれている人が自殺を図るケースもある。
難病もちで、大借金を抱え、世界中を敵に回しているような人でも、たくましく生き抜いている人もいる。
藤堂牧師も丸井きよこも、お互い過去も現在も全く違う。
元反社と元大スターでありビッグアイドル。
あまり家庭には恵まれず、非行に走った藤堂牧師と、両親の深い愛を一身に受けてすくすくと育ち、カトリックの女子高では女神という立場に選ばれた丸井きよこ。
いわば別世界に住み、異次元の世界に生きる者であった。
どんなに住む世界が違っていても、我が子が自殺したときの悲しみの深さと、親である自分が至らなかったのではないかというふがいなさは、同質のものだった。
特に丸井きよこは、せいなの実母だけあり、まるで身体の半分を切り取られたような痛みと、狂うほどの悲しみと喪失感に憔悴してしまって、歌えなくなってしまった。
きよこの歌声は、いつも陽の光が差したように明るく、無邪気で、未来への希望に満ちていた。
まるで太陽に向かってまっすぐ伸びる、白い花を連想させるようだった。
命の半分をなくしてしまった今、歌うことなど到底できない。
決定していた紅白歌合戦も辞退、翌年のコンサートもキャンセルしてしまった。
仕事第一だったきよこが、このような事態になってしまうとは、誰も予想しなかったにちがいない。
きよこは、冷たくなった娘せいなの遺体に追いすがり、頬ずりをしながら「せいな、せいな」と叫びながら二十時間、精魂尽き果てるまで泣き続けた。
しかしさすがは大スターきよこである。
プライドを守るために、報道には気丈に応じたが、その後は歌えなくなり、ひきこもる日々が続いた。
きよこはいつも、愛情と未来への希望を込めて歌っていた。
きよこにとって、歌は人生でなくてはならない酸素のようなものであり、日常では演歌を口ずさむこともあったが、元夫まさしは、それを快く聞いてくれた。
しかし、命の半分ともいえるせいなを失った今、歌えなくなってしまったのだった。
そんなとき、機械音痴のきよこが、初めて勉強したネットの自殺タグで藤堂牧師の娘の自殺を知ったのだった。
この人は、私と同じ心の傷を持っているに違いない。
藤堂牧師の牧会する教会「罪人寄り添いイエスキリスト教会」に訪れてみる気になった。
きよこにとってキリスト教は、故郷の高校一年まで通っていた、キリスト教の女子高校以来だった。
きよこにとって、一人で遠出をすることは勇気を必要とする大きな冒険であった。
都心の外れにある罪人寄り添いイエス教会は、二十人くらいの信者が集まっていた。
なかには、一見した強面の中年男性、格闘技でもしていそうな体格のいい若い男性、とうもろこし色の髪をしたヤンキー風の女性や、水商売風の女性もいた。
勧められるままに、讃美歌を歌い、藤堂牧師の説教を聞き、主の祈りを唱えた。
「主の祈り」
天にまします我らの父よ
願わくは御名をあがめさせたまえ
御国を来らせたまえ
御心が天になす如く 地にもなさせたまえ
我らの日用の糧を今日も与えたまえ
我らに罪を犯す者を我らが赦す如く 我らの罪をも赦したまえ
我らを試みに合せず 悪より救い出したまえ
国と力と栄とは限りなく汝のものなればなり
アーメン
きよこは、神に手を合わせて祈ると、なんとなく自分の悲しみと喪失感が薄れて行くような気がした。
礼拝が終わったあと、藤堂牧師は教会員にきよこを紹介した。
「もうすでに重々ご存じの方もいらっしゃいますが、この方は、二年前までメディアで大活躍していた丸井きよこさんです。
ある事件が原因で、皆さんと同じように、精神的な悩みを抱えていますので、そっとしておいて下さい」
化粧もせず、地味なグレーのスーツを着たきよこは、立ち上がって会衆に深々と頭を下げた。
その姿は、もうテレビに出演していたような華やかさは薄れ、ごく平凡なOLのような感じさえした。
「只今、ご紹介にあずかりました丸井きよこです。
初めて礼拝に参加させて頂くことを、光栄に思っています。
どうか皆さん、私の中学時代のあだ名であったきーよと呼んで下さい」
会衆はこの信じられない光景を、目を丸くしてまじまじときよこを見つめたが、それ以上のことはなかった。
会衆のなかには、それぞれ人に触れられたくない過去をもった人も何人か存在していて、なかには本名を名乗らずに、ニックネームで呼ばれている人もいた。
きよこはそそくさと帰ろうとしたが、藤堂牧師の勧めで、礼拝後の茶話会に参加することになった。
きよこは自ら持参したおかきの袋を、一人ずつ差し出した。
「きーよから頂いたおかき、とっても美味しいです」
さっそく、きーよと気さくに呼んでくれる十八歳くらいの舌ったらずの少女がいた。
きよこは、カトリックの女子高時代に戻ったみたいで、なんだかほっとしたような気分だった。
藤堂牧師は、少女にすかさず言った。
「かおるちゃん、お帰りなさい。一年間よく我慢したね」
なんだか、意味あり気な言葉だった。
後からわかったことだが、かおると呼ばれた少女は、ドラッグが原因で医療少年院に送致されていたという。
かおると呼ばれた少女は、藤堂牧師に
「来週、私の打ち明け話、医療少年院出であることを、公表させて頂きます。
隠していたって、いずれバレてしまうことですから。
フラッシュバックもないとはいえないので、ご理解のほどよろしくお願いします」
藤堂牧師は、真摯に発言した。
「確かに今のかおるちゃんは、神によって守られている。
あとは努力して一般人と同じように、振る舞い、生活しなければならない。
私も含めてそうだったが、これは氷山を登るような努力が必要だよ。
少し油断すれば、たちまち転がり落ちて元のドラッグ中毒へと戻ってしまう。
努力しない人は嫌いよ」
きよこは、藤堂牧師の発した「嫌い」という言葉を、愛の厳しさと解釈した。
もう決して元のドラッグ中毒には、戻ってほしくない。
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