第2話 元アイドル丸井きよこの結婚

 藤堂氏は、刑務所に入る前から、当時つきあっていた女性から渡された聖書だけが唯一の救いだった。

 刑務所のなかでの楽しみは、読書であるが、幸い、時間があるので読書は思い存分できる。

 聖書は神の霊感によって書かれたものなので、なんとなく惹きつけられるものがあった。

 読み進めていくと、ある御言葉に釘付けになった。

「しかし、たとえ罪を犯した者であっても、自分の犯した罪を離れ、私のすべての律法を守り、公正と正義を行うなら、死ぬことはなく、必ず生きる」

(エゼキエル18:21)


 そうだ、俺は生きていきたいんだ。

 しかし、刑務所を出所したとしても、行き場は用意されているだろうか。

 学歴、職歴、小指のない俺を、受け入れてくれるところなどあるのだろうか。

 あるのは、前科、刺青、覚醒剤歴という、障害物だけじゃないか。

 はなはだ疑問だった。


「彼が犯した過去の罪はすべて忘れられ、正しい生活によって生きるようになる。

 主である神は仰せられる。

 私(神)はたとえ、罪を犯した者であっても、その人が死ぬことを喜ぶだろうか。

 彼が悔い改めて、生きるようになることを喜ぶ」(エゼキエル18:22-23)


 藤堂氏は、この聖書の御言葉を信じ、その言葉通り生きようと決心した。

 このことは、まるで反社時代、親分の言いつけ絶対ということと同じように、みじんも疑うことなく、この御言葉を信じ実行しようとした。

 藤堂氏は、嘘偽りの多い世界にいたので、嘘かまことかを見分ける洞察力は身につけているつもりだった。

 嘘というのは、相手にとって都合のいい、耳障りのよい言葉で誘い込むケースが多い。

 聖書の御言葉は、人間の都合で書かれているのではなく、神の霊感によって書かれているので、時代を越えたものがあり、決して時代遅れではない。

 そうか、過去は変えられないが、未来は変えることはできる。

 俺は、悔い改めて生きるようになれば、神も味方をしてくれるだろう。

 藤堂氏は、この御言葉を支えに生きていこうと決めた。


 一方、丸井きよこはアイドルからの脱皮を図ろうとしている最中、映画で共演した俳優まさしと結婚した。

 まさしは、最初からきよこを好みのタイプではなかったという。

 飛行機のなかで話しかけてくるきよこを、なんてうるさい女の子なんだろうと思い、半分無視したという。

 しかし、海外でのロケの最中、きよこがお腹を下したとき、つきっきりで看病してくれた上、厳しい金言まで与えてくれた。

「こういう場合、一般人だと自分で薬屋へ行くだろう。

 まあ、ここは海外だという例外もあるかもしれない。

 しかし、君はいつもマネージャーや付き人に囲まれて、自分では何もしようとはしない。こんなことじゃあ、将来どう生きていくんだ」

 きよこは、本心を口にした。

「実は私もそう思っていたんです」

 まさしのつきっきりの看病のおかげで、幸い健康を取り戻した。

 きよこは、芸能界に入ってこんなに信頼できる人に出会ったのは初めてだった。

 まさしは、きよこを甘やかすことはなかった。

 それどころか、レストランに行ったとき

「君は元々、イモ娘なんだから、ビシソワーズというじゃがいものスープが似合うよ。食事も人生の楽しみのひとつ。残さずに食べなさい」

 まもなく、まさしはきよこをプロポーズし、盛大な結婚式をあげ、マスコミから注目を浴びることになった。

 マスコミの意図とは違い、意外と(?)きよこは母親仕込みの料理上手だった。

 きよこのつくるいりこの入った味噌汁を、まさしは「こんなに美味しいみそ汁は初めてだ」だと舌鼓を打っておかわりしてくれた。

 きよこは家にいて、まさしの帰りを待ち、まさしがリクエストする和洋中の料理をつくった。

 まさしは、きよこの料理を完食したおかげで、太ってしまったほどである。 

 しかし、まさしのお気に入りのセーターを、アイロンでこがしてしまったという失敗もあったが、二人は仲睦まじい夫婦であり、結婚した翌年、娘せいなが誕生した。このことはマスコミに絶好のチャンスを与えたようなものだった。


 マスコミはきよこの娘せいなを常に、注目していた。

 小学校の運動会にまで訪れ、平気でカメラを向けた。

 せいなはこのままでは、私と同じ、マスコミの絶好の餌食にされてしまう。

 せいなは私の命半分である。

 どんなことがあっても、せいなだけは守り抜くという堅い覚悟を決めていた。

 せいなに対するマスコミ攻撃からの危惧感から、単身でアメリカに旅立ち、きよこにとっては、新しいジャンルであるジャズを勉強し始めた。

 夫まさしは、そんなきよこを包容力をもって見守ってくれた。


 覚醒剤売買に失敗したどころか、自ら覚醒剤中毒になってしまった藤堂氏は、とうとう所属していた反社の組を破門になった。

 使えない奴、金にならない奴は反社には用がない。

 組長代行にまで昇りつめた藤堂氏にとっては、まるではしごを外されたようなものだった。

 これからどう生きていったらいいのか?

 いや、そもそも自分の居場所など本当にあるのだろうか?

 見当もつかなかったが、元反社から牧師になったという、稀有な経歴をもった人物を頼り、その牧師の教会の離れ部屋に住み込み、クリスチャンを目指して神学を勉強し始めた。

 そんな仲間の一人には、藤堂氏と同様に、反社の組は違っていたが、牧師になった男性もいたほどである。

 朝、起床してまずすることは神に対する祈りである。

    「主の祈り」

 天にまします我らの父よ

 願わくは御名をあがめさせたまえ

 御国を来らせたまえ

 御心が天になす如く 地にもなさせたまえ

 我らの日用の糧を今日も与えたまえ

 我らに罪を犯す者を我らが赦す如く 我らの罪をも赦したまえ

 我らを試みに合せず 悪より救い出したまえ

 国と力と栄とは限りなく汝のものなればなり

 アーメン


 藤堂氏は、今までは反社親分に仕えていたが、今度はイエスキリストに仕える生き方に変わっていった。

 幸い、祈りが功を奏して植木屋という仕事も見つかり、反社とは別に第二の人生を送ることになった。

 しかし祈っているうちに、神様のことをもっと学び、自らも牧師になり、自分のような元アウトローを救いたいと希望をもつようになり、神学校に入学した。

 藤堂氏は、入学後も持ち前の明るさと社交性を持ち、神学校になじんでいった。


 一方、丸井きよこは、アメリカでの生活が長くなったせいか、夫まさしとの距離は広がる一方だった。

 また幸か不幸か、きよこは社交的で誰にでも親切だったのが災いして(?!)不倫のスキャンダルに見舞われることになった。

 マスコミからは仮面夫婦だと呼ばれ始め、そののち離婚をすることになった。

 しかし元夫のまさしは、決してきよこを悪く言うことはなかった。

 きよこと二人で行ったレストランの話題をしたり、きよこがよく口ずさんでいた演歌を自らくちずさんだりもしていた。

 まさし曰く

「彼女(きよこ)は人間はいい人ですよ。僕は今でも、彼女の悪口を聞くと腹がたちますよ」

 娘せいなの親権は、まさしときよこと二人が共同して持つことになった。

 

 きよこは、娘せいなには絶対に芸能界には入ってほしくなかった。

 きよこ自身は、生まれ変わっても歌手になりたい。

 しかし、華やかすぎるその裏には、人に言えない心身共の苦労やスキャンダルに悩まされていたのも事実である。

 娘せいなには、自分と同じ苦労を味わわせたくなかった。

 しかし、そんなきよことの思いは別に、やはりきよこの背中を見て育ったせいなは、アイドルとしてCDデビューした。

 なんと歌詞のなかには、きよこがよく口にしていた「後悔だけはしたくないから」という部分があった。

 やはり血は争えない。

 せいなはアイドル歌手から女優に転身していった。

 この頃から、せいなはまわりから、可愛くてきれいで、礼儀正しい努力家という評価を受け、そののちミュージカル女優の主役へとスター街道を昇っていった。


 きよこは、娘せいなが誇らしくもあり、頼れる親友のようでもあった。

 せいなのもつ現代感覚を教えてもらってもいた。

 きよこが二度の離婚を繰り返したあとでも、せいなはきよこ宛に

「環境の変化にとまどうこともあるけれど、私のために朝五時に起きて、弁当をつくってくれる母を尊敬しています」

 きよこは、三度目の結婚をし、せいなはミュージカル女優の主役として成功し、これからはなお一層、歌手としてジャズなどの新しい分野で羽ばたこうとしていた。

 しかし思いもしない、悲劇が待ち受けていようとは、想像だにしなかった


 

 

 

 


 

 


 


 

 

 


 

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