性知識の広め方について

島尾

夢のような計画の本質的な部分

 今日、NHKの100カメという番組で、「女性の性について照れずに向き合おう」というようなタイトルの番組を放送していた。内容はもちろん、女性が言いづらい性の事情についての現実を発信するものだった。


 私はこの番組を製作に関わった人間たちの態度に本質的な欠陥を見出さざるを得ない。


「照れずに向き合う」ということは、性(異性)と向き合うことの最も快楽な部分を全部排除していると思う。人類は長年、異性に対する恥じらいを様々な形で表現し、お互いに対して興味と関心がちゃんとあるんだということを伝えてきた。平安時代の和歌、西洋を起点とした恋愛小説の世界的普及。今ではドラマや映画、アニメ、マンガ、淫乱なコンテンツなどで表現されており、異性への興味関心は(よほどのこともない限り)存在し続けているはずだ。それなのにNHKがこのような番組を作って放送したことは、もしかすると慢性的なネタ切れやネットに対抗できないテレビ業界の苦境を露呈しているかもしれない。しかし私はこのエッセイを書くにあたって、そういった問題に触れるつもりはない。


 まずもって「照れずに」ではなく「照れながら」向き合う、ということが絶対に必要だろう。そして今回NHKはそれを全部無視したがゆえに、女性の性事情という本来隠すべきものをただただ大衆の前に露呈させただけで、別種の「恥」を晒すこととなった。NHKはこの番組を通じて誰に女性の性の事情について知ってもらおうと狙っていたかというと、男だろうと思う。事実、司会者の男性芸人はしきりに「知らなかった」「知っておかねば」というようなことを連発し、世の男に対して女の性事情について義務教育的に知識を詰め込むことがよい、かのような表現を(結果的に)していた。

 私はこの義務教育的な義務感覚というものが、人間にもとから備わっている基本的探究心を次から次へと踏みつぶしていると思う。男が女の性事情について知ることを楽しいと思えないのは当然のこと、学校教育で学力至上主義を植え付けようとして多くの子供が学問に興味をもたなくなっているのもその一例だろう。小学校では、理科がおもしろくない、算数がおもしろくない、そして中学高校に上がると物理化学が、数学がおもしろくないという子供が多い。そして科学離れが進むという現実。こういう問題は英語においても、文学においても、その他の学問領域においてもあてはまるであろう。なぜこういうことが起こるのか。それは、誰かが作ったいくつかの問いに時間内に答えなければならないという窮屈な義務を与えられ、0から100までの範囲で流れ作業的に添削されるからである。もし答えなければ点数は与えられず、分からなければ劣っていると自認させられる。そして教育機関が作為的に入学試験という関門を設けて、さもそれが人為的なものでなく太古の昔から存在している何か絶対の登竜門であるかのような誤解を蔓延させ、子供たちを揃って受験マシーンにしてしまった。そこには探究心が育つ可能性もなければそれを養成できるだけの土壌もない。ひとたび純粋な子供心の探究心の芽が出たとしても、それは虚空に生まれた悲しい芽であり、周りに養分となるものもなく、それ以上成長することなく枯れる。それよりも「他人との競争に勝たねばならない」という学問の本質とは関係のない義務に苛まれ、自動的に他人から傷つけられて強迫観念を植え付けられる。科学や数学のみならず、ありとあらゆる学問は人間の探究心によって発展し、進化してきたはずである。その過程でさまざまな闘争と和解が繰り返されたはずであり、そうやって「練られて」きた集合知が現在の学問をこの世界に建立せしめているものと思う。すなわち私は学問を学ぶために必要な根本的意識は、探究心だと思う。学問のみならず、日常のありとあらゆる場面で私たちは探究心をベースに動いていると思う。Youtubeの動画一つをとっても、サムネが魅力的だった場合に「どんな内容なんだろう」という反射的な探究心をもつだろう。自分の趣味にしても他人の何か言動にしても同じことが言えると思う。極めて小さな「気になること」から、極めて大きな「野望」に至るまで、人類は探究心を次々と持つことによって一歩一歩、ときには飛躍的に進歩を遂げたと思う。また逆に、善からぬ探究心が暴走したゆえにミスを犯して悲劇を起こして後退したともいえる。そのような「3歩進んで2歩下がる」というような進歩の仕方が、人間にはもっとも合理的なのではないかと思う。

 今回のNHKの番組には人間の探究心を奪って、その代わりに「知りなさい」「知っとけよ」という高圧的な、義務教育のような義務感情を植え付けるだけだったと思う。多くの子供が所謂勉強を嫌ってそういう外圧から逃れるように、大人も同様の反応を示すに違いない。仮にその感情に忠犬のように従って女に気を遣う男が生まれたとしても、彼はただ苦しいだけだろう。何かの拍子に女に「キモい」と言われた瞬間、堪忍袋の緒が糸が切れて「俺はこんなに女のことを考えてあげたのに」と言い出すはずである。そして女は「なんにもわかってない」と文句を垂れるはずだ。せっかくの知識は無用の長物と化し、今回の番組を視聴したことが逆に災いとなる場合が普通に想像される。

 

 知識を流布させることは重要この上ないが、その方法を適切なものとしないと無意味に終わるか、あるいは争いを生む火種となりかねない。その根本に「探究心の強奪」と「義務の押し付け」があるとすれば、NHKを含む報道機関は自覚的にその部分を意識してそれを排するように番組を作らねばならない。さもないとせっかく情報収集して作った番組が水泡に帰すのみならず、国民にとって無意味または害となるおそれもある。


 では今回、NHKはどうすればよかったのか。女性の性について男側に知ってもらう意欲を掻き立てる番組を作るには本質的に何を伝えるべきだったのか。


 私は「女の良さ」だと思う。

 日頃から女について並々ならぬ興味関心を持つ男は、気になって女の性事情を調べるはずだ。なぜならば、「女体」という、男にとって永遠に謎である事実が現実の空間に鎮座していて、まさしくその事実それ自体が巨大な探究心を生み出しているからである。AVもエロ漫画もすべて見尽くして飽き飽きした男は、次なる探究の領域を女体の構造に向けるのが一つの自然の流れだろう。そして調査という名の冒険に出た男は、女体の構造に関する事実だけでなく、女の複雑な心理の片鱗に触れることもあるだろう。常に存在するのは探究心であり、逆に常に存在しないものは義務感である。真の意味で女に興味がある男は、そのような恥部から女を知ろうとするのではないだろうか。そしてこれは男だけでなく、女にも言えると推測する。人間である限り探究心は存在するだろう。それならば真の意味で男に興味がある女は男の情けない部分やふしだらな部分に自分から切り込んでゆき、男のあれこれについて勝手に知ってゆくだろう。そして男の心理についてもその片鱗を見る機会があるはずだと思う。

 ここで注意したいのは、正確な情報を知ることは主目的ではないということだ。あくまで探究心を持続させることによって異性への興味関心を継続させることができるのではないだろうかと持論を述べているのであって、正確な情報は常には必要ではなく、場合によってはせっかくの冒険を中断させる原因にもなりかねない。場合によっては、真実をわざと隠すというのも、人間が人間をやっていく上ではうまく機能するかもしれない。


 ではNHKは具体的にどのようにして男の視聴者に女への基本的探究心を伝えればよかったのだろうか。あるいはもっと広げて、異性に対する興味関心を抱かせるにはどうすればよかったのだろうか。


 私はNHKがアダルト系の一大有料サービスを開始するのがよいと思う。

 まず放送について。初めに、具体的な番組を製作し放送することはもう終わりにしてよい。NHKは大改革に舵を切って、D○Mより圧倒的に規模の大きなアダルトコンテンツの裏広場を開設することが良いと思う。そこに対しては受信料を積極的に払わせるべきだろう。さまざまなプランを用意し、下は10円から上は1000万円にいたるまで(これは誇張にすぎないが)ありとあらゆるアダルトサービスを大量に流す。また、18歳未満は決して立ち入ることのできない特異的領域とし、18歳になれば嘘のようにすぐに視聴できるような環境を整えることだ。そしてこの一大広場はただのAV鑑賞が可能な区域ではなく、日常に住まう全異性・全同性と淫乱な交流ができるものにする。現存している匿名での会話が可能なのはもちろん、オンライン上で会うこともができるし、何なら現実世界で会う約束でさえもできる。視聴者の交流による性病や望まない妊娠などの諸問題の責任をNHKが一手に引き受け、NHKだけで手に負えなくなったらすぐに国の特別支援の対象とする。

 また、匿名のみならず、普段会話している異性とも「ここでは別」というふうにして淫乱な関係が構築できる。例えば、大学では少ししゃべるだけの相手に対し、NHKの発行したIDを渡せば、家やその他の個室から遠隔的に性的な交流ができる。渡すというふうに書いたが、実はすでに相手のIDを簡単に調べることができる。知る限りの住所や本名で検索すればその人がヒットし、その人に淫乱な交流の誘いを送る。すると相手に通知が届き、相手は「学校ではただしゃべっていただけなのに、こんないやらしい感情を持っていたんだ」と絶望し、または逆に密かに歓喜することができる。またそれらは「照れながら向き合う」という原則に基づいて密やかに行われなければならない。また、この区域は原則性的な衝動によってのみ行動でき、それ以外の公共的常識がおのずと排除されてゆくような空間でなければならない。そしてその情報はNHK公式が流すのではなく、どこの誰とも分からぬ人Aから発生する燎原りょうげんの火のごとき噂話の形で日本中に知れ渡らねばならない。そのような秘匿な領域の存在はでかでかと広告するよりも、嘘のような本当の話として出回るほうが好奇心をそそるだろう。物好きが情報をある程度拡散させたその後に、ひそひそとしらせを打ち出せば効率的ではなかろうか。内心抱いている心を解放してその報せを信じて、衝動的にクリックしても、それは悪徳詐欺にはまったわけではない。NHKと受信契約さえしていれば、単にNHKにチャンネルを合わせたのと同じである。くどく繰り返すが、これは18歳以上しか立ち入れない領域である。そうやって裏で高度なセフレのような関係を構築することを許し、表では何も知らないような顔をして互いに普段の会話をしてよい。そうやって見ず知らずの人100人だけでなく知人数人とも同時に裏で性的な関係を持てる公共広場を設立する。NHKは見て見ぬふりをしつつ淡々と運営をするわけだが、その中に、性知識を含むいろいろな現実的課題の情報を混ぜ込むように流す。男女の性的交流が十分深まった時点でそれぞれの事情を適切に知ることができる状態を作り出すのである。

 放送だけにとどまっては勿体ないだろう。NHKは、今回紹介された「生理痛体験機器」や、その他さまざまな一般販売が不能な精密機器を各局の特別室に設置する。これは異性に対して並々ならぬ興味を抱いた人や、謎を解き明かして次のステージに進もうとする上級者のための公的財・サービスである。今の義務教育のような悪しき義務感しか持っていないくせに早々に異性の事情を知ろうと企むならず者を排除するため、これを利用できるのは一定条件を満たした、性に関して本当に探究心があると証明された者が利用できるようにする。

 異性に恥を晒すこと、特に知人にそれを晒すことは途方もない勇気が必要な場合がある。その勇気を発揮できた参加者全員に報奨金(あるいはポイント)を支払い、継続的に淫乱関係を続けてもらって、より高級なプランを契約できるようにしてはどうか。計り知れない恥をすさまじい勇気で乗り越え、しかもそれを裏でひそひそ継続することができる者を、称える。そのような空間の設立を期待する。


 このような夢のような仮想空間設立計画を書き連ねたが、さすがに実現しないと思われる。法律に違反しているし、常識を逸脱している。社会問題がここを起点に湧き起こるとしか思えない。

 しかし、ただ単に「知ってほしい」というメッセージを文字通り流しているだけでは、人々の頭や体はほとんど動かないのではなかろうか。人間がもとから持っている探究心をくすぐる番組を作り、洗脳的に植え付けられた義務感を徹底的に排除することが、国民から直接受信料を取っているNHKには求められていると思う。

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