第10話 過去の異人
10.過去の異人
浴場施設から村の集会場まで歓声に包まれた。道には見慣れない文字が書かれているが、読めなくとも祝福を伝えたい意図は十分感じる。自転車のロードレースで山岳ゴールの風景を思い出していた。
集会場にはご馳走が並んでいて、上手とは言えない演奏隊が音楽を奏でる。村の要人達が涙で迎えてくれた。会場には他のパーティもいて、全く嫉妬の念がなく我々のことを笑顔で祝福してくれるようだった。地球のように人間の敵は人間という秩序でなくて、人間対魔物の構造があると人間同士がこれほど協調できるのだと率直に思った。
食べ物を口に入れるまで地球の時間で20分程度だったろうか。宴会が始まると、高校の先生が大学生時代に付き合いで興味のない母校の野球観戦に行って、試合が終盤になると同じ学校の生徒同士で肩を組んで、ろくに覚えていない校歌を熱唱した話を思い起こさせた。ニールには同時通訳を断って、後で要点を説明して欲しいとお願いした。
お酒のような飲み物を勧められたが、水のみ飲んだ。食事が合わなければ餓死するところであったが、美味しくないにしろ、無事食べることができた。ハイゼとの会話でもしかしたら毒をもられるのではないかとも考えたが、空腹は余計な考えを捨てるのに十分だった。
言葉が通じない僕に替わって、ニールが要人の対応をしてくれた。要人たちは例外なくニールの前で泣き崩れた。ニールも泣いている。他のパーティの人が僕に話しかけようとしたが、ハイゼが制しているようだった。
ディラに肩を叩かれて、離席した。ニールにはディラと村を散歩すると伝えた。ニールはディラに何かを話して、頷くと、ディラは僕を裏口から外に連れ出した
「由樹なのか?」
2人きりになると真っ先に口から溢れた。不思議そうな顔をするディラに現実に引き戻された。ディラは突然腕を組んできた
“私の言っている事が分かる”
脳に直接訴えてきた
「ああ、分かる」
日本語で答えた
“ニールにできるので自分もできると思った”
「そんな簡単に習得できるものなのか?」
“その人の持つ属性に起因するけれどね。ニールが回復魔法を直ぐに覚えたように、魔法には相性があるの、ニールと私は系統が似ているから出来るんじゃないかと思った」
「この魔法、僕にも覚えられるかな」
僕が潜在的に偶然持ち合わせていて、この惑星で発動した回復魔法はニールの系統に近い筈だ。
ディラから伝わる不可思議な音を言葉に変換すると由樹の声が聞こえてきた
“どう、分かる?”
日本に居たときの由樹の声と区別が出来ないほどよく似た声だった
「ああ、鮮明にディラの声が聞こえたよ」
これで、人に触れてさえいれば会話の意味を理解することができる。ただし、僕の発する言葉を理解できるのはニールとディラだけだ。
不思議な感覚である。言葉はこの国の言葉なのに意味が理解できる。初期の翻訳ソフトのようにぎこちない日本語で文字が僕の頭に湧いてくるような仕組みといった感じである。しかし、これはおかしい、翻訳ソフトならば予め膨大なデータを入力させなければならないが、この膨大なデータが先ほどの言葉だけで入手できるとは考えられない
“さっき食べたパン、美味しかった?”
にやけた顔のディラの言葉に驚いた
“ウメの国では物質に情報が乗る科学には到達していないの?”
回答に迷ったが、この容姿の女性に騙されても悔いはないと腹を括った
「僕のいた世界では、マクスウェルの魔物がそれを見分けられるって言っていたよ」
“ウメの世界の科学を教えてよ”
ディラとの会話で、この世界では、マクスウェルもプランクもローレンツもボーアも彼らに相当する科学者が登場していないことが分かった。博士達の大功績を頭脳明晰と言われるハフニ族のディラに説明すればこの世界で登場するはずの科学者の功績を潰してしまうことになるだろう。それはこの世界の歴史が変わることを意味している。末端の大学生とはいえ、科学に係わった自分が、たとえ異世界でもそんな贋作作家の栄誉は欲しいと思わない。僕には武士の時代にあった武士の感覚を未だに捨て切れてはいない。武道を学ぶ、とある段階でこういう地点に到達する。
しまった、今思っていることは念力を通して会話しているディラには筒抜けなのかもしれない。しかし、何故かディラには伝わっていないようだ。自身で制御できたのか、見えない何かの力が働いたのかはわからない。あるいは、ディラがとぼけているのかもしれない
「どうしてラザやハイゼに僕の素性を隠したの?」
ついこんな異世界で、科学の話ができた嬉しさに我を忘れて話し込んでしまったが、肝心な話を聞いた。
ディラの話では、過去に僕と同じように異世界から来た者が、下層民を先導して暴動を起こしたという。異人が罪を犯した前例があるため取り計らってくれたらしい。
この国ではある水準を超えた者でないとこの国から追放されるか、鉱山などの労働者として隔離して働かされるとのことだ。これらの分けられた人々を総称して下層民と言うらしい。日本語に当てはめるとこの言葉に近いようだが、適語であるかは分からない。つまりこの国にはある水準以上の者のみに人権が与えられるということだ。
当然自分も帝都に行けば処遇が決まるらしいが、ブンゲを倒した功労で追放されることはないと言っていた。ただし、異人が暴動を起こした前例があるので、ハイゼが僕が暴動を起こした異人と同属でないかと警戒しているということだった。立場が逆ならば当然同じように疑っただろう。
暴動を起こしたのはローゼという男で、訳の分からない言葉を話し、帝都にローゼの言葉が理解できる者がいなかった。下層民に認定され鉱山で働かされた。そこで他の労働者を先導して「権利」と「平等」を掲げて革命を起こそうとしたということだ。
地球にいた頃、最も会話したくない輩だ。喩えるならば数学の知識がなくても物理学を学べるという発想を持っている類いの人だ。ある程度数学の知識がない人と物理の話をすると会話が成り立たず苦痛である。たとえの例えになるが日本語しかしゃべれない人と英語しかしゃべれない人の会話のようである。どちらかが相手の言語を学ぶか会話を諦めるかが最適な選択である。
結局ローゼの革命は国軍に制圧されて、暴動に参加した者は全員処刑されたが、ローゼだけはアルベェに助けられて彼の配下に加わったという
「その数年後、アルベェ一門は、私達一族の集落を襲って滅ぼした。大魔道士が助けに来てくれたが、大魔道士も弟子を複数失う大激戦で、集落で生き残ったのは一割程度だけだった」
この話はニールからも聞いていた。ローゼは腕利きの戦士に成長しており、襲撃の際は多くの同胞を魔法詠唱中に倒したということだ。どんな弓の名手でも弓を引く間に攻撃されればひとたまりもない。
ブンゲを倒した小川まで歩いていた。
木樵の墓の側では数人の人がいて縄張りをしているようだ。村長は仕事の速い人だと思った。
「伝えたいことがある」
遠い目をしたディラは手を強く握りしめた
「アルベェの家来にはポドという腕利きの魔法使いがいる」
「ポド?」
ディラは呼吸が乱れている。2人は無言のまま小川に沿って上流に歩いて行った。10分ほど歩くと池があった。
ディラは辺りを見回した後、頭に巻いた布に手をかけてゆっくりと解きだした。美女が目の前で服を脱いでいるのと変わらない衝撃が目に届く。ディラの藤の花が咲き乱れるようなその髪の美しさに見惚れていると、ディラが強い口調で言った
「油断しないで魔物が来るから」
藤色の杖を持ったディラは真剣な眼差しで水面を見ている。静寂の中、ディラの髪が藤の花のように揺れている。
ニールから預かった脇差しに手を掛け、精神集中して波長を整える。場の波長が乱れていることが分かる。静寂の時間が長くは続かないことを肌で感じとる。
水面が揺れる。水中からカエルとトカゲを合わせたようなウサギくらいの大きさの生き物がディラ目掛けて襲ってきた。ディラは動じることなく、藤色の杖を振ると木の葉が勢いよく魔物を切り裂いた。魔物はブンゲ同様出血もなく小さな鉱物に変わった。
次の瞬間、灰色の魔物がディラを襲う。場を乱す気配を感じたのはこちらだった。脇差しを抜いて斬りつけると手応えがあった。よく見ると胴体と2つのうなぎのような顔をした首が別れて倒れていた。この国随一の刀匠が造った刀は一振りで首を2つ切り落とした。
やはり魔物から血は出ていない。胴体は直ぐに鉱物に変わった。
最初に襲ってきたカエルとトカゲの魔物が続けて3体襲ってきたが、ディラの魔法で難なく2体を切り裂き、ディラの攻撃を逃れた1体を僕が仕留めた。
ディラもニールがそうしたように丁寧にフリダラを拾い、僕が倒した魔物の分を渡された。受け取った手にディラの細い手を重ねた
「まさか、2頭幼竜が襲って来るとは思わなかった」
「そんなに強いのかい?幼竜って」
「ええ、今のパーティで戦っても無事で済む保証はなかった。やっぱりあなたはこの世界では超人なのよ」
「なるほどね、ハイゼが警戒する訳だ。でも僕は大衆の為に生きるなんてまっぴら御免だ。僕の人生なんて、ニールの尻に敷かれた従順な下僕で満足だけどね。
それでも、ハイゼに僕の素性を黙っていてくれたのは感謝しなくちゃいけないな」
「ブンゲを倒したのは決してマグレじゃないよね」
「さっきも話した通りこの惑星の重力は前に居た惑星より小さい、でもすぐにこの惑星の重力に慣れて超人じゃなくなるさ。ブンゲは運がなかった。寝覚めに”盛り”の相手と戦ったのだから。
ところで、このフリダラ大きさが違うけどどういうこと?」
ディラの話によると魔物はフリダラの体積に比例して強くなるということだった。かえるもどきの魔物は小石位の大きさだが、幼竜はソフトボールのボール位の体積だ。そう考えるとブンゲは相当強い魔物ということになる。
ついでに、フリダラがどのくらいで換金されるかを聞いたら幼竜で1年(地球単位)の食事代に相当するらしい。僕は相当の金額を気前よく渡したことになる。ここにきて、ニールが全部やるよと言ったのを断った理由が分かった。
フリダラは溶解することで、魔物化しなくなることをこの世界の人類はつきとめている
「ポドの呪いって?」
「座ろうか?」
笑顔のディラが手から離れると腰を下ろし、そのまま恥じらいもなく大の字で寝転んだ。僕は横に座ってディラの左手を取った
「驚異の芽は厄介になる前に摘んでおかないとね。ハフニ族を滅ぼしておかないと自分達が滅ぼされる」
国王が大魔道士を派遣するくらいだから相当重要なことが分かる。恐らくニールの集落も優秀な武器を造る拠点なので各個撃破したに違いない
「奴はハフニ族が力を発揮しないように、しゃべれなくなる呪いを掛けた。しかも魔物にはハフニ族特有の紫髪を襲うように設定されている。紫髪を曝せばさっきみたいに魔物が襲ってくる」
「呪いなんてあるの」
「多分魔法ね。私も解除のために色々調べて試行錯誤したけど、この魔法の根源はポド自体にあって、呪いと魔物同士とポドが何らかの形で共有状態になっているの。いくらしゃべれない呪いに単独で解除を図っても直ぐに修正されてしまうって訳」
「つまり、ポドを倒さない限りディラはしゃべることが出来ないって訳か」
「ウメは剣の腕だけでなく、頭もいいのね。魔物の製造は私の知っている限りではポドしかできない。魔物は恐らくポドの分身あるいは構成要素にポドが含まれていると考えている。ただ、ブンゲはポドが登場する以前からいるので、ウメが倒してフリダラになったということは以前にも魔物を造れる者がいたのでしょう」
「国軍が攻撃すればポドは倒せるんじゃないのか?」
「どうだか?国軍が多く倒されて消費すればこの国は他国に侵略を受けると思うから、国王も討伐軍を簡単に編成できないの」
「なるほど、それで、民間の冒険者が討伐に当たっているわけだ」
ディラは僕の顔を凝視した。念は何も伝わってこない。ニールの目から涙が零れた
「言葉がしゃべれなかったり、髪の毛に布を巻いたり、いい加減生きることが辛くなった。
自殺するのも癪だから、勝ち目のないブンゲに戦いを挑んで死のうと思った。それがラザのパーティに加わった理由。おかしいでしょう、このパーティ魔女が3人もいるなんて。ラザは言葉のしゃべれない私を機能させるために通訳の能力を持つニールを雇ったって訳」
「ごめんな、死に場所を潰してしまって。
実は僕も3日乞食をして、木樵の弟子にしてもらって生計を立てようと思ったら、就職先をブンゲに喰われちまったからな。絶望してブンゲに殺されたいと思った。
ただ、僕に笑顔で話しかけてくれた女性。足を負傷したニールが逃げる時間だけは稼ごうと思った。
ニールの奴、逃げればいいのに、僕のために防御壁を張ってブンゲの攻撃を防いでくれた。お陰で運良くブンゲを倒すことが出来た」
言い終えると背後に気配を感じた。すぐさま柄に手をかけて背後に振り返った。
<つづく>
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