第7話 ディラ

 7.ディラ


「いいの?君たちからすればこんな野蛮異星人と一つ屋根の下で生活して」

 ニールが不思議そうな顔をしたのが不思議だった。

 ニールの左胸に触れた。そのまま触れるか触れないかの感触のまま頂上まで指を滑らせる。

 ニールの表情は険しくなった。構わずニールの耳に唇を当てると、耳の輪郭に沿って唇をなぞる。ニールの呼吸が乱れている。

 右手に明らかに違う変化に気づいた。あたかも可憐な花弁を壊さないように指先を操った。この星の力学的な量は地球とは違うのだ。

 また、魔力を吸い取られるかと思っていたが、ニールの目は集点が彷徨い虚ろになっている、そして、言葉がなく不規則な息を吐いている。

 左手を背中に滑らせる。ニールが甘い声を零す。

 口を触れていた耳から離し、甘い声で囁く

「ほら、早く魔力を吸い取らないと、どんどん壊されちゃうよ」

 右手を胸から離し、指でニールの輪郭をなぞった。その指を唇に触れて時計回りに動かした。指は、不規則な速度でニールの唇を滑っていく。

 背中に回した手でニールを引き寄せる。そのまま唇を重ねた。

 ニールの舌が入って来ることがなく、重ねたまま唇を動かし何かの言葉を発した。

 ニールはか細い両手でひ弱に僕を引き離し、脱衣場に逃げていった。

 

 理論物理学者はよく装置を壊す。度々文献で見かけた言葉だ。僕はニールを壊してしまったようだ


「さよなら、由樹」

 声に出して言わないと昨日を洗い流して翔び立つことはないと信じて疑わなかった。涙が頬を伝う。”誰の記憶にも残りたくない”これは発声できなかった。

 ニールに謝らなければならない。湯船を出て、ニールを追った


 更衣室に戻ると、紫髪の女性がいた。その髪は春、そよ風に揺られる藤の花を見ているように美しく、気品のあるその後ろ姿に、ニールへの言葉も忘れてしばし見惚れていた

「ニール!」

 呼び掛けると藤色の髪の女性はその香りが漂うかの如く振り向いた。刹那、頭の中が真っ白になった

「由樹、どうしたんだその痣」

 反射的に声が出た。しかし女性はなんの反応もなかった。

「由樹も転移してきたのか?」

 女性は微笑むと、木製の小皿を差し出した。皿にはパンが二つ、甘い香りのするシロップが塗られている。

 

 小皿を受け取ると、女性に深々と頭を下げた。女性はニール同様に裸である僕を見ても祖国の女性達がするような反応はしなかった。ニールが駆け寄って肩に手を当てて、全く知らない言葉を発した。ニールが触れていると言葉が理解できる

「彼女がさっき話したディラ」

 由樹によく似ているが別人である。祖国の由樹はこんな豊満な胸は持ち合わせていなかった

 

「さっきはゴメン」

 ニールはきょとんとした顔をして、ディラの手を取った後答えた

「もう保持できる魔法量がいっぱいで吸収できないよ。ウメが一緒ならばダンジョンでも魔法量を気にせず戦えそうだよ」

 ニールが怒っていないことに安堵した。ディラの口が動いたが発音はなかった

「ディラです。

 ニールからずっと食事をされていないと聞いて、簡単なものですが用意致しました」

「ありがとうございます。ウメサンです。服を着ますので、ご挨拶はその後で」

 

 祖国では素っ裸で女性に挨拶する機会は一生起きえない事だったろう。ディラが用意してくれたパンを食べた。パン自体は美味しいものではなかったが、祖国で言えば蜂蜜のようなシロップはとても美味しかった。食べながら涙がでた。

 

 思えば泣きながらパンを食べるのは初めてだ。僕の両親は食事に事欠かない生活を提供してくれた。大学まで行かせてくれた。何も恩返しできずにこの国に来たのは無念である。今は涙を流すことしかできない。これがゲーテのいう人生の味なのだろうか。

 

 言葉の通じない女中に用意してもらった服を着た。鏡に映る自分に生きる意味を問うてみる。あの魔物に殺されれば良かったなどとは一生思うまい。


 Gate gate päragate pärasamgate bodhi svähä.

 ニールの声だ。2人のところに行くとニールに腕を捕まれた

「ディラの痣、消したいの。手伝って」

 ニールと声を合わせて唱えると、ディラの顔の痣が消えた。この国では僕には魔法を使える能力があることはもはや疑う余地もない。

 

 ニールとディラが抱き合って喜んでいる。2人の輪の中に自分も引き込まれた。複数の女性と抱き合うのは初めての経験だ。そこでディラが由樹でないことは確信できた。ディラは泣いて喜んでいる。年頃の女性の顔にあの痣は辛すぎる。


 ディラにパンを用意してくれたことを真っ先にかつ誠意を以て御礼を言った。頭脳明晰と聞いていたので起こった全てのことを包み隠さずに話した。重力の違いについてはすんなり理解したので、ニュートン力学はこの国でも到達しているようだった。まだ電気や蒸気機関車などはなく、会話から19世紀の発見もないように感じられた。

 ディラの顔の傷はアルベェにハフニの集落を襲われた際に生じた傷だという。ディラの話はここまでで、リーダーのラザに報告があるとのことで、中座を詫びまた話がしたいと告げて更衣室を去った。


 ニールは念入りに髪の毛を乾かしている

「ディラがあんなに楽しそうな顔をするの初めて見た」

「ニールが顔の痣を治したからじゃないか?」

「ウメは頭が良いんだ」

「僕はどうか分からないけどディラは頭が良いのは分かったよ」

 少しだけ会話が途切れた


「村長が昼食を用意して頂いたみたい。夜は大宴会になるらしいけど、昼は村長だけ同席するみたい」

「リーダーのラザにも挨拶しないとな」

「多分、扉の前で待っていると思う」

「貴族系と言ったけど、面倒くさい人」

「ウメとは合うと思うよ」

 <つづく>

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