第3話 エンツォ・フェラーリ

 3.エンツォ・フェラーリ


 ニールは僕の胸に飛び込んできた

「見捨てないで」

 ニールの胸の感触は由樹の記憶を蘇らせた

「私の方がかわいい」

 接触すれば心を読み取るニールは容赦なく感想を述べた

「Inmoの人?」

 空腹なので余計なことは考えたくない。3日も風呂に入っていないので風呂から出たら話すと言った。


 ニールは僕から離れると、まだ濡れている自分の服を見て、深呼吸をした。ニールが僕の手を取ると

 “私も入ろう”

 とニールの心が言った。

「風呂から出たら、色々教えて」

 と言うと、ニールは不思議そうな顔をした。

 不思議そうな顔をした理由は直ぐに理解した。ニールは眼の前で恥ずかしげもなく服を脱ぎだしたのだ。


 よくよく考えれば、ここは地球ではない。文化や思考が同じと考える方が不自然だ。確か江戸時代の風呂は男女共用だと聞いたことがある。

 ニールは僕の身体が変化したところを見ても気にする様子を見せなかった。


 裸のニールが引き戸を開けるとそこは日本だった。湯気の底が白くなった。

 石灰系の石だろうか、侵食していて風情があるが、掃除は大変そうだ。子供の頃家族で行った温泉旅館の大浴場に似ているような気がした

「ああ、日本に帰ったようだ」

 ニールがこちらに駆け寄って肩に触れた。揺れるほど立派でないなと思ったが、直ぐにその感情を封印した。


「ウメサンの故郷ってこんな感じなんだ」

「こんな感じの温泉に入ったことがある」

 湯船まで進むと、お湯をすくって頭からかけた。温泉のお湯が丁度よい。地球にいた頃に好んだ温度だ。この惑星で自分の居場所を増やしていかねばならない。


 ニールは2、3度お湯を身体にかけるとそのまま湯船に入った。僕は身体を洗うためであろうお湯溜めのところに行き、石鹸があることに気付いた。この世界でも石鹸を作る科学はあるようだ。香りもいい。3日分の汚れを洗う。


 ニールは湯船で歌っている。子供が口ずさむような望郷を感じる心地よい歌だ。中田喜直さんが書いた「小さい秋みつけた」に似ているような気がした。途中ニールが鼻をすすった。歌声が変わった泣いているのか?


 髭を剃りたいが、身体も冷えてきたので先に湯船に入ることにした。感傷にふけるニールから少し離れた場所に浸かった。


 身体が温まってくると、由樹と結ばれた温泉旅行を思い出した。もうこの世界は夢でも黄泉の国でもないことを受け入れなければならない。貪欲にならなければ生きていけない。親が税金を払って維持された平和はここにはない。日本では大学生だった。この世界ではまず、住み込みで仕事を得て、言葉を覚えて、余裕ができたら、また物理を学んで世の中の不思議を解明しよう。


 由樹程の美人ならば、もっといい条件の男が現れるだろう。それだけが救いだ。僕の存在が消えたのと同様に僕の記憶も由樹から消えてくれることを願った


「ぼくはしばしば、誰の記憶にも残りたくないと思う事がある」

 そんな話をして笑った由樹の顔が蘇る。イタリアでは誰もが知る人の言葉だ。あの魔物に殺された方が良かったのかもしれない。いや、それより前に日本の僕は消えたのだ。今更自分が自分であろうとする煩悩を持っても仕方が無い。”心身脱落し来たる”捨てるにはうってつけの日だ


「私は今日のことを忘れない。村人の誰もがウメサンに感謝して一生忘れない。その子供も、そしてその子供達も」

「僕はこの世界でも誰の記憶にも残りたくない」


 ニールと触れていないのに会話ができる

「そうか水が伝達媒体になっているのか。導電物質(電気を通すもの)ならばニールと会話ができるのかもしれない」

「”ゆき”って人との関係が分からない?」

「この国でも男女で子供を作るんだろう」

「Inmoの時にね」

 察するにこの国では人間も発情期と賢者期があるようだ。地球でも人間とウサギが年中発情しているだけで、大抵の動物が繁殖期を持っている。人間の方が異常と見た方が妥当かもしれない。どおりでニールは僕の前で裸になっても平気だったのだろう。

 

 話を変えた。どうして5つめのお願いである仕事の斡旋を村長に伝えてくれなかったのかを尋ねた。ニールは昔話を始めた。


 ニールの村は魔物の襲撃を受けて全滅した。ニールは母親と町に買い出しに行っていて難を逃れた。先程歌っていたのは故郷の歌だという。

 村を滅ぼしたのはアルベェという魔物で、村を襲った後、大魔術師が封印したという。弟子が4人も命を落とす大激戦でも倒すことができず、封印してレピネ山脈に隔離したという。

 ニールは仇であるアルベェを倒したいという。ブンゲを倒した魔法使いと回復魔法が使える戦士ならば、腕利きの人が雇える、きっとディラも同行してくれる。

「それで、この村に留まって欲しくないんだ」

「お願い。私に手を貸して欲しい」

「即答できないな。考えさせて欲しい」

 僕の考えていることなどニールは読み取っていることは分かっていながらそう答えた。

 <つづく>

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