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≪めんどくせぇ≫


漫画『NARUTO』に出てくる、面倒くさがりでいつもやる気なさげなシカマルの口癖。

でも..

「めんどくせぇ」と言いながらも修行するし、

「めんどくせぇ」と言いながらも仲間の為に身体を張る。

現在アニメでは忍者学校の同期で唯一、下忍から中忍に昇格。

でもってIQ200。


当然一番好きなキャラはシカマルですが、

他にも色んなタイプの子供が登場していて面白い。

だから、子供に興味のある大人にお薦め。

















<激変と緩変>


激変は..

展開は早まるが、変化に付いて行けず振り落とされる者が多数出る。

緩変は..

振り落とされる人は少ないが、展開が遅くタイムリミットに間に合わなくなる恐れがある。


社会的選択は往々にして後者。

というのも、誰も大きな責任を負いたくは無いからだ。





<百聞は一見にしかず?>


「真実に目を背けてはいけない」とはどういう意味なのか?





<ヴァンダレイ・シウバ>


あの肉体、身体能力、それに強靭な精神力。

尋常ではない努力の賜物なのは一目瞭然。


でも、リング外では凄く気の優しいのがバレバレ。

そういえば、同じブラジル人のノゲイラも気の優しい感じやなぁ。

気の優しさが強さに繋がってるのかも。


気の優しさは周囲とのトラブルを生み難く、

その為、心を乱される事が少なく、

自分のやるべき事に邁進する事が出来るっていう。





<平和>


身近にいる意見の違う人や利害の対立する人、それに嫌いな人、

そういう人達と上手く折り合いをつけてやって行く事からやろな。





<趣向を凝らす>


更なる飛躍を目指して趣向を凝らすのは構わないが、

その為に基本を怠っては元も子もない。





<他者の意識改革>


容易に変えられるものは容易に元に戻ってしまう。

言動&行動が変わったからといって、すぐに評価してはいけない。





<賛成と反対>


反対すると、聞き入れられて抑制されるか、または逆効果となり促進されてしまう。

つまり、希望通りになるかどうかは五分五分。


賛成すると、ほぼ聞き入れられ促進される。

つまり、希望通りになる可能性が高い。


他者を(自分が思う)良き方へと導くには「賛成」を活用した方が良い。





<simple is ...>


良い結果を出す為の方法は様々あり、シンプルな方法もその内の1つ。


ベストな結果を導く方法は、

手の込んだもの、練りに練られた凝ったものかもしれない。

しかし、それらの方法はそれなりの能力や労力、金銭等のコストを要する。


シンプルな方法は判り易く投資も少なくて済む。

..単純にお金で済ますというシンプルプランもあるなぁ。

(軌道修正)

判り易く投資も少なくて済む方法は、

ベストな結果を導き出すものではないかもしれないが、

それ相応の結果は出せる。

投資が少なくて済むから「結果/投資」が大きくなり易い。

投資が少ないので1つの事柄に伴うリスクも小さく、

また、数多くのチャレンジも出来る。


投資も含め総合的に見るとbestなんじゃないかなぁと。





<他薦の価値>


テレビでやってる映画を観る。

観て良かったと思う映画は、大抵深夜に放送しているマイナーな映画。

録画しててほったらかしにしてたのを、見るものが無いからとしょうがなく観る。

始めは期待もしていないから、何とも思わずにボーっと観てる。

その内、はまってる。

見終わった時には、しみじみ「いや~良かったなぁ」って。

リアルタイムで途中から観て偉く気に入って、始めから観直したいと思う事もある。

恐らく深夜やから、視聴率とか余り気にする事無く、

何を放送するか決める人自身が自由に良いと思う映画を選べるからなんかなぁ。





<夜空>


夜空を見上げた。

でも、真っ暗で何も見えなかった。

..ん!?

私には夜空が見えているのか、

それとも見えていないのか?





<売名行為>


「売名行為」って非難の意味で使われてるけど、

一体どこに問題があるんやろ?





<やったもん負け>


見返りが無く、責任のみ負わされるのならば、

何もやらない方が良い。


他者に自主的な行動を求めるのなら、

成功だけを評価するのではなく、

挑戦した事を評価しなければならない。





<不器用>


器用に何事も上手くこなす人は、

誰もが自分と同じくらい出来て当たり前だと思う。


対して不器用な人は、

上手く出来る人もいれば、そうでない人もいる事を知っている。





<ケチを付ける>


他者の行動にケチをつけるのは、

他者に対して期待し過ぎているからではないか。





<先ず人>


個々が十分に能力を発揮出来るようにする事が、

結果的に、集団の利益に繋がる。





<注意>


マナーの悪い者に注意するのは良いが、感情的になってはいけない。

感情は感情を呼び、威圧的な態度は反発を買う。

トラブルを起こして事を大きくしてしまっては、マナーどころでは無くなる。





<良い表情をしている人は頭が良い>


物事の捉え方が上手い人は、

余計なストレス受けたり、変に思い悩む事も無く

精神的に安定しているから表情が良い。





<映画『es』を観て思った事>


看守役のと実際に看守の職に就くのとは違うやろなぁと。

看守役をまっとうしようとすると、

自分が思うステレオタイプな看守を目指す事になる。

しかし、実際に看守の職に就く場合、

ステレオタイプな看守像を目指す者も居るだろうが、

そうでない者も居る。


・ステレオタイプに憧れる者

・反ステレオタイプな者

・そのどちらでもない者

これらの人が職に就いてどう変化して行くのかは、

実際の現場で観察しないと分からないと思う。


因みに映画は..、まぁまぁでした。





<示唆>


様々な出来事が何か特定の事柄をやるよう示唆していると感じる。


現状の事柄を見ていると、

やろうかどうか迷っている事柄をやる事で良い効果を及ぼすイメージが湧いて来て、

やるべきだと示唆しているように感じる。

あるいは、小さなミスやトラブルが、

その活動を辞めるように示唆しているように感じる。


そう感じるのは、そう感じる以前に自分自身そうしたいと思っており、

きっかけや後一押しを待ち望んでいるからだ。


きっかけや後一押しを待っている場合ではない。

そういった示唆を感じたなら、それは自分がそれをやりたいという証拠。

思い切ってやれば良い。





<仕事と感情>


仕事のマニュアルに感情についての記述は無いでしょ。

なら、感情は必要ないわな、特に「怒」の感情。





<謎のニヤニヤ>


待ち合わせ場所でお互いの存在を確認した時に何故かニヤニヤしてしまう。

あれは何なのだ?





<信用>


信用している人が信用している人を信用出来る?





<子供を助ける>


子供を助ける最適な者は子供ではないか。

なら大人は、困っている子供を助けるよりも、

困っている子供を助けようとしている子供をサポートするのが良い。


大人になり色々知った事で、

分からなくなっている事もあるんじゃないかなぁと。





<上の者と下の者>


上の者と下の者が意思疎通の為にレベルを合わせるには、

上の者が下の者の所まで下げるか、下の者が上の者の所まで上がるか。

ん~、後者に魅力を感じる。

上の者が下の者を引っ張り上げて、上の者のレベルで共に楽しむっていう。





<人其々>


ペットの場合、その動物の生態を考慮し、それに則した対応をする。

育てるにしても、しつけをするにしても、芸を覚えさせるにしても。

そうする事が、ペットをコントロールし易いからだ。


人も同様。

個々の能力や性格を考慮して対応する。

器用な人も居れば不器用な人も居るし、

素直な人も居れば偏屈な人も居るから。


誰もがある一定のレベルは達していなければならないとか、

正確に伝えたのだから、誰もがちゃんと理解してくれなければならない、

などという考えは捨てた方が良い。


人によって達成値は違うし、

伝わりやすいコミュニケーション方法も違うのだから。





<犯罪から学ぶ>


巧妙な犯罪を犯した人を指して、

「その能力を良い事に生かせば良かったのに」って意見がある。

まぁ、当人は悪事を働きたかったのだからしょうがない。

が、他の人はその手口やアイデアを良い事の為に活用出来るのではないか、と。





<譲る人と譲らない人>


道を譲る人と道を譲らない人を想定する。

そして、譲らない人の視点で見て行く。


もし、自分以外全ての人が譲る人だった場合、

誰と擦れ違おうが相手が譲ってくれてスイスイ進む事が出来る。


全体の10%が譲らない人なら、稀に譲らない人と出くわし、

その内幾らかは自らは譲らなければならならず不満を持つ事になる。


全体の50%が譲らない人なら、5割の確率で譲らない人と出くわし、

その内幾らかは自らは譲らなければならならず不満を持つ事になる。


譲らない人の割合が大きければ大きいほど、不満を持つ回数が増える。





<コミュニケーション>


多量の不用とも思われるコミュニケーションが、

少量の有用なコミュニケーションを支えている。





<「知りたい事」を知りたい>


それを知らないだけでなく、

そういうような事があるという事すら知らない事が無数にある。

その中には、少しでもかすったなら、兎にも角にもそれを知りたいと思う事がある。

そういう事に数多くかすりたい。





<一を聞いて十を知る>


一を聞いて十を知るというのは素晴らしい。

ただ、人は安易に物事同士を関連付けてしまう。

だから、一から導き出した情報が正しいのかどうか、

十分に気をつけなければならない。





<際限無き読み書き>


どんどん本を読んで行くと、読みたい本が無くなる。

ということは無く、幾らでも読みたい本が出てくる。


溜め込んでいたものを一気に書き出した後、

もう書く事は殆ど無い、後は隙間を埋める程度しかないと思っていた。

でも、それは間違っていた。

書く事はまだまだある、生きて考え続ける限り無くなる事は無いだろう。





<優れた記憶力を生かせていない人に>


記憶力は物凄く良いのだけれど、

それを自分の為に生かせていない人がいる。


さて、どうすれば良いのか。

そこでまず始めに考えたのは、

記憶力を活用する為の思考力を高めるようにする。

論理学の本を読んでもらう。

つまり、考え方を記憶するっていう。


でも、いきなりそんな本を読んで面白いだろうかと疑問に。

判り易くて面白い入門書ならとも思ったが、

論理そのものに少なからず興味がなければ、幾ら面白くても無理なような気が。


..ふと思う。

考える力を付けても、考える事がなければ意味は無い。

なら、考えたい事、考えたくなる事を見つけてもらうのが先決かぁ。


しかし、今まで趣味の無かった人に、

いきなり趣味を見つけてもらうというのも難しい。


より良く生きるという事なら万人共通だ。

そういう事なら考えたくなるはず。

でも、いきなり人生論というも無理。

心理学とか哲学?、それとも実利考えて経済学?

どれも飛躍し過ぎ、元々興味を持っていないと無理やろなぁ。


もう何でも良いから読書。

最初は小説やろな、それも読みやすい内容の短編。

いっぱい読んで多くの疑似体験するのが良いやろから。


結局、何を学ぶにも前段階が必要やねんなぁ。

それ相応の目的を達するには長い道のりを辿らなければならない。





<利他主義者>


全ての行為は自分がやりたいからやっている。

自分がやりたいという欲求を満たす為にやっている。

自分の行為は全て自分の為にやっている。

つまり、全ての人の意識的な全ての行為は利己的。


利他主義者とは、無自覚な利己主義者。





<認識>


隠され他者の批判に晒されることの無い「認識」は、

妥当性が薄れ、自分の都合の良いようなものへとシフトして行く。

やがて、その「認識」は現実から遊離し、実用性の無いものとなる。


「認識」は他者の批判に晒される事で研ぎ澄まされる。





<癇に障る物言い>


癇に障る物言いでは相手に伝えたい事が伝わらない。

にも関わらず、癇に障る物言いをする人は居る。

言うという事は伝えたいからなのに、方法は伝わり難いものを選んでいる。

話し手がこの事を未だ理解出来ず、癇に障る物言いをする人なら、

聞き手が気を使ってあげて、癇に障る部分を取り払ってから聞き入れれば良い。





<楽な結論の導出法>


情報や知識を取り込まず、妄想を膨らませて結論を導き出すのが楽なのは分かるが、

導き出された結論が間違っていては何の意味も無い。





<資源は有効に>


達成するのに幾つもの段階を経ないといけない事がある。

その幾つもの段階を経る努力や気力が続きそうに無いのであれば、

その事を始めてはいけない。


自らの努力だけでは達成出来ないとしても、

努力しなければ達成の可能性すらないのだ。


達成の可能性が無い事に、

時間や労力、それに金銭等を注ぎ込んではいけない。





<跳び箱のジャンプ台>


良き本を人に薦めても、その良さを理解してもらえない事がある。

実はその本を読む以前に読んだ軽い内容の本が、その理解を助けている。

しかし、その本自身はそれほど大した事がないので薦めるほどではない。

それに、そういった本は印象に残っていない事もあるだろうし、

複数の本が絡んでいたり、さらにその本の理解を助けた本があったりする。

これは本に限らず全ての事に当て嵌まる。


価値あるものを理解するのに、大して価値の無いものが活躍する。

価値が低いからとバカにして全く触れようともせず切り捨てていると、

価値の高いものを掴み取る力を蓄えられず、結局何も得られないようになる。





<幸せそうな人>


幸せそうな人を見ていると、こっちまで幸せな気持ちになってくる。

ふぅむ、あの人は何であんなに幸せそうなんかなぁ。





<適応>


周囲の人の意見を聞く事で周囲の人に適応する事が出来る。

自分の意見を公表する事で周囲の人が自分に適応してくれる。





<出来れば..>


目的達成の為にした行為が裏目に出てしまう事もある。

だから、ニの足を踏む。

しかし、それでは何も始まらない。

それは、絶対成功しないといけないと考えているから。

でも、現実的に考えて絶対成功するなんて事はありえない。

そこで、「出来れば..」という感覚を持ってみてはどうか。

幾らか気分的に楽になれて、

挑戦してみようという気にもなれるんじゃないかなぁ。





<余裕>


限界ギリギリで事に当たっていると、

突発的な事が起こった際に対処出来ず、大きな痛手を負う事にもなる。


余裕を持って事に当たり、結果的に順調に事が運んだ為に余裕分が残ったのなら、

それは、自分の力を貯める為に使えば良い。





<ゆとり教育(小学校を想定)>


スカスカもアカンやろけど、ギチギチもアカン。

順調に進まずに教科書の途中までしかやれなかったんではスカスカと同じやからねぇ。


授業時間増やして、教科書のページ数加減して、

スケジュールに余裕を持たせる。

例えば、

1周間に1時限分余裕のある授業量にする。

で、順調に進まなかったら、余裕分の1時限で埋め合わせる。

また、小テスト等を実施して生徒の理解が不足しているようなら、

1周間通しての復習、あるいは部分的な復習に当てる。

埋め合わせや復習が必要ないなら、

そのゆとり(残った余裕分)を使ってゆとり教育。

力を付ける為の授業を。

考える力や記憶力を伸ばすゲームをしようってこってす。

論理パズルや推理ゲーム、それに記憶テスト。

でもってカードゲーム。

『遊戯王』って漫画あるんですけど、

あれでやってるカードバトル、めっちゃ頭使うと思うんですよ。

カードの知識、バトルの戦略、相手の考えを読むとか色々。

授業でやったら良いのになぁと、以前から思ってたんですけどどうなんでしょか?


ま、遊びは無理としても、

論理学を含む哲学の授業はアリやと思うんやけどなぁ。





<教師ごっこ>


人は人に影響を与える。

なら、他者への影響を意識して生活をしてみてはどうか。

そうすれば、精神面の制御を巧くやれるようになるんじゃないかなぁと。





<感情の危険性>


感情が状況に引き摺られる人がいる。

状況に合わせて興奮したり感情的になったり起伏の激しい人がいる。


もし悪意を持った人が意図的に状況をコントロールしたならば、

そういう人の心は容易に潰れてしまうだろう。





<対象と感情の間>


対象と感情の間には、対象をどう捉えるかがある。

対象をどう捉えるかによって湧いてくる感情が変わる。

捉え方を見直す事で感情はコントロール出来るという事だ。

捉え方を変える事が出来なくとも、

自分がその対象をどう捉えているから、

この感情が湧いてくるという事を把握するだけでも、

激しい感情を緩和する事が出来るだろう。





<他者に認められる事で自信がつくっていうけど..>


その為には他者の期待に答えろと?

これはあんまり良いとは思えない..

他者の価値観の中で生きるって感じやからねぇ。

他者に認められる事よりも、自分が納得する事の方が優るでしょ。


それに自信が必要かってのもある。

自信は過信に繋がるしねぇ。





<仕事の出来ない人>


仕事の出来ない人がいる。

出来ないなら育てれば良い。

でも、育たない人もいる。

なら、性能が確定した人として、

その性能に合わせた起用法を考えれば良い。





<苦手だからこそ>


苦手でなかなか上手く行かないからこそ楽しめるってのはあるでしょ。

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