“私は自分が出来る事だけをする”

<ヤドカリ>


自分を入れ物に合うよう変形する人がいる。

入れ物を自分に合うよう変形する人がいる。

入れ物を取りかえる人がいる。





<大切なものを抱える>


大切なものを抱えていて躓くと、

大切なものを守ろうとして上手く受け身が取れず大怪我をしてしまう。

さらには、大切なものを守り切れないかもしれない。


足場が不安定なら、大切なものを抱えて歩き回らない方が良い。





<悪口>


悪口は自分の嫌いな人を作り出し、

悪口を言い続ける事で嫌いな人をさらに嫌いにする。


嫌いになればなるほど、

その人から受ける不快感も大きくなる。


他人の悪口は、結局自分へのダメージとなる。





<戦争反対>


それには、やられてもやりかえさない覚悟がいる。


NHK『兵役拒否 ~イスラエル・18歳の決断~』

争いを望まず兵役を拒んで牢に入れられた青年は、

父親に「こちらが何もせず、敵の思うがままになっていると、

この国がなくなってしまう。そうなっても良いのか。」と言われ、

「それで争いが無くなるのなら、それでもかまわない。」と答えた。





<平和を願う>


でも、全ての争いが無くなるのは困る。





<人は乗り物>


人はゲノム&ミームの乗り物。

人はゲノム&ミームを運ぶ為に生きている。


ミームは個人に搭乗しているミーム達によって選抜されており、

選りすぐりのミームは個人の発言や行動に大きな影響を及ぼす。

そして、発言や行動として表現されたミームは他者へと伝わって行く。





<人は中継地点>


人はゲノムやミームを受け渡す中継地点。

自分は無数にある中継地点の内の1つ。

どう生きようとも、その役目は果たされる。





<大事なのはこれから>


将来の事を考える。

自分が生きていようがいまいが関係無い。





<修理・改良>


壊れたラジオ、

構造を良く理解していれば、修理出来るし改良だって出来る。


人、社会、世界、何にせよ何かを修理・改善したいのなら、

まずは、それが持っている構造を良く理解するよう努めねばならない。





<死にたいは生きたい>


何の根拠も無い「死にたいは生きたい」を振りかざされると、

誰であろうとも「死にたい」と思っているとは理解されず、

どう力説しようとも「生きたい」と解釈されてしまう。


興味深いのは、この根拠の無い「死にたいは生きたい」を

「死にたい」と思っている人に植え付ける事が出来れば、

自殺を思いとどまらせる事が出来るかもしれないという事。


ただ、マインドコントロールや催眠術で考え方を変える事で、

問題を解決するのが良いのかどうか..





<余計な事に煩わされずに楽しもう>


腹抱えて笑えれば、それで良い。

自分が楽しんでいるかどうか判断する視点に立つ必要は無い。


幸せな状態なら、それで良い。

自分が幸せかどうか判断する視点に立つ必要は無い。

しかし、その視点に立たなければ幸せな状態かどうか分からない。

ならば、端から幸せかどうかなんて考えなければ良い。

そうすれば、「幸せ」に煩わされず自由に楽しめる。





<百戦錬磨の客商売>


電気屋で物凄く値切ったり、沢山オマケを付けてもらったりして、

販売員が完敗宣言したりしますが、

店が損をする取り引きをするはずも無い訳で..


どんな商売でも遣り取り経験は顧客の方が少ない。

利用する機会の少ないものは、商売人側が圧倒的有利。

冠婚葬祭関連とかねぇ。


苦情処理なんかも、

上手くクレーマーをあしらうのに慣れてるやろし、

心理学を盛り込んだマニュアルも導入してるやろし。





<力による抑制効果>


力は、その周辺にある力の抑制効果としても働いている。


身体の一部が障害等で機能しない事で、

他の機能が強く発揮される事がある。


1つの趣味への没頭が解かれると、

視野が広がり他にも自分の趣向に合うものがある事に気付く。


集団にいる強烈な個性を持つ人が1人抜ける事で、

消されていた他の人達の個性が浮き上がってくる。





<自分とは違う意見も尊重しよう>


「自分とは違う意見も尊重しよう」という意見は、

「自分とは違う意見は尊重しない」という意見を尊重するから、

「自分とは違う意見を尊重しようがしまいがどっちでも良い」という意見になる。





<注意の仕方>


注意の言い方が余りにストレート過ぎてキツイ人がいる。

そのせいで関係を悪くして意思疎通が上手く行かなくなり、

行動にズレが生じ、注意する場面が増えてしまう。

注意の仕方1つが悪循環の引き金となる。


だからといって、遠回しに注意するのが良いと言う訳ではない。


言葉を選び、言い方に気を使えば良い。

全く怒っていないという事を表現しながら言えば良い。

また、普段から言い易い関係を作るよう努めておくと良い。





<釣った魚に..>


釣った魚にしか餌をやらないという人がいる。


信頼関係を築けた人にしか餌をやらないのだ。

元手が掛かっていない餌であろうともなのだ。


「餌をあげたにも関わらず信頼関係を築けなかったら損だ」

という考えなのだろう。

でも、信頼関係を築く為には誠意や気遣いを見せて、

友好的である事を知ってもらわなければならない。

というか、そんなのは自然にしてしまうようなもんやと思うん

やけど..


餌を使わず釣ろうとして、必然的に釣れなかった経験が増え、

結果、釣れないものに餌を使うのは勿体無い、と。





<喧嘩しない夫婦>


緩い上下関係があるように思う。

それも、下が生み出す緩い上下関係。


亭主関白にさせる妻。

自ら尻に引かれる夫。


計算ではなく、相手に対する想いから自然にそうするのでないと難しいやろなぁ。

というか、相手を尊重する気持ちがあれば喧嘩になんかならへんでしょ。





<譲り合う>


譲り合うのは双方がそれを欲するから。

最初から自分がそれを欲していない事を表現しておけば、

譲り合わずに済む。


知らない人と譲り合う時の遣り取りはどうも気まずい。

譲って相手に会釈されるのはもっと気まずい。





<師>


自分にとって当たり前の事をしない人を見ていると、

何故しないのかが気になって色々推測する。

そして、自分の考えを省みる。

自分にとっての当たり前が何故当たり前なのか考える。

当たり前だと思っていたから良く考えてもみなかった当たり前を掘り下げる。

そして、自分の持っている価値観の理解を深める事となる。





<謝った後>


相手がどのような人なのか、

自分が謝った後の相手の応対から分かる事は大きい。

特に些細な事で謝った際の応対は個性が良く出る。





<明日でも良い事は明日やる>


自分の将来の為にやらなければならない事は、

自分の将来があって初めて意味がある。

自分の将来がなくなれば、その為だけにやった事は無駄となる。

期限がまだなら焦ってやる必要はない。

だからそれよりも先に、他者の為にやりたい事をやる方が良い。





<見る人は見てくれている>


「見る人は見てくれている」から頑張ろう。

だけじゃなくて、見る方にもならんとなぁ。





<「前向きに捉えたい」という発言>


「前向きに捉えたい」と自ら発言するという事は、

現実はそれほど良くないと分かっていながらも、

自分に都合良く捉えようと少々無理してる、と。


無理な捉え方は必要ない。

折角、自分なりの妥当な判断が成されているのだから、

それに基づいて、以後の展開を考える方が良い。





<攻撃は最大の防御?>


「攻撃は最大の防御」

でも、それは十分な攻撃力があってこそ。

中途半端な攻撃では、隙を突かれて逆襲されるだけ。

そういう意味では、

「鉄壁の防御は絶好の攻撃チャンスを生む」と言える。

それに、守り切れれば負ける事はない、と。


しかし、完全なる攻撃や防御というのは有り得ない。

結局、戦術の価値としては同じようなもの。

其々の性質に合った方を選べば良いと。





<伝言ゲーム>


ある人についての報告を受ける際、

報告者がそのある人の事を良く思っていないと、

報告者が意図するしないに関わらず、

事実が歪められて報告されていてもおかしくない。

また、報告者がそのある人に好意的であれば、

それはそれで、事実が歪められて報告されていてもおかしくない。


人に関して好き嫌いの激しい人からの報告は、

言葉通りに受け取ってはいけない。





<どうでも良いような事>


どうでも良いような事にムキになっている人をを見ると、

「あなたはその為に生きているのですか?」と問いかけたくなる。

しかし、問わずとも結果的にはその為に生きていると言える。


自己を顧みる。

ムキとは言わないまでも真面目に取り組んでいる事はある。

それはつまり、自分はその為に生きているという事。


自分はその為に生きているんじゃないと思うのであれば、

その事に真面目に取り組む必要は無い。





<入信>


私にとって入信するという事は、根拠無しに受け入れることが出来るという事。

ならば、全てに入信可能となる。

しかし、大概のものは排他的なので複数入信する事は難しい。

さて、どれを選ぶか。

既に根拠を放棄した以上、妥当性で判断する事は出来ない。

とすれば、好き嫌いで選ぶしかない。

しかし、根拠無しに受け入れる事を要請するものは好きじゃない。

..結局入信出来ず。


勧誘に対する答えは1つ。

「私が入信したいと思うようになる為の理屈を教えて貰えれば、

それを使って入信しますけど(笑」





<霊の存在を信じると>


霊の存在を信じると不可思議な事だけでなく、

森羅万象あらゆる事に霊の仕業である可能性を考えなければならなくなる。

容易に説明の付く事ですら、霊の仕業を考慮しなければならない。

さらに霊だけでなくその他、宇宙人、妖怪、怪獣、超能力や霊能力の存在など、

複数に渡ってその存在を信じると、それはもう大変な事になる。





<神はサイコロを振らない>


ボーア等が確率的にしか観測出来ない量子を、

「量子は確率的に振舞う」と捉えた事に対して、

アインシュタインが批判的に言った言葉。


最初この話を知った時はアインシュタインに賛成してしまいました。

が、良く考えると超常現象肯定派みたいな事になってしまってるのに気付く。

「人が観測出来ないだけで本当は..」って言ってるんやもんなぁ。

知り得ないものを本当としてはいけないでしょう。

今となっては良い教訓。





<人間の証明>


ルネ・マグリットの絵。

山や木々が見える窓の外の風景、

良く見ると窓に被るようにキャンバスがあり景色の大部分が実は絵。


窓の外の風景を描き、

上手く風景との境界が分からなくなるように配置してあるのかなぁと。


しかし、キャンバスに隠されている風景が、

キャンバスに描かれたものと同じとは限らないのだ。


山が開発され町が作られたのを悲観した画家が、

その絵で町を隠したのかもしれない。


色々考える事は出来るが、それらは全て想像。

実際には何も分からない。

隠されているからではない、無いからだ。





<反省しているフリ>


反省しているフリをやり通せば、

他者にとって、それがフリかどうかは分からない。


何故反省しているフリをするのか。

それは経験上自分にとってそうする事が得だから。


ちょっと待て..

ではフリではない場合はどうなのか。

それもまた経験上自分にとってそうする事が得だからではないのか。


フリであろうとなかろうと大差ない。

だから、フリかどうかなんて気にしなくて良い。

以後の行動を見て判断すれば良い。





<リカバー>


負な出来事にも僅かながらメリットもある。

その僅かなメリットを上手く生かして、

良い流れを作り出す事が出来れば、

結果的に、負な出来事は成功への布石と化す。





<リセット>


持ってる本全てを処分する事にした。


汚れてしまった本数冊を捨てる際、必要な本は買い直さないとなぁと。

それで必要な本を書き出していたら、本当に必要かどうか疑問に思い始めた。

また読むのだろうか、読まない本を置いておいても仕方ないだろう。

本棚から溢れて押し入れに積め込んだり、壁際に積み上げたり、

無駄にスペースを占拠するだけ。埃も貯まり易いし。

さらには大事な本が埋もれて存在感薄くなる。

ものを沢山持っていれば持っているほど、無くした時のダメージも大きいから、

なるべく身軽な方が良いというのもある。

それに情報は日々更新されていて、本もどんどん改訂されてるから、

古い本を置いといてもなぁっていう。


最初は、持ってる本全てを分別して不必要な本だけ処分しようと思った。

でもそうすると、どうしても残す方に偏る。

だから思い切って、一端持ってる本全てを処分する事にした。


必要ならば、その時また買えば良い。





<他人と違う選択>


大抵の人がこうするだろうという時、

それよりも悪くとも損が無い選択肢があれば吟味してみる。

視点が変われば最善も変化する事もある。


大抵の人がこうするだろうという選択肢を選ばない事を積み重ねるという事は、

大多数の人とは違う経験を重ねるという事。

結果、大多数の人とは異なる価値観を持つようになる。


自分の周りには自分とは違った価値観の人ばかり。

自分は自分、他人は他人という感もはっきりしてくる。

だから、他人の行動に腹を立てるよりも興味の方が勝る。


自分との違いで他人を認識する。

人によって違う所や違いの度合が違う。

私にとって、私の知り合いは皆、物凄く個性的。





<考えろ、考えろ、考えろ>


『考えろ、考えろ、考えろ』

これは一度頭の中をスッキリさせる為の呪文。

これを頭の中で繰り返す事で何も考えないようにする。


ほっとくと次から次へと色んな考えが頭の中に浮かんでくる。

今考えなくてはいけない事があっても、すぐ他の興味のあるものが邪魔してくる。

そういう時、この呪文を唱えて全て蹴散らす。

机の上のものを全てどけて作業し易いようにする感じ。

そこで一気に考えを纏める。

のんびりしてるとまた机の上がものでいっぱいになってしまう。





<正しさの中に立て篭もる>


「自分の考えを正しいと思う」

これは構わない。

ここからエスカレートして..

「自分と相反する考えは正しくない」

「自分と相反する考えはダメだ」

「自分と相反する考えは認めない」

「自分と相反する考えの人は拒絶する」

ここまで行くと、

自分で勝手に相反する人と敵対し、

自分の正しさの中に立て篭もるようになる。



『自分と相反する考えであっても、それはそれで構わない』

『出来れば自分が正しいと思う考えを採用してもらえたら有り難い』

ってな感じで行ければ丁度良いと思う。





<他人の指摘>


他人に指摘されて初めて気付く事がある。

という事は、指摘されればされるほど色んな事に気付ける可能性があると。


気兼ね無く何かと言い易いタイプの人ほど、

色んな人に色んな指摘をして貰えてお得なのだ。





<ネットと匿名>


子供に対してはサンタクロースは居ると言う。

この例に限らず、相手の事を考えて言う事や言い方は相手によって変わるものだ。


人は様々なグループに属し、

其々のグループの性質や面子によって自分の役回りが異なる為、

表現されるキャラクターも違ってくる。

仕事仲間、地元の幼馴染、親戚、其々の集まりでの振る舞いは違う。

また、其々のグループが場所や時間で隔たれているから、

違った振る舞いを無理無くやれるというのもある。


さて、ネットでのグループはどうだろうか。

記録は残され、誰もが閲覧出来る。

子供にサンタは居ると言ってたのに、ネット上では居ないと書いてる。

他にも沢山、言ってた事と違う事が書いてある。

今後、話辛くなるのは目に見えている。


心の中で相手の事を想って厳しくしている人が、

ネット上でその事を書いていて、

相手がそれを読んだなら折角の厳しさが台無しになる。

他にも意図や狙いを知られてしまう事でやり辛くなる事は多い。


対策は読まれても良い他愛無い事しか書かないようにするか、匿名にするか。

折角本音を語れる場なのだから、それを生かしたい。

だから、私は匿名を選ぶ。

また匿名だと社会的地位や容姿の影響を受けず、

言葉だけで勝負出来るというのも大きい。





<信じている>


相手の事を信じ、そうである事を前提に事を進める。

ここまでやって初めて信じているという事が確定するように思う。

相手にとってではなく自分にとって。





<女性差別>


どうも相手が女性だと余計に気を使ってしまう..





<海水魚が淡水で生きる事は出来ない>


生きる為には..

・淡水を海水のように変える

・海水魚を淡水で生きれる生態に変える

・海水魚を海へ


相性が悪い場合、どちらかを変化させるより、

なるべく相性が良い組み合わせを作ってやる方が無理がなくて良い。





<出来ない事>


出来る事と出来ない事を把握する。

また、周囲にもそれを分かってもらうようにする。


出来ない事をやろうとして、

やっぱり結局出来なかったら自身へのダメージとなるから。

また、他者に出来ると思われていて頼まれて、出来ない事をやろうとして、

やっぱり結局出来なかったら他者への印象が余計悪くなるから。





<人は基本的に友好的>


大抵の人は相互協力する事が有利だという事を経験上知っているから。

しかし、一端相互協力が出来ないと判断されてしまうと、

友好的な関係を結ぶのは難しくなってしまう。


自分にとって余り価値の無い人であっても、

敵対するよりは敵対しない方が余計なトラブルを無くすので良い。

相手が敵対視しないのであれば、こちらも敵対視する必要は無い。

相手が自分の事を敵対視しているような事があるならば、

それはこちらが敵対視しているような表現をしたからかもしれない。


自らが敵対視しなければ、相手も敵対視してこないものだ。





<有言実行>


有言実行はそんなに難しい事ではない。

実行できる事しか言わないようにすれば良いだけなのだから。


自分の能力を見誤っている人や、見栄っ張りな人には難しいか。


そうか、有言実行に挑戦してみて上手く行かない人は、

自分の事を把握できていないか、見栄っ張りだと言う事だ。





<バカにされる>


相手は自分の事を知ろうとしなくなる。

相手はこちらの能力を見誤り、

さらには小さな変化にも気付かなくなる

暗躍するにはもってこいの状況。

さらに、こちらは相手の事を良く観察し生態を把握したならば、

前もって予測し対策を立てる事も出来るし、

知識と才能次第では相手をコントロールする事も出来る。


バカにして他者の事を知ろうとしないという事は

他者から学ぶ事をしなくなるという事。

他者をバカにすると、結局自らがバカとなる。





<会話>


雰囲気を壊さない様にと、したくもない話をして無理に話を合わせる人がいる。

計算高く、相手を測ったり自分の都合の良い方向へ誘導しようとする人がいる。

そして、そういった人との遣り取りを楽しむゲーマーがいる。





<正しき事は審査されない>


社会、あるいは組織や集団の為にやるべき事をやっている、

という意識で事に当たっていると、他者の邪魔になっていたりなど、

迷惑を掛けていても、それに気付かなくなりやすい。


自分はやるべき事をやっているのだから、

それ自体に問題があるかどうかなど考える必要など無い、

という感じになれば尚更だ。





<他人の心配は程々に>


ある事を問題視するかどうか、

また、問題視したとして対処するかどうかは本人次第。

他人の事を直接どうこうする事は出来ず、

自分で他人の心配を解消する事が難しいから、

他人の心配は程々にしておいた方が良い。


自分ではどうにも出来ない事について思い悩んでも仕方が無い。





<行動決定>


やりたいならやる、やりたくないならやらない。

行動決定は凄く簡単。





<指示>


マシンが理解出来る言語で正確にプログラミングしなければ、

マシンは思うように動いてはくれない。





<個性>


個性は他者が気にする事であって、

自分が気にする事では無い。





<感覚的な頭の良さ>


勉強が凄く出来ると言う訳でもないのに

物事の捉え方や判断に優れている人がいる。

思考センスが抜群に良いのだ。


ん~、あの優れた能力の正体は何だ?





<批判的視点と例外>


情報、特に「○○ならば××」という形式のものを、

あっさり妥当だと判断し取り込んだならば、

増えた情報は「○○ならば××」ただ1つ。


しかし批判的に捉えてみると、

概ね妥当ではあるが例外がある場合が多い。

例外を見つけ出せば、その分だけ情報は増える。

事に当たる際の選択肢が広がるというものだ。





<異なるバックグラウンド>


全く異なる環境で生活して来た人の少し可笑しな行動は、

良し悪しで判断してしまわずに、

自分自身の感覚との違いを楽しめば良い。





<人生はやり直せない>


全ての状態が同一の瞬間というのは無いので、

以前と同じ状態からやり直す事は出来ないが、

人生どんな状態であっても、そこから始める事は出来る。





<社会問題>


どうするのが良いか分からない場合、

実地で実験するしかないと思う。


問題は実験対象となる世代の理解を得られるかどうか。

自分達の子孫の事を重視する人がどれぐらい居るのか。


結局実験は出来ず、有効な対策を見つけられず、

ずるずる泥沼に嵌まっていくしか無いのかもしれない。





<失敗作は成功の母>


アートな作品を作る際、

完成度に拘っているとなかなか先へ進めず足踏み状態になってしまう。

特に始めたばかりなのに完成度に拘って足踏みしていてはどうしようもない。

未熟なのだから完成度低くて当たり前、

完成度に拘らず、どんどん作品を作って経験積んで行く方が良い。





<感謝の御返し>


日頃の感謝の御返しには大苦戦させられている。

その御返しによって相手に感謝されては意味が無い。

相殺されてしまうからだ。

だから、感謝されないようにお礼をしなければならない。

大きな事はやってはいけないし、真面目にやってもいけない。

結局、御返しは殆ど出来ていない..





<ヘタなアート作品>


ヘタなアート作品に接すると、

「ここがこうなっていたら良かったのに」などと考えてしまう。

しかしアートにおいては、そこがそうなっていない事が大事なんじゃないかと。

アートな作品というのは、作り手自身が反映される。

そして技量もまた、作り手の個性だと思うから。





<音楽鑑賞>


音やノリを楽しむ。

歌詞に学ぶ。

作品から読み取れる演者への興味。

やりたい事を大変ながらも頑張ってやっている姿から受ける刺激。





<利他的行為>


自分の判断で勝手にやる場合、

余計なお世話になってしまう事もあるし、

役に立ったとしても、それによって相手に気を使わせてしまう事もある。


それに対して「やれ」と言われてやる場合、

そういった心配は必要無く、安心してやれるので有り難い。





<他者の恩恵>


自分の為に何かしてくれた人に対して、その人の為になるような事をする。

これだとたった2人の小さな輪っか。


自分の為に何かしてくれた人以外の人に対して、その人の為になるような事をする。

さらにその次の人もまた、

自分の為に何かしてくれた人以外の人に対して、その人の為になるような事をする。

さらにその次の人もまた・・・

いずれ大きな輪っかになる。


自分の為に何かしてくれた人に対してではなく、

自分が何かしてあげられる人に対して、その人の為になるような事をする。

そうすれば、

1人が消費する労力は同じでも、より多くの人が他者の恩恵を受ける事が出来る。





<感じ方の違い>


酷く汚れていたのを掃除して綺麗になったと思っていても、

初めてその場に来た人からすれば汚れている。





<説明>


容易に共感され得る意見には説明が要らない。

新たな認識や知識は説明によって得られる。





<リピーター>


繰り返し楽しむ。

本の中には何度も何度も読む本がある。

そして好きな曲はヘビーローテーション。


全く内容同じなのに..

いや、同じだからこそ繰り返すのだ。





<誤解>


人は其々価値観や考え方が違う。

だから、誤解はあって当然。

誤解に気付くという事は、

誤解を解く事が出来るという事。


誤解は相手との認識のズレを修正するチャンスであり、

また、新たな認識を得るチャンスでもある。





<怯える犬>

人間不信で情緒不安定になってしまった犬を救うには愛情しかない。





<程度>


すぐに汚れてしまう場所は、

塵1つ落ちていないほど綺麗にする必要は無い。





<とことんやるのも構わないが..>


とことんやらないと気が済まないからと、

毎日、1つの部屋を1日掛かりで整理整頓&掃除していれば、

常に物凄く綺麗な状態を保てる。

しかし、そのせいで他の部屋は荒れ放題となる。


全ての部屋の事を考えれば、

時間と労力を分担して其々の部屋の整理整頓&掃除に割り当てれば、

全部屋が常に一定の綺麗さを保つことが出来る。


さらに..

人がやらなければならない事は、整理整頓&掃除だけでは無い。





<文化貢献>


文化を盛り上げる為に、自ら文化的活動をする。

手本を見せるのが一番。


文化的活動をしている人を応援&支援する。

自ら活動するよりも効率は良い。





<協調と自分勝手>


協調して事に当たらなければならないのに、

1人で勝手な事をする人がいる。

だからといって憤慨して食って掛かると、

相手はそれに呼応し、さらに協調から遠退く。


敵対しながらの協調は困難を極める。

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