ズタボロでとるファイテングポーズ

<無責任>


無責任なので、周囲に迷惑をかけてしまう。

だから、責任を負うような事は避ける。





<隠し事>


隠し事があるなら、

隠し事がある事自体も隠さなければならない。


不信感を与える事にもなるし、

何らかの方法で突き止められてしまうかもしれないから。





<推測>


状況から色々推測するのは構わないが、

推測によって導いたものは裏付けがなければ確定してはいけない。


これは2時間サスペンスから強く教えられる事。


ピエロ役の刑事が、状況証拠だけで犯人と決め付けて、

結局は違ってるというのは毎度毎度見せられる。


それに、相手が自分を陥れようとしていると犯行におよぶが、

後に犯行が暴かれた際、その認識が謝っていた事を知らされ愕然とする。

そういうシナリオも多々ある。


証拠もないのに決め付けてはいけない。





<自分以外は全て敵>


そう思うのは別に構へんけど。

ただ、そう思うのなら、

自分以外から不用意にダメージを食らって、

ムカついたりイライラしている場合ではなく、

利を搾取するべく策を練り、実行に移していかないと..





<○○なのはあなただけじゃない>


そうかもしれないが、皆が皆○○な訳でもない。

そして、○○ではない人が何故そうなのかを知る事こそ有益なのでは?





<量と質>


量と質について分かり易く提示してくれるのが「腕立て伏せ」。


深く伏せずヒョコヒョコやって兎に角回数を稼ぐ人もいれば、

深く沈み込みしっかり筋肉に負荷をかけてやる人もいる。


回数を稼ぎたいだけならヒョコヒョコで良いし、

健康管理や筋力アップの為ならキッチリ負荷をかけてやる方が良い、と。





<百聞は一見にしかず?>


見るだけでは分からないもの、

経験や知識がなければ読み取れないもの、

多くの人の意見を聞いたり、本を読んだりする方が良いものもある。


物事を理解するには言葉を要する。





<クッション>


コミュニケーションの際、

人と人の間には自主規制のクッションがある。


経験から意識せずに挟むクッションは個性として、

問題は意識的に挟まれたクッション。


少しでも触れると不機嫌になるから話せないとか、

何重にもオブラートに包まないと聞き入れてもらえないとか。


しかし、話したい事が話せないと、思いを伝える事は出来ないし、

何重にもオブラートに包んでしまった言葉では、正確に伝わらない。


寛容なくして意思疎通なし。





<確実に起こりうる事態>


確実に起こりうる事態に対し、

起こって欲しくないと願ったり、

実際に起こった際、残念に思ったりする必要はまるで無い。





<鶏口牛後?>


大きなグループのリーダーと考えが一致するなら、

どんな形であろうとも属する方が良い。





<想像と実現>


実現する事を想定しながら想像力を働かせるのは、

想像力に制限を加える事となり、自由な発想を阻害する。


最大限の想像力を発揮させたい場合は、

一端実現化の事は隅に置いておくべきだ。



映画監督やTVプロデューサーの中には、

実現不可能とも思われる突飛な注文をするそう。

そしてそれら無理難題を解決するのはスタッフ達。

しかし、スタッフ達がその試練を乗り越えた時、

今までに類を見ない斬新な作品が誕生するっていう。





<変化と強化>


人は色んなものを吸収し変化する。

しかし、無節操に変化する訳ではない。

類は友を呼び、朱に交われば赤となるから。


「類は友を呼ぶ」為には、

自分がどんなだかを示していなければならず、

「朱に交われば赤となる」為には、

自分が既に所持しているものが強大でなければならない。





<幸せ>


近しい人達の笑顔が見れる事。





<二重人格>


普段の会話でよく使われている「二重人格」というのは、

本来の意味「解離性同一性障害」ではなく、

「二面性」や「表裏」という意味で使われている。


そして..

「二面性」は状況の違いから生まれる対応の違い、

「表裏」は自分が思う事と自己利益を考え表現する事は違う、

という極当たり前の事で、敢えて指摘するような事でもない。





<問診>


問診を受けに来て、沈黙されてはどうしようもない。





<責任の責任>


責任を負わせた責任は自分にある。





<仕方が無い>


何か頼まれて、

『え~、もう~、しゃ~ないな~』って思いつつやる。

これってそんなに悪いもんじゃない。

あ~、「嫌なものは嫌」を前提とした上でですよ、当然。





<最後の1ピース>


自分なりに答えが出ていない考え事、

でも、ふとした事で解決したりする。

たった1つの情報が鍵となり全てが綺麗に組み上がる。


最後の1ピース、そうは簡単に見つからない。


考え事1つずつ解決して行くよりも、

多くの考え事を抱えて最後の1ピースを狙う方が効率は良い。

だから、考えに行き詰まったら、

あっさり放り出して他の事について考えれば良い。


あと、1つ1つの事柄はとことん考えておかないと、

最後の1ピースをそれと気付く事は難しい。





<郷に入っては郷に従え>


新たに降り立った地では、

そこの決まりや慣習を受け入れた上で、

利を得る方法を考え行動した方が良い。


馴染みの今居る場所も、時間と共に変化する。

人を中心とする状況は刻々と変化し、

決まりや慣習もそれに合わせて変化する。


毎日が「郷に入っては郷に従え」なのだ。





<赤ちゃんの笑顔>


赤ちゃんの笑顔を見ると、

ただの反射だと分かっていても笑顔になってしまう。


笑顔は笑顔を呼ぶって訳ですね。

という事は..


周りの人を笑顔にしたければ自分が笑顔になれば良く、

自分が笑顔になりたいなら、周りの人を笑顔にすれば良い、と。





<学校の勉強は役に立たない?>


内容よりも、

与えられた課題を自分なりにどうこなすかという勉強なんじゃないかな、と。

好き嫌いに関わらず、生活して行く為にやらなければならない事に対して、

どう取り組んで行けば良いかを学ぶっていう。


で、内容の学問。

学問として確立しているという事は、

多くの人が興味を持ち研究し続けてきたから。

という事は、それらには面白みや深みがあり、

遣り甲斐が持てる類いのものである、と。

また、性質の異なる様々なものがある為、得意不得意や好き嫌いが出る。

不得意&嫌いなものは、困難にどう向き合うかのトレーニングになるだろうし、

得意&好きなものは一生ものの楽しみになるやもしれない。





<重宝&貴重なもの>


重宝なものほど、失った際の被害は大きい。

さらにそれが貴重なものであるなら、

失わない様に努めなければならない。


重宝&貴重なものは、それほどお得ではない、と。





<「色々と方法があった」という批判>


余り良くない状況になってしまった事に対して、

「そうなる前に色々と方法があった」等と批判する人は、

実際の所、有効な具体案は浮かんでいないんじゃないかなぁと。





<ダメはダメ>


ダメだダメだと言っていると真実は姿を隠すようになる。





<手放し運転>


自転車に乗れるようになると、

何故か自ら手放し運転に挑戦する子供。


子供の頃あれほどやっていた手放し運転なのに、

何故か手放し運転をしなくなる大人。





<剛と柔>


剛は負荷によって変形はせず、折れるまでそのままで居続ける。

柔は負荷によって湾曲し、折れるまで力を貯め続ける。





<やる気ゼロ>


やりたくない訳ではないし、

やれる範囲でちゃんとやる。

なのに何故か悪いイメージが..





<私はこういう風に生きてるけど、あなたは?>


HIPHOP聴くといつも感じるのがこれ。

MCは自分を語る。

自分の考えや生き方、それに身の回りで起こっている事について語る。

また地声なので、声からキャタクターも伝わって来る。


HIPHOPでMCをやってるって事自体が、

公の場で自己主張してるって事やから、

社会活動をしてると言えるし、

それは生きる事そのものだと。


だから「私はこういう風に生きてるけど、あなたは?」と。

僕は答える「自分はまだまだ甘いです、もっと頑張ります!」って。

そして、力がどんどん湧いてくる。


自分が生きる事で、

「私はこういう風に生きてるけど、あなたは?」って無言の発破、

出来るだけ多くの人にかけられたら良いなぁ。





<毎日が充実していれば、特別な事は必要無い>


日々、

自分の為の努力を積み重ねる事が出来て、

かつ楽しむ事が出来れば満足。

ならば、

自分の為の努力を積み重ねる事が出来ない、

または楽しむ事が出来ないなら不満足。


予定を立て、何か特別な事をする。

パーっと楽しむ、息抜き、気分転換、ストレス発散、心の洗濯。


特別な事をする事によって、

自分の為の努力を積み重ねる事が出来なくなる。

特別な事に費やす日数分、

自分の為の努力を積み重ねる事が出来なくなる。


特別な事をしなければ、

自分の為の努力を積み重ねる事が出来て、

かつ楽しむ事が出来るので満足。

だから、

パーっと楽しむ、息抜き、気分転換、ストレス発散、心の洗濯、

等々は必要無い。





<見ようとしなければ見えない>


気にしていないと、なかなか気が付かない事がある。

何に注目しているかによって、受け取る情報が異なる。

知識の有無で、見える景色が違ってくる。


同じ映画でも、ミステリーだと思って観ているのと、

ヒューマン・ドラマだと思って観ているのとでは違ってくる。


細かなトリックやどんでん返しで観る人を騙す映画は、

一度観た上で再び観ると、色んな事の辻褄が合うのが観れ、

一度目とは全く違う楽しみが味わえる。





<他人の為?>


プレゼントをする。

ほとんど書籍、稀にCD。

雑談していて、ふと頭に本やCDが浮かんだり、

本やCDを鑑賞して、ふと頭に人の顔が浮かぶ。

そうすると早速店に行き入手、でプレゼントする。


さて、ここからが本題。

この行為はプレゼント相手の為なのか?

相手の為ってのもあるけど、

本&CDの為ってのもある。

自分が良いと思うものは広めたい、と。


何にせよ、他人の為に何かをする理由は単純。

それによってその人がより自分の為の活動を活発にしてもらいたいってだけ。

活発な活動は周囲に影響を与え、どんどん広がって行く。

良い感じでしょ。


という自己中で利己的な考えでしたっと。





<一生忘れない>


「この事は一生忘れない」って言うけど、

一生忘れない事って物凄い沢山あるでしょ。

なら「一生忘れない」ってのは大して特別な事やない、と。





<良くする為の2種類の方法>


「便秘と下痢、両方に効く薬ってのはおかしい」

と、電車内で話されてるのを聞いた覚えがある。

間髪いれず『それって整腸剤でしょ』って心の中で突っ込んでた。

それをふと思い出し、なるほどなぁと。


良くする為に2種類の方法がある。

原因そのものを何とかする方法と、

それを取り巻く環境を変える方法。





<精神的頑健>


やるべき事があると、

細かい事やしょうもない事に囚われなくなるし、

そのやるべき事の為に活力も湧いてくる。


そこで、

やるべき事があるという状況を作れば良いんじゃないかと。

自分がやりたい事や成したい事を列挙すれば良い。


お守りにして持っておくってのも良いかと。

紙にやりたい事や成したい事を書き出して、

それを小さな袋にでも入れとく。





<リーダーシップ>


リーダーが思うようにメンバーが行動してくれなかったのは、

リーダーが先立って手本を示すか、

前以って的確な指示を与えていなかったからだ。





<後ろ盾>


振り返ると、自分で考えた色んな事、影響を受けた言葉や作品、

それに、多大な影響を与えてくれた、お気に入りの人達がいる。

..自分にとって、強力な後ろ盾になっているのは間違い無い。





<成長>


人は色々な影響を受けて成長する。

なら、色々な影響を受けられる状況を作れば良い。





<期待>


他人に期待するぐらいなら、自分に期待する方が良い。





<拘る>


どうでもいい事に拘る人は多い。

特に他人の言動や行動に対して。


そこで、ちょっと自問してみてはどうだろうか。

それで自分に得があるのか?

その為に自分は生きているのか?って。

殆どが雲散霧消すると思うんやけどなぁ。





<恩人を作り出す>


自分の為であろうとなかろうと、

他者の行為によって発生したものを生かすよう心掛ければ良い。





<あばたもえくぼ>


欠点までも好いてくれる人がいる。

それは、何とも言えない幸福感と、

それに伴う感謝の気持ちを抱かせる。


それにもう1つ、あばたの視点。

自分は、自分が属する事で集合全体を嫌われるような存在。

しかし、自分が属する集合を嫌う事無く気に入ってくれていて、

かつ、自分をも気に入ってくれている。

これもまたとても幸せな事だ、と。


そういった気持ちが、この言葉には詰まっている。





<アンテナ>


友人知人の趣味趣向に関する事に出くわすと反応する。

こういうのが好きなんかぁとか、

そんで、自分でもちょっと触れてみたり。

あと、この情報知ってるんやろか?とかね。


友人知人が増えるとアンテナも増える。

生活してる中での引っ掛かりが増える。

関心を持って回りを見るようになり、

小さな発見を沢山するようになる。





<壁>


自ら道を切り開いて行っている人に、壁は立ちはだかる。





<それはそれ、これはこれ>


上手く行かなくて落ち込んだ気持ちを引き摺ったまま、

または、上手く行って浮かれた気持ちを引き摺ったまま、

別な事に取り組んでは、充分に力を発揮出来ない。





<やり方>


何かをやろうとする際には、

そのやり方自体を検討する必要がある。


間違ったやり方でやって上手く行かず、

途中で諦めてしまうなんてのはアホらしいでしょ。





<結果より過程?>


頑張ったら頑張っただけ、

結果を出せなかった時の落胆は大きい。


自分が必死で頑張った事が無いから、

「結果より過程が大事」と言えるのかもしれない。


..それでも「結果より過程が大事」だと言いたい。

経過が無ければ結果は無いんやし、経過も含めて結果だとも思うし。





<してはいけない事>


してはいけない理由を許容出来るなら、

それは、してはいけない事でなくなる。





<手柄>


『上手く行ったら、私の手柄という事にしといて下さい。』

相手の為にお膳立てをし、自分が出来るのはここまで、

あとはあなたの努力次第という状況での一言。


言われた側からすると、

自分の為に努力する事が、

お膳立てしてくれた相手に対する恩返しになる。


素晴らしい発破の掛け方やなぁと。





<イライラ>


イライラするというのは自爆行為。

冷静さを欠き、適切な判断が出来なくなるから。

自分で自分に損失を与えてはいけない。


イライラせず、

状況判断をして状況回復に当たったり、

今後の為の対策を講じたりした方が良い。


それにイライラの原因は大抵の場合、

長い人生から見れば、取るに足らない事である。





<レッドカード>


サッカーの試合で、

審判に対して暴言を吐いたり、

自分に対するファウルの報復で相手に一撃を加えたりして、

イエローカード、悪ければレッドカード貰う。


イエローカードを貰うと、

以降強いアタックが出来なくなり、

レッドカードを貰うと、

以降チームは一人少ない状態で戦わなくてはならなくなる。


試合に勝ちたいのなら、

試合の流れの中でのファウルでカードを貰うのはともかく、

全く試合には関係の無い事でカードを貰ってはいけない。



『自ら、目的から遠ざかるような事をしてはいけない。』





<盤外戦術>


一昔前、将棋の世界では、

盤外戦術等で心理的に揺さぶりを掛けてミスを誘う、

という事が積極的に行なわれていたそうです。


目上格上の棋士が目下格下の棋士に、

意図的に話し掛けるだけでもかなりの圧力があったようですが、

段々と目上格上の棋士に物怖じしない棋士が増え、

通用しなくなって行った、と。


また盤上においても、

相手をバカにするような手を指して動揺を誘う等の心理作戦がある。

有名なのでは「後手の初手9四歩」とか。


それらもまた、棋士達はさほど気にせず対局に集中するようになり、

驚きこそすれ動揺を誘うほどの効果は持たなくなった、と。



『心を乱してしまうと、日頃の努力を台無しにしてしまう。』





<大声で叫んでスッキリ?>


静かにじっくり考え、理解を深めて、

自分なりに納得する方が良い。


大声出して気分的にスッキリした所で、

結局は何も解決していないからなぁ。





<歳を重ねる>


歳を重ねる度に、

より物事を楽しめるようになる。


物事に対する理解が進み、

また、物事を色んな角度から見る事も出来る様になって行くから。





<犬も歩けば棒に当たる>


良い意味と悪い意味があるみたいですけど。

どっちにしても、動き回らないと出会いは無い。

そして、出会いによって、

思いも寄らなかった素晴らしい道が開かれる事もある。


世の中、動き回ったもん勝ちって事です。





<文句>


過去の事に文句を言っても仕方がない。

文句を言った所で、過去は変わらないのだから。

当然、未来の事には文句の言い様がない。

文句が言えるのは現在進行形の事だけ。


相手は自分と意見を異にする。

もし相手が対等以上なら聞き入れてはくれないだろう。

以下なら聞いてくれるだろうが、しかしそれは力技、

相手の心に負の感情を持たせるという見えないリスクを背負う事になる。

だから、あまり有効とは言えない。


文句は必要ない。

じっくり話し合えば良い。

それでダメなら..仕方ない。





<ルール>


従う方が得なら従う。

従わない方が得なら従わない。

ルールとはそういうもの。





<問&答>


1つの問いには1つしか問いがないが、

1つの答えには無数の問いがある。


質問に答えるより、

意見を聞く方が得るものは多い。





<稼ぐ>


貧しい人達の真っ只中より、

豊かな人達の真っ只中の方が稼げる。

これはお金に限った事ではない。


大きく利を稼ぎたいなら、

周囲の人を豊かにすれば良い。





<自己変革>


結果的にそれで良いと思っているからそうなのだ。

自己肯定している自分を自分で変えるのは難しい。





<成功本?>


成功する為の本ってのがウジャウジャ売ってる。

でも..

自らが成功してる人がいちいち執筆なんかする訳はない。

本当に成功する本が出たならそれ以降の本の需要はなくなる。

成功する人は、その為に自分自身で学び経験を積み、

自分なりの成功法を見出してる。


本に書かれてある事が最後のピースとなる事はあるかもしれないが、

本を読んで全て補えるという事は無い。





<付加価値>


名古屋の喫茶店ではコーヒーを頼むと色んなオマケが付いてくる。

喫茶店同士の生き残りを掛けた戦いでどんどんエスカレートして来たそうですけど、

コーヒーだけ飲みに来た人にはちょっと困るやろなぁと。

店によってはコーヒーに合わないものを出されるようで..


変わって電気製品では、

機能を最低限に押さえたシンプルさを売りにした商品が販売されてる。

携帯電話でもTU-KAが「話せりゃ良いじゃん」というCMをやってる。



消費者にとっては、

必要な物をなるべく安く手に入れるってのが基本。

不必要な付加価値をなら、

付加価値を無くしてその分安くしてくれた方が良い。


消費者からすると、付加価値は“抱き合わせ”のセット販売。





<納得>


納得していないのに選択する事は出来ない。

行動&言動は自らがそうすると決めなければ生じないから。

行動&言動に移した時点で納得した事が確定される。





<何故って>

全てはビッグバンの惰性。





<無償と有償>


とあるサイトでは検索して報告するとポイントが貰える。

検索好きやから、やれば幾らかポイントを稼げると思う。

でも、全然やる気がしない。

伝える相手が知り合いかどうかというのも関係あるやろうけど、

それだけじゃない。

無償でもやる事に報酬が発生するというのが、どうも違和感がある。

行為が報酬でチャラになってしまう感じ。

報酬の為にやるって感じになってしまう。

それでは、やる気なんて出る訳が無いわな。


それをやるのが好きやから、やりたいから、

相手の為にやってあげたいから、やる気が出る。


無償でやれる事を有償でやるようになると楽しくなくなる。





<社会的成功者>


成功者の話す理論を実践してもなかなか上手く行かないのは、

成功者がその理論だけで成功したからでは無いからだ。

理論より大事だと思われるものがある。

それは尋常でない意欲と活力。

理論はベストである必要は無く、

そこそこ良い理論が採用されていれば良い。

本人がその理論を自信を持って遂行すれば、周りの人は付いて来る。

また、自ら奮起して頑張れば、周りの人も追随する。

あとは、周りの人を潰さなければ良い。

ま、それでもなかなか成功する事は出来ない。


てか、社会的成功ってのは必要ですか?





<答えは自分が決める問い>


他者にどんな答えを提示されようとも、

その答えで良いのかどうかを自分自ら判断する類いの問い。

それは結局、「答えは自分が決める問い」だという事。

思想&哲学的な問いは大抵そういう問い。





<人は何の為に生きるのか?>


人は自らが欲しなければ行為する事は出来ない。

つまり、人は自分の為にしか行為する事が出来ない。

生きる事も行為の内。

【結論】

人は其々自分の為に生きる。


ま、自己願望実現の為に努力しましょうよ、と。





<人は何故生きるのか?>


利他的な遺伝子は、その性質の為に滅んだ。

乗り込んだ個体を死に向わせる遺伝子は、その性質の為に滅んだ。


現存する生命は生まれながらにして、生きようとする性質を持っている。





<青空>

青空が青いのは、人間の視覚が青く見えるように出来ているからだ。





<無断複製推奨>


良いものは広がるし、そうでないものは衰退する。

自分が良いと思うものは広がって欲しいし、

自分が思いついたものが良いのかどうか吟味してもらいたいし。

ま、アホの妄想からヒント見つかるって事もあるやろし。


私の発言を聞いてというのが完全に葬り去られて、

その人が自分の意見ですって表現されるようになれば嬉しい。

それって完全に潜り込んだって事やから。

つか、私の意見も元々は色んな人の意見だったり、

色んな人の意見からヒントを得て作ったもんやったり。


考えは人を介して感染して行く。





<投資>


一時的に自分の為にする事が無いのであれば、

他者の為に良かれと思う事をすれば良い。


それによって他者が喜ばしい状況になれば、

自分も嬉しくなり、心が元気になる。





<普通は..>


「普通は..」と他者の行動を批判する人がいる。

この場合の“普通”は何を指しているのか。

現実の行動を批判している以上、現実ではなく非現実。

妥当な線は“理想”とか“自分の感覚”というところ。

「理想通りでなければならない」、

「自分の感覚と同じでなければならない」と。

ま、訳の判らない言い分である。


まだ、対象者に対して言うのであれば、

「自分はこうして欲しい」という要望の意味として捉えて貰える可能性があるが、

無関係の第三者に対してだと、相手にとっては意味不明。


現実はそのまま受け入れる。

そして、今後どうすれば自分の希望通りに出来るか試行錯誤すれば良い。





<考え>

始めは判断力など無いので、

与えられた情報をそのまま取り込まれる。


その内、情報同士が干渉し合うようになり、

整合性の無い情報は破棄されたり修正されたりして行く。


新たに与えられる情報は既に蓄えられた情報によって審査を受け、

合格したものだけが取り込まれる。

----------------------------------------

考えの基礎は正しい情報で構成されている訳ではなく、

根拠や証拠無しに受け入れられたものでできている。


考えは取り込まれた情報同士の整合性、

それから、その考えに基づく実践の結果によって、

よりマシなものになって行く。





<不確実で危うい世界>


歴史はどの書物を信用し、どう解釈するかで変化する。

今現在の事も同様ではないだろうか。

どの情報を信用し、どう解釈するかで変化する。


我々人間は不確実で危うい世界に生きている。





<個性>


人ってのはどんな人間であれ、

深く付き合って行くと特殊性が浮き彫りになり平凡な人間ではなくなる。





<我侭>


我侭じゃないというのも我侭。

なら、何であれ全て我侭。

敢えて「我侭」だと言う必要は無い。





<限界ギリギリ>


カーレースでは道幅目一杯を使って、出来るだけ速く走り切るコースどりをする。

トップレーサーは壁際ギリギリをも走り抜ける。

ほんの少しでも道を広くえば、それだけ減速期間を短縮できるから。

----------------------------------------

限界ギリギリでの勝負が成功したなら、最大限の成果をあげる事が出来る

しかし、限界ギリギリでの勝負をするには、精度が高くなければならない。

精度が低く振り幅が大きいと容易にラインを越えてしまう。

自分の能力によっぽどの自信がない限り、限界ギリギリでの勝負をしてはいけない。





<チャンス>


頑張っていれば、それを見た人がチャンスを運んで来てくれる事もある。

動き回っていれば、チャンスに出会う可能性は高くなる。





<笑顔教室>


営業や販売など人相手の仕事をする人達は、

笑顔の重要性が問われているようで、

笑顔セミナーや笑顔教室というものが開かれている。


内容は顔の筋肉を動かしたり、

笑顔の作り方を学んだりといった事をやっているみたいですが..

そういう、どう笑顔を作るかって事をやっても、

結局、不自然な作り笑いしか出来ないでしょ。





<夜道を歩く>


夜は「終焉」をイメージさせる。

そのイメージはさらに「このまま終わっても良いのか?」という問いに変わる。

当然答えは「否」。

答えると同時にやる気が湧いてくる。





<新たに何かを始める時は..>


始めは質より量。

始めから質に拘ると何も出来なくなってしまう。

量をこなす事で習熟していける。

始めは兎に角、数をこなせば良い。





<怒らず策を練る>


怒って何とかなるというのは権力者の考え方。

実際に権力を持っているのなら何とかなるかもしれないが、

そうでないなら怒った所でどうにもならない。


怒るよりも、策を練り適切な対処をする方が良い。

怒っていると、その間に一歩も二歩も出遅れてしまうから。





<嘘怒り>


セリフは怒ってるけど、表情や態度は怒っていない。

つまりは「嘘怒り」。


怒っていないから、

言われる方は萎縮したり硬化せず言い分を聞く事が出来る。


ただ、ある程度の信頼関係が無いと軽く聞き流されてしまう。

----------------------------------------

映画やTVドラマでの家族や仲間内でのやりとりで、

キツイ口調で怒る人の表情が微笑んでて、

怒られた方も苦笑混じりで微笑んでるってのあるでしょ。

あ~ゆうのって何か良いっしょ。





<大人は○○>


「大人は○○」と考えて自分を律する。

自分に対して使われるのは良いんやけど、

これが他者に向うと..

「あの人は○○でないから大人ではない」

もっと単純に「あの人は子供っぽい」と相手を子供視してしまう。


これはどんなものにも当て嵌まる。

何かを良いとすると、それが出来ていない人を見るとダメなように思えてしまう。

さらに、人は自分自身を正当化しようとする。

結果、自分と同じ様にやらない人をダメだと思ってしまう。


自分と他者は違うという事を前提に物事を考えなければ、

他者を過小評価してしまう。





<○○にしたい>


「○○になって欲しい」とか「○○になれば良い」だと、

他人の手に委ねられてしまってる感じで面白味が無いが、

「○○にしたい」なら、自分が関われる余地が感じられる。





<負のフィードバック>


ばれると信用を無くすような事を続けていると、

他者もまた自分同様そういう事をしているものだと思うようになり、

他者を信用出来なくなるのではないだろうか。





<嬉しいHP更新一時休止>


良く行くHPが更新されていないと、ちょっと寂しい。

が、そうでない場合もある。

それは、一時停止の理由が喜ばしい事であった場合。


「凄くやりたい事が出来て、それに没頭したいので」

とかって書かれていると、更新されてない事が嬉しい。





<自分に腹を立てる>


「反省」なら分かる。

「後悔」も分からなくはない。

でも「自分に腹を立てる」というのはどうも分からない。

言葉通りの意味ではないような気はするんやけど..





<流用>


アイデアを他の場面で利用する。

色んな場面での色んなアイデアを貯め込んでおけば、

直面する場面に使える。

そのままで適応出来るものもあれば、

修正の必要なものもあるだろうが、

アイデアの蓄積が無く、ほぼゼロから考える事と比べると、

圧倒的に優っている。


..というような事を考えていたら、

以前書いたものが頭の中に浮かび上がって来た。

『長所とは、生かす場が多い特徴。短所とは、生かす場が少ない特徴。』

(井の中の蛙1より)

これを書いた時は人を想定してたんやけど、

これって何にでも当て嵌まるな~と。

特定の場面で利用される製品のデメリットがメリットになる場面を見つけて、

上手く作り変えれば新製品の誕生。

デメリットでなくとも副産的な特徴に注目し、

それを利用して何か出来ないか考えてみるのも良い。


..というような事を考えていたら、

以前テレビで取り上げられていた、ある製品が頭の中に浮かび上がって来た。

「紙オムツに使われている吸水剤を利用した、水を吸って膨張する土嚢」



場面やアイデアを多く知れば知るほど、

流用出来る組み合わせを見つける可能性が増える。





<本末転倒>


現状打破の為に未来を犠牲にしてしまっては本末転倒。





<ボキャブラリー>


ボキャブラリーは豊富な方が良いという訳ではない。

自分の世界観に無い言葉を使っても伝わり難いだけだから。





<お金で何とか出来る事もある>


『O・ヘンリ短編集(一)』

この本に収録されている「黄金の神と恋の射手」。


お金持ちの老人は大金を使って、

息子に「お金では買えないもの」を手に入れるチャンスを作り出すという、

息子想いの豪快な爺さんの痛快話。


高額小額に関わらず、

上手く使えば普通では手に入らないようなものを手に入れる事も出来る、と。


(余談)

因みにO・ヘンリ短編集で好きなのは「振子」と、この短編。





<他者の意見>


他者の意見は正確に覚えていなくとも良い。

ポイントだけ押さえていれば良い。


歯抜け箇所を自分の知識で補う事で、

自分の考えと結びつき、いずれ自分の一部となる。


余りに正確に覚えていると、

いつまでも他者の意見として存在し、取り込まれ難いように思う。

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