自分が死んだ後の為に生きる

<そこで良い評価をされる事が自分にとって価値があるのか?>


何でもかんでも良い評価を得ようとすると、

結局2兎追うものは1兎も得ずという事になり兼ねない。

自分に必要な価値のある良い評価を得られなくなってはどうしようもない。


『そこで良い評価をされる事が自分にとって価値があるのか?』

を考えとかないとねぇ。





<“怒”な感情>


“怒”な感情を表に出さない人の方が怖かったりするでしょ。

“怒”な感情を押さえ込んでるのなら、その判断は妥当やろうけど、

元々“怒”な感情が浮かんでこない人だと、その判断は困りもん。





<自分に出来る事をする>


「自分にしか出来ない事をする」じゃなくて、

「自分に出来る事をする」で良い。


凡人が自分にしか出来ない事をしようとすると、

特別な事をしないとダメだと考えて、二の足を踏んでしまい、

結局何もしないって事になる。





<良い人>


相手が良い人だと判断出来れば、当然良い人に対する接し方になる。

そうすると、相手は良い人に対する接し方をする自分を受け入れてくれ易くなる。


相手が良い人だと判断するのが早ければ早いほど良い。

最初に不信感を持って相手に接してしまうと壁が出来てしまい、

また、その期間が長ければ長いほど壁は厚くなる。

そうすると、その壁を崩す事から始めなければならなくなってしまう。





<悪い人>


悪い事をしないと悪い人にはなれない。





<討論の勝者>


討論をすると、

自分の意見の方が正しいと再確認したり、

あるいは細部に修正の必要を見出したり、

完全に考えを覆す事になったり、

自己認識の強化や改善がなされるので、

結果的に両者とも利を得る事になる。

そう言う意味で両者共に勝者だと。


自分の意見を述べるだけでも、

意見を分かりやすく纏めなければならず、

自然に考えを整理する事になるので有益。





<相互影響>


交流していて、相手から影響を受けたなら

大抵、自分も相手に影響を与えている。





<相手を知る>


積極的に相手の事を知ろうとするなら、

相手に働きかけて、その反応を見ようとする。

しかし、その働きかけが相手を変質させているかもしれない。

その働きかけがどういった効果を及ぼす可能性があるのか考えておく必要がある。





<誰とでも話す事が出来る>


自己アピールで「明るい性格で、誰とでも話す事が出来る」っての。

これって相性無視、というか相手人格無視って感じが..





<小さな厚意>


小さな厚意は、

小さくてほとんど労力を必要としないからやってあげよう、というよりも、

小さくてほとんど効果がないからやらなくていい、ってなってしまうような。

やった所で相手にも大して気付かれず、自分にとってもメリットが無いと。

しかし、自分にとってメリットが無いからこそ、

相手の為だけになされるその行為は“気持ち”そのものだと。


見過ごしそうな小さな厚意ほど価値があると思う。





<オンリーワン>


敢えてオンリーワンになろうなどと考える必要は無い。

なぜなら、既にオンリーワンなのだから。





<人其々違う>


考えや行動が違っていて当たり前なのだから、

他人が何をしようが構わない。


が、以後そういった行動をして欲しくないなら、

そうなるよう働きかければ良い。


腹を立てる必要はどこにも無い。





<諦めたら終わり>


「諦めたら終わり」という事は、

終わらせたければ諦めれば良い、と。





<未来を選ぶ>


この現在を選んだのは自分自身。

未来を選ぶとはどういう事か、もう経験済み。





<楽をする>


楽をするという事は、鍛え損ねるという事。





<他力本願>


積極的に周りを巻き込んで何かを成す。

1人ではどうにもならない事でも、周囲の協力があれば何とかなる事もある。

巻き込まれる側も、色々関わる事で様々な経験が出来る。





<フェイバリット>


今、自分が気に入ってるものがあるでしょ。

それを好きになったキッカケを考えてみると良い。

自分が思っても見ないところから現われて来ませんでした?


自分のフェイバリットと成り得るものが、

もしかすると、身近にあるかもしれません。

色んな事に首を突っ込んでみれば?

他者の協力依頼を受けてみれば?

何気なく出た話題を掘り下げてみれば?





<釣り>


釣りたい魚の好む餌を使わなければ釣れるものも釣れない。


得たいもの、得たい人、それから得たい状況、

それらが好む餌を使わないと得れるものも得られない。





<しつけ>


誉められた直後は少し頑張るようにする。





<落ち込む>


“落ち込む”ってのは、

以前と比べて状況が悪くなった事を悲観するって感じですか。


なら、以前と比べなければ良い。

比べるとしても、それは変化として捉えれば良い。


今はそうでしかないのだから、そのまま受け入れれば良い。

今がスタート地点だと思えば良い。





<他者の良い部分>


良い部分が見えるというのも考えもの。

良い部分を知っているだけに、

何があろうと見捨てるって事が難しくなってしまうから。





<他の誰かと入れ替われるとしたら>


一時的に他の誰かと入れ替われるとしたら、

入れ替わってみたいですか?


私はパス。

ずっと自分で居たい。

自分の思う理想的な人に一番近いのは自分やから、

自分が一番居心地が良い。


てか、ちょっと思ったんですけど、

完全に入れ替わるのは可能なんじゃないかと。

完全に入れ替わるのと全く入れ替わらないのがイコールなら、ねぇ。





<リセット>


匿名で活動しているので、

何か問題があればHPをリセットして、また新たに始めれば良いと思っていた。

でも実際HPを始めてみると、そう簡単にはリセット出来ない事が分かった。


ネット上の自分というのは、自分の書き込みが全て。

自分の書き込みが多ければ多いほど、広がりや奥行きが出る。

掲示板が設置してあるならば、他者との交流史が残されていて、

楽しかった事哀しかった事、良かった事悪かった事などが一杯詰まってる。

HPを長く続ければ続けるほど、リセットした時失うものが大きくなる。


リアルにまで被害が及ぶので無い限り、リセットは出来そうにも無い。





<正直戦略を採らないなら..>


嘘を付くと、辻褄を合わせるための思考と本来の思考、

2種類考えなくてはいけなくなり、思考力が分散してしまう。


バレた際のダメージは予測し辛く、ストレスがかかる。

当然バレれば一気に信用を無くす事になる。


キャラを演じていると、本来の自分に対しての批判が無くなる。

つまり、自己向上の機会を失っている。





<本人に聞く>


まだ良く知らない間柄の人の発言の意図が掴めなかった時、

第三者に聞くのはあまり良いとは言えない。


良く知る人ならばともかく、自分と同様良く知らないのなら、

その憶測の正確性は低く、誤った見方をしてしまいかねない。


本人の事は本人に聞くのが良い。

聞き辛いのなら、点を繋げて線となるような複数の質問に分けて聞けば良い。





<自己正当化>


はみ出し者は周囲から評価されない。

だから、自分がこれで良いのかどうか自分自身で判断するしかない。

ダメだと思ってしまえばそれまでだが、

自分はこれで良いんだと思う場合、自己正当化に努める。


自分がそうである事について考え、

自己と他者の違い、自己と他者との関係について考える。

結果的に自分の置かれている状況を良く把握出来るようになり

また、自分自身に自信が持てるようにもなる。





<浮かれる&落ち込む>


何か良い状況で浮かれる。

でもそういう状況で浮かれていては勿体無い。

冷静に状況判断し、良い状況の持続・拡大に努めた方が良い。


何か悪い状況で落ち込む。

でもそういう状況で落ち込んでいては勿体無い。

冷静に状況判断し、悪い状況の対処・回復に努めた方が良い。





<謝って済むなら警察は要らない>


謝って済む事も多い。

謝って済むのに謝らず事態をより悪くする必要は無い。





<被害>


対処が遅いと被害は拡大する。





<小さな反省の連続>


些細な言動や行動を逐一反省する。

少しの違いが、全く違う結果を生む事もあるし、

小さな事の積み重ねが良い環境を生み出す事にもなる。





<動物は裏切らない>


「動物は裏切らないから良い」と言うペット好きな人がいる。

そういう意味でなら、人も裏切らないと言えるんじゃないの?





<得>


得する事よりも損をしない事を考えた方が良い。

得を巡って他者と争う事になれば、

その為のコストやリスクが生じる。

結果的に損をする事もあるし、

得をしたとしても別の所で損をするという事もある。


その得が自分にとって必要不可欠のものならばまだしも、

そうでないのなら、自ら達成難度の高い方を選ぶ必要は全く無い。





<Live>


勉強せずに試験を受けたり、

鍛錬せずに試合に挑んだりするのは、

端から勝負を捨てているとしか思えない。





<暇潰し>


「暇潰し」って発想がどうも..

「気分転換」ならまだ分かるんやけどねぇ。


誰だって「欲」はあるでしょ。

そうするとその為にやらなければいけない事があるし、

出来るだけ多くの欲を満たしたいのなら、

自分自身の能力向上に努める必要がある。


やる事は幾らでもある。





<裏切る>


信用されなければ、裏切る事は出来ない。





<写真鑑賞>


絵画だと、

描く為に時間と労力を必要とする為、

描画対象にそれなりの思い入れがなければ描けない。

裏を返せば、絵画には描き手の描画対象への思い入れがある、と。

その描画対象への思いを感じ取り共感・感銘・感動する。


しかし写真だと、

思い入れが有ろうが無かろうがパシャッの一瞬で終わる。

思い入れの裏付けが無いから、撮り手の被写体への思いが伝わって来にくい。

だから、写真にあまり興味を持っていなかった。


それが最近写真も良いなぁと思うようになった。

被写体に何か意味がある場合、

特に被写体が人物で撮り手に対して表現している場合、

敢えてそれを写真に収めた 撮り手と被写体との間に、

気持ち等の遣り取りを感じ取れると興味深く楽しめるなぁと。





<自己改革>


変わろうとするんじゃなくて、

先ずは変わろうとする決意を強める。


強い決意がなければ、

変わろうと思うだけで終わってしまう。


しかし、決意を強める為の特効薬は無い。

状況を把握し、変わる為に何が必要か考え、

それに基づいて行動を起こせば良いが、

何が有効なのか簡単に分かるものでは無いので、

諦めずに思考錯誤を続ける。


結局、そうやって目標に向って努力し続ける事が、

自分自身に力を与え、延いては決意の強化に繋がる。


そして、強い決意を持ち得た時、

自己改革はほぼ完了している。





<話を遮る人>


特定の事柄についての話をしようとすると、

無視したり怒り出したりして話を遮る。


自ら事実に死角を生み出している。


物事を判断する時、その判断材料が多いほど良いというのに、

自ら判断材料を切り捨ててしまっている。





<嵌まっている人の多い趣味>


多くの人が嵌まっているという事は、

その事柄には何がしかの人を引き付ける要素があるという事。


また、奥が深いからこそ飽きずに取り組める。

面白さの肝は表面上よりも内部にあるのだ。


ちょっとやそっと関わっただけでは、

その事柄が持つ面白さに触れる事は出来ない。


時間と労力に余裕があるなら、

友人知人が嵌まっている趣味に挑戦してみては?

分からない事があれば、その友人知人が導いて貰えば良い。


生涯に渡って楽しめる趣味になるかも。





<常識>


非常識な事ばかりだと嘆くのは、

常識について行けてないから。


非常識な事ばかりだと嘆く人、

そういう人の方こそ非常識なのかも。





<犬の首輪の紐>


散歩中の犬の首輪の紐が長くて弛み捲くってると、ちょっとビビる。

でも、紐を長いのは飼い主が犬を信用してるから?

そういや、物凄く短く持ってる飼い主の連れてる犬は大抵やんちゃ。

なら、紐が長い方が安心。

と思ったけど、飼い主の判断力が信用出来ひんからダメだ..





<吐き出す>


呼吸って吸うよりも吐く方が大事で、

肺から一端空気を出してやらないと次のが入らないっていう。

だから呼吸が苦しくなったら吐く事に意識して呼吸すると良い。

(とまぁ、無意味な前置きはこれぐらいで)

情報も同じで、まず自分の思っている事を出すのが大事と。

出す為に自分なりに整理しているというのもあるし、

それよりなにより周囲の反応がある。

その反応は、自分が出したものに対してなのだから、

自分にとってピンポイントな情報をもたらし易く、

それを感受する事でさらなる思索をする事が出来る。


出力は入力を生み、処理を促す。





<妥当な判断>


他者に晒さず批判から保護された「判断」は、

修正・改善が成されぬまま妥当性を欠いた状態で放置される。


様々な事柄に関して自分はどう思っているのかを話し合ったり、

色々な人の意見を聞いてみたりして「判断」の精度を上げよう。





<ピグマリオン効果>


皆が皆を期待するようになったら、

世の中どえらい事になりそうやなぁ。





<独り善がり>


誰々に幸せになって貰いたいとか、

より良い社会になって欲しいとか思うでしょ。

でも、その「幸せ」や「良い」は、自分が思う「幸せ」や「良い」。

皆の総意や多数決で決まった「幸せ」や「良い」ではない。

他者の意見の影響を受けてはいるけど、結局は独り善がり。


「独り善がり」を批判してるんじゃない。

どんなに頑張っても「独り善がり」からは抜け出せない。

だから、それを踏まえて事に当りましょうよ、と。





<同じ人間なのに…>


「同じ人間なのに…」という非難発言がある。

でも、同じでないといけないのは人間って事だけ。





<小動物のペット>


犬や猫なら、不満があれば飼い主に反抗する事も出来る。

でも小動物達にそれは難しい。

小動物達の不満は全てストレスとなり、

精神を蝕み、いずれ身体を病む事となる。


小動物達の不満は飼い主が解消してやるしかない。

生態を良く理解し、常に健康状態を把握、

変化を読みとって適切に対処してやらないといけない。


小動物達の生命は飼い主の手に握られている。

だから、何の知識も無しに無責任に飼ってはいけない。

十分な世話が出来ないのなら飼ってはいけない。


心理学で「尽くすと好きになる」ってのがある。

十分に世話をすれば愛情も深まる。

でもって、他への愛情の大きさは自己の幸福感に比例する、でしょ。

って事は、しっかり飼う事が出来たなら幸せが増えると。





<子供好き>


「子供好き」と「人間好き」は何が違うんやろ?





<チャンスを増やす方法>


「ピンチはチャンス」って言うでしょ。

これが本当ならピンチに陥り捲くればチャンス倍増~。





<プレゼント>


相手が欲しがっている物よりも、

相手が所有していれば良いなぁと、

自分が思うものをプレゼントする方が面白い。


貰う側からすると、

相手が自分の事をどういう風に見ているのか分かったり、

自分では気付かない、

自分にとっての「鬼に金棒」に出会えるかもしれない。





<アホ論議>


アホにアホと言われても、

相手はアホなのだから判断を間違っているだけなので、

どうって事無いから腹は立たない。


なら、自分がアホじゃない場合、

自分の事をアホと言う人は皆、

判断を間違えているのだからアホ。


とすれば、自分がアホじゃない場合、

誰にアホと言われても、

どうって事無いから腹は立たない。





<力の合成>


現実は人を含む全てのものの総意で決まる。





<良し悪し>


何らかの目的があって、

その目的達成に効果のあるものが「良し」、

逆効果となるものが「悪し」。


単独の「良し悪し」には物差しが無いから意味不明。





<協力>


「協力を得る」というのは「利用する」とういう事。

「相互協力」というのは「互いに利用する」という事。


もっと皆が皆を利用するようになれば、

もっと多くの事が成せるやろなぁ、と。





<悪く捉えない>


相手の行動の意図をどう捉えるか。

それなりの根拠があるなら悪く捉えても良いが、

根拠もないのに悪く捉える必要は無い。


もし、悪く捉えなかった事が間違いだったとしても、

相手に対して、悪く捉えていない対し方で接する事が

相手に対してのメッセージになるから。





<お化け>


お化けは怖い。

でも、存在しないので怖くない。





<全く腹が立たないというのは..>


大した事も無いのに平謝りされて、

逆に恐縮したという経験あるでしょう。


毎度そういう感じになってしまう。

『参ったなぁ』と。


見た目では、腹立ててないってのは分かり辛いから、

特に日本人、感情を抑えたりするから。

全く腹を立てていない事を伝える事は難しく、

全く腹を立ててないのに謝られてしまう。


普通なら「怒る」vs「謝る」で相殺されるところ、

「怒る」が無いから、相手の「謝る」攻撃だけが炸裂する。

だから、なんとなく連戦連敗してるような気に..





<理解しない>


「いくら言っても理解しない」と批判する人は、

「いくら言っても理解しない」という事を理解していない。





<バタフライ効果>


これがあるから、希望をなくすなんて事は無い。





<呪文>


言葉やそれに準ずる仕草や行動は呪文みたいなものだ。

手の届かない所にあるものを、自分から取りに行かなくても、

傍にいる人に頼めば手元に届く。

しかし、未熟な魔術師は呪文を間違える。

命令口調で唱えたり、手が届かない事について怒ったり。


呪文は弱まりこそすれ永続効果を持つ。

何度も同じタイミングで呪文を唱えていれば、

呪文無しで効果を得る事もあるし、

相手の機嫌を悪くする呪文を連発していると、

以前は効果のあった呪文が効かなくなる事もある。


呪文は、その効果を意識して唱えなければならない。





<影響力>


身近に居る人から受ける影響は大きい。

中でも、最も長く一緒に居て、最も身近な存在なのは自分自身。


自分の言動は、常に自分に見られている。





<批判的精神の善用>


大抵の人は慎重で、人の話を鵜呑みにせず、

批判的に捉えてみた上で、それでも納得出来れば受け入れる。


その批判的な性質を上手く利用し、

相手が喚起した批判、それこそが自分の伝えたい事、

となるような意見を言う事が出来れば、

ほぼ無理無く受け入れて貰えるだろう。





<○○としての自覚が足りない>


自覚というのは育てられなければ生まれない。

稀に自分自身で育てる志向性の強い人は居るが、

大抵は置かれた環境、特に傍に居る人によって育てられる。


もし○○の自覚が足りないと思う人がいたなら、

それはあなたに出会うまで、誰にも育てられる事がなかっただけ。

だから、これからあなたが育ててあげれば良い。





<繋がり>


あれがあったから、これがあって、

これがあったから、それに気付いた。





<進展>


どうすれば良いのか考え、実際にやってみる。

何も実行せずに考えているだけでは、どうにもならない。


やってみて上手く行けば、それで良し。

上手く行かなければ、その事を加味し考え直し行動に移す。


実行して試してみる事で情報が増え、考える際の条件が変わる。

実行しなければ条件は変わらず、思索も進展せず足踏みしてしまう。





<継続は力なり>


健康の為の節制、心の安定の為の自制、

自己欲求を満足させる為のスキルアップ等、

自分の為に有益なのは分かっているのに、

なかなかやれなかったり、続けられなかったり。


でも、実際やってみて、

一定のレベルに達する、もしくはある程度継続出来れば、

その事によって自信を持ち、それらに伴う困難は薄くなる。


そういう意味での「継続は力なり」を実感出来れば、

何かを始める際の後押しになる。

何でも良いから自分が出来そうな、

継続を必要とする事柄にトライしてみると良い。





<協力>


活動していない人に対して、協力する事は出来ない。





<映画化>


原作の評判が良かったから映画化される。

そして例外無く、原作ファンの受けは悪い。

と言うのも、映画には上映時間という時間制限があり、

また対象者層が広く、多くの人に受け入れられなければならない為、

原作は細かく寸断され、分かり易い部分が約2時間分だけ取り出され結合される。

原作の好きな人が継ぎ接ぎで納得出来るはずが無い。


逆に書籍化(ノベライゼーション)はほぼ映画そのままなので、

映画が良ければ大抵本も良い。

作品によっては、映画より少し突っ込んで書いてあったり、

少し細かく書いてあったりするので、映画より楽しめる場合もある。


結局言いたいのは、

映画化された作品の原作はお薦め!って事。





<人間>


100年もすれば、今生きている人達は一掃される。

だから..

















『道は奏でる』


毎日のように同じ道を歩く。

歩行は一定のテンポを刻み、

大小様々な建物はメロディを、

信号や車のライトはパーカッション、

そして本当に音が聞こえるのは車のベース。

毎回、道に違ったニュアンスを与えてくれる人々。


道はほぼ真っ直ぐやけど、

デコボコやったり、障害物があったり、

所々曲がってたり、上り坂だったり。

狭かったり、広かったり。


デコボコや障害物は曲にアクセントを、

角度の変化は曲の展開の変化を、

緩い上り坂は足に心地よい負荷を与えてフォルテな感じ。

中盤の狭い道から広い道へ出る瞬間は曲が最も盛り上がる所。


何度も歩いているから変化にも気付く。

小さな変化を味わい、大きな変化に驚く。

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