本編

……今まで感じていた不気味さが吹っ飛ぶような、明るく無邪気な声に俺たちが呆気にとられている間に、彼女はメンチカツを「おいしいおいしい」と平らげてしまった。


「ありがとう、お兄ちゃんたち!おいしかったよー」


少女はそう言い残し、手を振って今にも立ち去ってしまいそうだ。

俺は彼女を引き留めた。


「ちょ、ちょっと待って!」


お母さんとはぐれたのはもういいの、と尋ねようとしたときだった。

突如、俺たちの前を何かが通り過ぎた。


「――あや様っ!」


そう声を上げた”それ”は、猿、虎、蛇が混ざったような、一目でわかる、—―化け物。


「うわあああああああああっっ!」


俺も明人も叫ばずにはいられなかった。


「あああ、私の姿が見えている……。それに、口のソースの跡……。またやりましたな、絢様!」


「げ、ぬえかぁ……。見つかった」


面倒くさそうに顔をしかめたあやという名前らしい少女を横に、化け物は俺たちに向き合い、猿の頭を下げた。


「この度は絢様のいたずらに巻き込んでしまい、本当に申し訳ない!」


俺たちが未だ驚きと恐怖で声を出せないことに気が付いたようで、化け物は「あ、そうか」と呟き、顔を上げた。


「失礼しました。私はぬえ。見ての通りの妖怪です」


それから、鵺は俺たちにいろいろと説明してくれた。

妖怪は、普段は俺達には見えていないだけでそこら中にいるらしく、この「大将軍商店街」は妖怪たちのいわゆる聖地のような場所らしい。

京都の妖怪たちの頭、大妖怪「ぬらりひょん」や、「九尾狐きゅうびこ」ら幹部の本拠地であり、年に一度百鬼夜行という大行事もここで取り仕切られる。今、口の周りにソースをつけている絢ちゃんもこう見えて幹部のようで、自身の生命力と引き換えに、この商店街を危険から守るための結界を張っている「座敷童ざしきわらし」らしい。鵺はそんな絢ちゃんの世話役とのことだ。


「絢様はたびたび迷子のふりをして人間たちにおやつをいただいているのですよ」


鵺が絢ちゃんをじろりと見ながら言う。


「人間と仲良くしてもいーじゃん」、「おやつを食べたいだけでしょ」ときゃいきゃい軽口をたたく妖怪たち。

不思議と恐怖は感じなくなってしまった。

仕事が貯まっているから帰らないと、と鵺に言われても名残惜しそうにしてくれる絢ちゃんに明人が言葉をかけた。


「明日はカレーパン買ってあげる」


「あまり甘やかしすぎないでくださいませ」


横並びで仲良さげに帰っていく絢ちゃんと鵺を見送る。

今日初めて知った妖怪たちの社会。

きっと何百年、何千年と続いてきたのだろう。

そんな風に漠然と思っていたから、考えもしなかった。

ついさっきまで垣間見ていた彼らの日常が、この瞬間に大きく動き出すなんて。



遠くで、主人の名前を叫ぶ鵺の声が聞こえた。

俺たちは走った。当たり前だ。絢ちゃんに何かがあったことなど一瞬で分かる。

膝をついてうずくまる絢ちゃんと名前を呼び続ける鵺を見つけたのは、皮肉にもメンチカツ屋の角を曲がったところだった。


「絢ちゃん!」


駆け寄った俺たちに鵺が答える。


「突然苦しまれたのです。我らは不老不死の身。考えられるのは……」


「……わたしの結界が、凄い力で攻撃されてる」


絢ちゃんが息を切らして答える。

不老不死と知らされても、俺達には絢ちゃんが今にも死んでしまいそうに見えた。


「結界は絢様の生命力を削って作られています。結界がダメージを受けると、修復のために絢様は生命力を奪われてしまうのです」


「このことを、ぬらりひょん様に、伝えて。鵺たちがここに居ても、なにも変わらないから。だから、ぬらりひょん様に――」


鵺は絢ちゃんを抱きかかえ、首を横に振ったが、決意は変わらない。


「――行って。怨霊が、ここに押し寄せてる。わたしが消えて、結界が無くなったら、みんな呑まれちゃうから。だから」


絢ちゃんの次の言葉は無かった。

鵺の腕の上には既に何の姿も無かった。

結界に生命力を吸われ続けて、消えた……?

その事実を飲み込むのが嫌だった。

しかし、その瞬間に商店街に響く悲鳴は俺たちにそれを許しはしなかった。


「みんな呑まれちゃうから」


人が、襲われている……!

目の前にはこの世のものとは思えない光景が広がっていた。

どす黒い霧のような、それでいて泥のような

「それ」にまとわりつかれ、逃げ出せずに潰されて行く人たち。

これが、怨霊……?絢ちゃんと結界が消えたから暴れだしたと言うのか…?


悲鳴の中、口を開いたのは鵺だった。


「ぬらりひょん様に会いましょう。絢様の残した言葉です。これを指示した何者かがいる。ぬらりひょん様と接触し、そいつに立ち向かわない限り、終わりません」


言い終わるなり鵺はその虎の足で走り出した。

俺と明人も必死に後を追う。

何より、商店街の人を呑み終えた怨霊が俺たちを狙って襲ってくる。

それに逃げながら鵺について行くので精一杯だった。


「この角を曲がった先にぬらりひょん様の気配があります!」


角を曲がった瞬間、あれほど激しく動いていた俺たちの足は止まってしまった。

鵺が崩れ落ちる。


「ぬ、ぬらりひょん様ぁ…」


大妖怪ぬらりひょん。

京都中の全ての妖怪の頭であり、統率力、戦闘力などあらゆる面で桁外れの強さを誇る。

鵺からそう聞かされていた俺たちが初めて見る彼の姿は、蜘蛛の糸にとられて身体の半分を喰われている無惨なものだった。


「ほう。鵺だけか。あの座敷童子はくたばったようだな」


炎を纏う九つの尾の狐。

あれが、絢ちゃんと並ぶ大幹部、九尾狐きゅうびこ…!


「絢が消え、結界ももう元に戻らない。こうなれば革命は覆されようがないな」


九尾狐のその言葉で嫌でも分かった。

こいつが妖怪達のトップのぬらりひょんを倒し、自分たちが頂点に立つためにこの騒動を起こしたのだ。


「もうぬらりひょんの息は無い。鵺と、あのガキども諸共にやれ。土蜘蛛つちぐも


九尾狐がそう言うなり、ぬらりひょんを喰っていた蜘蛛の妖怪がこちらに飛びかかる。


「――ここを去るぞ!」


鵺が今までにない緊迫した声で叫ぶ。

俺たちは震える足を必死に走らせた。

しかし、土蜘蛛はみるみるうちに迫り、明人を捕らえようと糸を吐いた。


「うああああああっ!」


叫んだのは明人では無い。鵺だった。

明人に糸が当たる寸前に土蜘蛛に体当たりを食らわせ、俺たちを守るように土蜘蛛に立ち塞がった。


「逃げてください!こいつと戦えるのは俺だけです。時間は必ず稼ぎます。早く!」


俺たちだって鵺の力になりたかった。

しかし、それが無謀だと言うことは二匹の攻防を見て分かる。

このままでは俺たちを庇って戦う鵺が不利になる一方だ。

俺たちには鵺を残して逃げるしか道はなかった。


「鵺、すまない!」


「一向に構わない。こいつを倒して後を追う!」


俺たちは走った。

後ろは振り向かなかった。

鵺が死んでしまっているのではないかと、見るのが怖かった。

先の方に商店街の出口が見えてきた。

商店街の外は無事なのだろうか。

それを知るのも嫌だった。


「抜けるぞ!」


出口まであと30メートルほど。

その瞬間、店の陰から怨霊が飛びかかってきた。

俺たちを待ちぶせていたかのように。


「明人っ!」


明人が怨霊に呑まれ、声を上げる間も無く囚われていく。

差し出した俺の手は明人によって払われた。

早く逃げろ、と言っている。

明人の目が、口の動きが訴えていた。

そしてもう一つ。

明人が口の動きで訴えた言葉に俺はハッとした。


「電話ボックス」


そうだ、過去に繋がる電話ボックス……!

少し前まで信じていなかった噂。

しかし、今は頼れるものがそれしかない。

俺は明人の目を見て、頷き、そして走った。

九尾狐らが反乱を起こす前にそれを止められたら……!

それしか考えないようにした。

後ろから聞こえる骨のきしむ音も、未だに追いついてこない鵺のことも、気づかないふりをした。

商店街を抜けて正面の電話ボックスに駆け込む。

10円玉を入れ、焦る指先で*を4回押して、受話器に向かった。


「トキサカ様、トキサカ様にお繋ぎください…!」


――騒がしい。最悪の寝起きだな。

機嫌の悪そうな気だるげな声と、太鼓の音と共に俺の意識は沈んでいった。


……。

……ここは、電話ボックスの中か?

目が覚めると、目の前にだらりと下がった受話器が見えた。

日はまだ沈んでいないようで、オレンジ色の光が差し込んでいる。

未だ虚ろな意識で電話ボックスの外を見た時、自分が過去に飛んだと確信した。

電話ボックスの外に見えたのは、何百という妖怪たちの大行進。

太鼓や笛を演奏したり、神輿を担ぐ者もいて、まるで祭りのようだ。

そしてその中に知った顔がいることに気がつく。

あれは……鵺?

話しかけよう。

いつまで過去にいられるかも分からない。

俺はやらなきゃいけないのだ。


「――人間か。妖怪が見えるのか」


鵺は少し驚いた様子だったが、俺の気迫に押されて色々と教えてくれた。

どうやら俺は約50年前にタイムスリップしたらしい。


「ぬらりひょんに会わせてもらうことはできないか?」


「ぬらりひょん様に?流石に無理な話だ。ましてやこんな時に……」


こんな時?この大行進のことか。


「今は何が行われてるんだ?」


「妖怪が見えるのに、これは分かんねえのか。今は――百鬼夜行の最中だよ」


日が沈んだらますます賑やかになるぜ、と鵺は自慢げに付け足した。


そうか、これが京都の妖怪の一大行事、百鬼夜行か……。確かにかなりの迫力だ。

しかし、ぬらりひょんと会えないままでは未来が変わらない。


「俺だってまともに話したことないからな…。

終点の神社にいらっしゃるから、遠目には見えるかもな」


口調が荒くてもこの面倒見の良さは変わらない。やはり俺の知っている鵺のようだ。


――――――――――――――――――――


「――到着した。ここにぬらりひょんさまもいらっしゃる」


鵺が俺にそっと教えてくれた。

確かに神社の御社殿の前に3つ豪華な椅子があり、中央にぬらりひょんが座っている。

行くしかない。

俺は拳を握りしめ、行進を終えた妖怪たちをすり抜け、大幹部達の前に膝まづいた。


「――私は大将軍商店街の電話ボックスを通じて30年後の未来から参りました。ぬらりひょん様にお話したいことがございます」


間髪入れずに鵺が飛んできた。


「御無礼をお許しください。この人間、先ほどからぬらりひょん様に会いたいとしきりに申しておりまして……」


「――よい。人間、続きを」


そう制したのはぬらりひょんだった。

見た目こそ小柄な老人。

しかし彼の持つ威厳と格は「大妖怪」の肩書きを認めざるを得ないものだった。


「――お話というのは未来のことです。妖怪達の内部で反乱が起こり、商店街の結界が壊れ、怨霊が暴れ始めたのです」


妖怪たちがどよめく。

当たり前だ。この中に裏切りものがいるということなのだから。



「――信じる訳にはいかんな」


ぬらりひょんの傍らの九尾狐がそう答えた。

取り乱す訳でもなく、冷静に。

その一言で妖怪たちの動揺はぴたりと静まる。

現代のふてぶてしさからは考えられない、信頼されている参謀と言ったふうだ。

ぬらりひょんは沈黙を貫いている。

それは、九尾狐の言葉に異論がないことを示していた。

まずい。この状況で首謀者の名前を出すなど、どうされるか分かったものでは無い。

未来を変えると心に決めたのに……!


「――お話聞いてあげていいんじゃない?」


背後から聞き覚えのある声がした。

「遅れてごめんね」と謝りながら、てててと空席に座ったその声の主は、紛れもなく絢ちゃんだった。

久しぶりに見た元気そうな姿に思わず涙が出そうになる。


「嘘つきに来たなら、人間がこんな危ないことしないと思うよ?」


絢ちゃんの言葉を受けてぬらりひょんは少し考えた後、俺の目をじっと見た。


「人間。未来からこの時代に来たときに何か聞いたか?」


「太鼓の音と、不機嫌な声を聞きました」


ぬらりひょんは「やはり時坂太鼓ときさかだいこが目覚めたか」と小さく呟くと、もう一度俺の目を見た。


「反乱を起こした者の名を答えてみよ」


願ってもない問いかけだが、少し躊躇った。

信じてもらえないのが怖かった。

ぬらりひょんの隣の絢ちゃんと目が合うと、絢ちゃんは首を小さくかしげながら優しく笑った。

そうだ。

この笑顔を守りたかったんだ。

絢ちゃんだけじゃない。

もちろん明人たち人間、それに鵺や、百鬼夜行で見た多くの妖怪の笑顔。

もう失いたくないんだと、そう思った。


「首謀者は――九尾狐です」


そう答えるなり、俺の意識はまた沈んでいった。


その意識の先の世界で、妖怪たちは笑っているのか。

まだ分からない。




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