第12話

「フィス!」


「……」


「買い物に行くわよ!」


「……」


「返事しないのならこのドアをぶっ壊すわ!」


「……は?」


 朝。フィスが住まわせてもらっている部屋のドアが突然ドンドンと強く叩かれる。今日は非番でまだ寝ていた彼はその音で無理矢理起こされてしまった。


 この部屋に住んで初めて“ベッド”と言うものを知った彼はこの幸福感に身をいつまでも委ねていたかった。それが、今日が休日だと言うのなら猶更だった。


 彼は生まれてこのかたベッドで寝たことが無かった。狼剣組にいた時いつも寝ていた場所は貸し与えられていた部屋の、ボロボロのソファーと呼べるかどうかわからないもので、とても硬かった。故に快眠と言うものを経験したことが無かったのだ。


(……それを)


「はーやーくーしーなーさーいー!」


「……分かりましたよ」


 これ以上五月蠅くされても仕方がないと考えた彼は仕方なく起きることにした。一応彼はキアラの護衛なのだが、改めて言うが今日は非番である。その為もう一人の護衛────カンバが彼女の元にいるはず。


 だから彼女の言う事に従う必要などないのだが、


(従わなかったらお嬢が当主様にチクって何言われるか……もしかしたら即解約からの処刑あるかもしれないし)


 彼の中には常に“処刑”の二文字が頭の中にちらつきながら生活している。故にそれに繋がることはなるべく避けるべきだと考えている。

 

 領主の決定はこの領を統べている為、言う事は絶対なのだ。この領の領主であるベリルは信頼と人情を特に大事にする人物であり、その教えはワイズまで続いていたことからまだマシなのだが、他の領では酷いものだと全て領主の物差しで決まってしまうようなところも存在している。


 そのような知識を昔フィスは、狼剣組にいた時に教えてもらっていた。


「……おはようございます」


「おはようフィス!早速だけど街に行くわよ!」


「……何でですか」


「行きたいからよ!」


「……断ったら?」


「えへっ」


「……」


 フィスにとって、その可愛らしい笑みが何よりも怖かった。一言彼女が父親に物申せば全てまかり通ってしまう。彼は既に彼女にとって一種の奴隷のようなものとなっていたのだ。


 故に、万人にはとても可愛い少女の天使のような笑みに見えるが、フィスにだけはそれが恐ろしい悪魔のような笑みにしか見えなかった。


 ちなみにこの国で奴隷商売をするのは法律で禁止されているため実際にはそういう訳ではないのだが。


「今日はフィスの服を買いに行くのよ!」


「俺の、ですか?別にいらないと思いますけど」


「そんな質素なものじゃないて、もっとかっこいいやつ着てよ!」


「結構これ気に入ってるんですよ?」


 そう言って彼はもう一人の後ろにいた護衛────カンバに目で助けを訴えても、


(お嬢様はこうなったら止められないのは知ってるだろ。だから俺は助けられない。頑張れ……)


(使えねぇ)


 そう何とも情けない返事が来たため、思わず半目になりながら心の中で悪態をついてしまった。それが表情に出ていたのだろう即座にキアラに読み取られてしまう。


 別の意味で。


「そんなにめんどくさかった……?」


「うっ……」


 すると彼女は彼の予想に反して突然目を潤ませ、凄く悲しそうな表情を見せた。これに彼の心の中に罪悪感が芽生え始める。彼はこういった表情にとても弱く、それをキアラはあってすぐに見抜いていたため、こうして何かあればこの手段を使っている。


 意外と強かなのである。

 

 そんなことなど全く知らない彼は苦し紛れの提案を彼女にするのだった。


「だったら、丁度剣を買いに行こうと思っていたのでついてきてくれませんか?」


「っ!」


 女性が好みそうな洋服の店ではないが、自分から提案することであたかも一緒に出かけたいと言う風な意思を見せ、彼女の不安を消そうとした。


 彼には過去に女性との買い物で苦い経験があるため、洋服店にだけは行きたくなかったのだ。


「分かったわ!!」


「……」


 しかし彼の狙いは即座に儚く散ってしまった。







「……」


「……」


「……」


「……まだ?」


「暇になるので外で待っててもいいと言ったのは俺ですよ?」


「でも気になるじゃない。あ、そうだ」


 ミレニア領にある中で質の良い武器を数多く取り揃えていると言う鍛冶屋にて。30分ほどここに滞在しているが、未だにパッとした剣を見つけることができないでいた。


 するとしびれを切らしたキアラが何か思いついたようで、そそくさと彼の元を離れてカウンターに座って店に入った時からずっと目を瞑っている厳ついおじさんの元へと向かった。


「ねぇねぇ」


「……んだよ」


「杖ってあるかしら?」


「杖だぁ?んなもんあるわけねぇだろ。そう言うもんはここじゃなくてちゃんとしたとこで買え」


 貴族相手にも物怖じしないような言い様に、プライドの高い貴族なら激昂するのだろうが、キアラはただ面白そうに笑うだけだった。


「だったら彼にいい武器を紹介してもらえない?なんかずっと悩んでるのよ」


「あぁ……────って」


「ん?」


 そう言って彼は静かに目を開けフィスを視界に捕らえると、まるで何か思い出したかのように目を大きく見開いた。それはまるで信じられないものを見るかのようだった。


 そして少しだけ震えた唇が言葉を紡いだ。


「お、おいてめぇ……フィスじゃねぇか。今までどこ行ってたんだよ」


「あ……マジかぁ。ここお前の店だったのかよ」


「え?知り合いなの?フィス」


「……えぇそうですよ、お嬢様。すっかりここが彼の店だという事を忘れていました」


 そう、この店はフィスが狼剣組にいた時に愛用していた剣を打った鍛冶職人────バルカスの店だったのだ。



─────────────────────────────────────


 バルカス⇒3話参照。

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