第1話⑦
「さあ留里様、そのような襤褸はお脱ぎになって、こちらの湯船にお浸かり下さい。」
「は、はあ…」
ーー王宮の中でも一番日照りの良い方角に建てられた桜花宮は、名前の通り開けた中庭に美しい桜の大樹が幾重にも植えられており、芳しい花の匂いが立ち込める美しい宮である。
湯殿に通されるなり、着ているものをあれよあれよと脱がされ、大切に結っていた波瑠も解かれ、数人の女官に海綿で丁寧に身体を洗われたかと思うと、見たこともない絹の装束に着せ替えられ、顔には化粧を施され、あっという間に垢抜けた美しい姫君に仕立て上げられ、鏡の中の自分に呆然としていると、白露がとある漆塗りの箱を持ってやってくる。
「就元様から、留里様へとの事です。」
「えっ…」
言われるまま箱を開き中身を見ると、五色豊かな煌めく玉で造られた装飾品がぎっしり詰められており、留里は言葉を失う。
「夏の国の玉製品をご覧になるのは初めてでございますか?…そうですなぁ、この蒼玉の簪などいかがでしょう。やはり留里様にと仕立てられたこの青のお召し物にも似合うかと…」
「そ、そんな…第一、私こんな高級で艶やかな品物、受け取るわけには…」
萎縮する留里に、白露はニコリと微笑む。
「就元様…若君様が留里様の為にと選ばれた物です。それにこれは、春の国の慣例…婚姻の儀の一環なのです。ですからどうか、お納めください。」
「こ、婚姻っ?!?!」
赤くなり狼狽する留里に、白露は続ける。
「ここ桜花宮は、王宮の子宮…つまりは世継ぎを産む妃の住まう宮にございます。したがって留里様には、就元様の寝屋に侍り、そのお情けを頂戴して、1日でも早く、世継ぎたる男児を産んで頂く事となります。」
「そんな…私は、まだ…あの方がどう言う方か全く知らないのに…」
「お気持ちは察します。ですが、歴代の姫君…就元様のお母上様も、先王様との対面は初夜にございました。ですから、その前にお顔を拝見できましたのは、幸運なのですよ?」
「けど…それに私は、まだ
「ご心配なされますな。就元様に全て万事委ねればよろしいのです。さ、次は歴代の王族方が眠られる御陵を参拝し、侍医による御身体の検査を受けていただきます。その後は夕餉まで宮廷での嗜みを学んで頂きます。夕餉も留里様の為にと、就元様が鯛をご用意されたとの事。ほんに目出たい。就元様がお妃選び、お世継ぎ事に前向きになられるなど…」
「は、はぁ…」
そうして、終始笑顔の白露に連れられ、留里は婚姻の儀と言われる儀式を半ば強引に受け、心の準備もできぬまま、就元との初夜を迎えた。
*
「………」
上等な絹の寝巻きに着替えさせられ、御簾で囲われた寝所に設けられた一つ布団に二つ枕の寝台に座り待って居ると、同じ寝巻き姿の就元が御簾を潜って現れたので、留里は顔を赤らめ俯く。
目の前に座り、そんな彼女の結われた髪に挿してある蒼玉の簪を見て、就元は僅かに微笑む。
「それが、一番似合うと思っていた。」
「あ、ありがとう、ございます。」
「うん…」
頷き、就元は懐から留里が大切にしていた海護達の御神体を取り出し、彼女に握らせると、留里はそれを大事に握り締め、涙を浮かべる。
「それがかように大切な物だとは知らなかったのだ。奪ってしまい、すまなかった。だが、誓って物取りではない。全ては其方に、もう一度会いたかったからだ…」
言って、就元は留里の身体を抱き、寝台に押し倒す。
「な、なり…もと、様。わ、私初めてで」
「分かってる。なるだけ痛みのないようする。だから、私を受け入れてくれまいか?」
「けど…今日会ったばかりのあなた様に、いきなり…だなんて…」
「それがこの国、こちら側の慣例だ。攫ってきておいてと恨みたいだろうが、もう其方は、私のものだ。」
「けど…」
それでも身を震わせ怯える留里に、就元は小さくため息をつき、彼女から離れる。
「就元、様?」
「興が削がれた。春宮に戻る。其方も下がれ。明日の婚姻披露目の儀は早い。早々に休むがいい。」
「え、あの…」
タンと閉じられた引き戸だったが、すぐさま開き、白露がやって来る。
「留里様、お役目ご苦労に存じます。さ、お部屋に戻りましょう。」
「あ、いえ…私は何も…」
「え?」
言い淀む留里だったが、先程までの就元とのやり取りを素直に話すと、白露は眉を下げる。
「留里様、お気持ちは分からぬ訳ではありませぬが、寝所に侍りお情けを頂きお子を成す事が、桜花宮に通された、王妃殿下の務めにございます。それだけは、ご理解下さいませ…」
「…分かり、ました…」
好きで来たわけじゃないのにと言いたかったが、あの島へ…海護達の元へ帰る術を持ち合わせない今、自分はもうこの土地に根を下ろすしかないのだと、その日留里は、独寝で枕を涙で濡らした。
ーーこうして、就元二十歳。留里十五歳。
個人的な好意の有無等二の次になったまま婚姻の儀は滞りなく終わり、留里は春の国の王妃…就元の正室となったのだった。
第一話 了
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