第1話⑥

 ーー国土の殆どが開けた平地の春の国の首都である『香霖』は、山岳地帯の夏の国の首都『蘭城らんしょう』とは異なり、海護達と同じく漁業の盛んな街であり、また一部では限られた者、限られた地域のみでではあるが、夏の国の商人が山岳地帯の鉱山で採掘したぎょくを卸にやって来て取引をする貿易港などもある。


 夏の国で採れる玉は、春の国のそれとは質が全く異なる美しいもので、いつしか春の国では、夏の国の玉で作られた宝飾品を異性に贈るのが求婚の証となっていた。


 対して、夏の国が欲してやまないのが、春の国の生糸…つまり布製品である。


 山岳地帯で天気の変わりやすい夏の国に対し、春の国は年中穏やかな気候で水の質も良く、蚕を使った生糸の生産が盛んで、またそれに伴い、反物職人の技量も高く、夏の国で娘を持った両親は、必ず春の国の反物職人に作らせた布で、花嫁衣装を仕立てるのが慣わしであった。


 こうして、互いに己の国にないものを欲するものだから、何とかこれを自国のものにし、もっと気安く、もっと大量にと望み、領土を奪い合う戦を千年近く行っているのだから、つくづく人間の欲というのは罪深いものである。


 翻って、春の国の香霖にある王宮は、春英宮しゅんえいぐうと言う大殿に通された留里と八歳と青羽と白露。


 美しい装飾の施された絹糸と御簾が天井から吊るされた広々とした大殿に、老中の声が響く。


「就元様、おなーりー」


 直ぐ様青羽と白露が叩頭したので、留里と八歳も倣うように頭を下げると、暫時の沈黙の後、徐に御簾の開く音がして、就元が大殿の階段を下り、白露と青羽の元へ行く。


「…連れて来たのか?」


「はい。少々苦戦致しましたが、こちらの少女で、お間違いないですか?」


「………」


 白露の言葉に、就元は彼女背後にいる留里の元へ行き、片膝を折ると無理やり留里の顎を持ち上げ顔を向かせる。


「あ、あなたは…」


「………」


 目の前の若者が、海護の小屋で助けた若者にそっくりだったので瞬く留里に構わず、就元は留里の顔を自由にした後、彼女の後ろで僅かに頭を上げ、自分を睨め付ける八歳を見下げる。


「この者は?」


「あー…、まあ、白露の言う通り色々あってな。嬢ちゃんの世話人て事で連れて来た。嬢ちゃん共々、怪しい物を持ってねぇか調べたから、安全は保証する。…つかようなり、そろそろこの嬢ちゃんを連れて来いって命令した理由、教えちゃくれねーか?そもそも海護には近づかないのが、この世の理だろう?」


「私も同感です。何故、海護達の長とはいえ、我が国に利益をもたらさない巫族ふぞくの娘を…」


 白露がそこまで言った時だった。


「…娘は桜花宮おうかぐうへ連れて行け。」


「!!」


 就元のその言葉に、白露と青羽は目を見開く。


「お、おいマジか?!散々宮家の美姫を蔑ろにしといたお前が、こんなちんちくりんの嬢ちゃんを?!!」


「い、言うに事欠いて、留里様をちんちくりんとは…聞き捨てなりませぬぞ青羽殿!!大体、貴方は何者です!る、留里様をその桜花宮とやらへ連れて行き、どうなさるおつもりですか?!」


 我慢できずに噛み付いて来た八歳と目を合わす事なく、就元は踵を返す。


「…白露、事は全て慣例通りに。世話人の教育は青羽、お前に一任する。以上だ。」


「承知致しました。全ては就元様のお心の行くまでに…」


「だろうな。…ったく。わぁかったよ。サマ。」


 恭しく頭を下げる白露と、頭を掻きながら毒付く青羽を一瞥して、就元は戸惑う留里の顔をサッと見つめて、春英宮を後にする。


「わ、若君とは…まさか…」


 狼狽する八歳に、青羽が応える。


「まあ、なんだ。ちいと愛想は無いが、アイツが今のこの国の王…春日就元かすがのなりもとだ。歳の頃は二十歳。即位してまだ五年の王だ。」


「そ、そんな。そのような天上人が、何故留里様を…」


「まあ、それは追々話すとして、取り敢えず八歳さん。アンタ何か武器は使えるかい?」


「えっ?!い、一応、神事の演舞ではありますが薙刀を少々…」


「薙刀か…ならまあ、取り敢えず使い物になるまで俺の下で働いてもらうとして、嬢ちゃん…いや、の世話人には桜花宮の近衛だった白露が適任だわなぁ。あそこのしきたりは俺はさっぱりだからな。」


「まあそうだな。一先ず留里様は湯浴みだな。なあに、散々待たされていた女房達が、張り切って就元様好みの美姫に仕立ててくれるだろう。」


「だろうな。じゃあ八歳さん。アンタは留里サマとはここまでだ。他の宮を案内するから、直ぐにとは言わねぇが、ここの生活に慣れてくれや。」


「な、何故!?わ、私は留里様の付き人ととして連れて来られた筈では。」


「状況が変わったんだよ。桜花宮に通すにゃ、アンタはこちら側の物を知らなさすぎる。ま、素直に俺の下で学べば直ぐに桜花宮へ入れるようあのバカ君に取りなしてやっから。」


「し、しかし。」


「わ、私も、八歳姉さんと離れるのは嫌です!それにその、白露さんは私の朋輩を殺した人です。そんな人に身の回りの世話はされたくないです…」


 おずおずと切り出した留里に対し、白露は恭しく首を垂れる。


「申し訳ありません。事情を知らなかったと言う言葉で片付けられる事ではないと承知はしております。なれど留里様、どうかこの白露めを側に置いていただけはもらえぬでしょうか?置いてくださるのであれば、わたくしも青羽同様、就元様に八歳殿の桜花宮への早期入宮を推挙致します故…何卒。」


「でも…」


「嬢ちゃ…いや、留里サマ。ごねたい気持ちも分かりますが、どうか俺たちを信じちゃくれませんかねぇ。就が貴女を桜花宮へと言った以上、俺たちは貴女は勿論八歳さんにも相応の扱いをするよう命じられたも同然なんだ。きっと直ぐに再会できる。寂しいのは一時だけだ。だから、堪えちゃくれねぇか?」


「けど…」


「わかりました。」


「八歳姉さん!?」


 優しく諭す青羽の言葉を聞いても、八歳と離れるのは嫌だと言おうとした留里を遮るように言葉を放った八歳に、留里は瞬く。すると、八歳は優しい眼差しで留里を見やる。


「姉さん…」


「留里様…正直、私も状況は飲み込めません。しかし、どうやら我々は歓迎されここに招かれた様子。ここは素直に、従いましょう。」


 言って、八歳は白露に頭を下げる。


「本意ではありませんが、蛇の道は蛇と申します。どうか留里様を、よろしくお願いします。」


「相分かった。貴女の忠義に負けぬよう、私も留里様を精一杯お守りいたそう。青羽は口は悪いが気骨と情に溢れた武人だ。なのでしっかりと、こちらの事を学ばれよ。さすれば其方の留里様への思いを、必ずや汲んでくれよう。」


「はい…」


「姉さん…」


 涙ぐむ留里を優しく抱きしめて、八歳はそっと、自らの指に付けていた…かつての許嫁生薑から貰った真珠の指輪を留里に差し出す。


「必ずやまた、留里様の元へ参ります。ですからそれまで、預かっていて下さい。約束ですよ?」


「姉さん…八歳姉さん…」


 泣きじゃくる留里に情はあったが、このままズルズルと別れを惜しんでいては互いの為にならないと、八歳は敢えて自分から距離を取り、白露に彼女を託すと、青羽と共に春英宮を後にする。


「では、参りましょう。留里様…」


「はい…」


 こうして、留里はそこがどう言う場所か知らされないまま、白露と共に桜花宮へと向かった。

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