第1話④

 ーー思えばこの方、私は母の笑顔を見たことがなかった。


 時の春の王の側室として入内した母の実家は、世辞にも裕福な家ではなかった為、他の側室や正妻に下賤下賤と嘲笑われていた。


 それでも宿下りをしなかったのは、王…父の寵愛があったからだった。


 政略結婚ではあったが、王は母を心から愛し、正妻や他の側室以上に気にかけ、母もまた、王を心から愛するようになった。


 そうして、母の入内から3年…春。


 ずっと子供のいなかった後宮に、私が産まれた。


 ーー春の国は、長子世襲。


 母親がどんな出自の太子でも、一番に産まれた者が皇太子であり、次の王。


 それが、時の正妃である玲児りょうしのプライドを粉々に砕き、どす黒い陰謀を企てさせることなど、誰が思っただろう。


 実家が王の重臣だった玲児は、その身分を利用し、母の実家が王家の転覆を企ていると根も葉もない噂を立て、母の父親…祖父の朝廷での立場を危うくさせ、結果流刑。


 後ろ盾を無くした母は、失意のうちに病に倒れ、私が3つの時に亡くなった。


 そうして母が亡くなり、心に大きな穴を開けた王に付け込み、寵愛を取り戻した玲児が子を孕むのは火を見るよりも明らかで、母の喪が明けて間も無く、弟の誕生が後宮を駆け抜けた。


 正妃の子こそ皇太子に。


 長子世襲のしきたりこそ真。


 真っ二つに裂けた王宮。


 いっそ出家して、弟に位を明け渡せばどんなに楽だったか。


 出来なかったのは、父…王の存在だった。


 ーーお前まで、私の前から消えないでおくれ。


 私の容姿に母を重ね、重臣に何を言われても、私を手元に置き、皇太子として譲らなかった父も、私の元服を見届けると、亡くなった。


 父は最期まで私を王家に縛り付け、ご丁寧に『弟宮は王家の第一線から退き影として兄宮を支えよ』と言う遺言まで遺した。


 その為、弟…勝就かつなりは母玲児と共に仏門に入り、朝廷を去った。


 しかし、私が王位に就いても、勝就を王にと言う輩は消えず、常に朝廷は争いが絶えず、いつしか私の側には、幼い頃からの教育係だった『白露しらつゆ』と『青羽あおば』が、護衛として常に付き従い、食事の際には毒味役がつく程、ギスギスしたものになった。


 誰にも心を許せない、弱みを見せられない、窮屈な世界。


 誰でも良い、誰か、誰か私を…



「う……」


 傷の痛みで意識が覚醒し、就元なりもとは目を開く。


「私は…確か、鷹狩りの最中、青羽と逸れて…」


 穏やかな波の音を聴きながら、暖かな炎が揺らめく小屋の中をぐるりと見回すと…


「ん……」


「!」


 炎を挟んで向かい側で眠っていた人物を見た瞬間、就元の中で懐かしい記憶が蘇る。


松寿しょうじゅ…私達の可愛い可愛い子供…』


「母…上…」


 目の前で眠る若い娘…留里は、亡くなった母の名花めいかの生き写しで、思わず就元は彼女を連れて行こうと手を伸ばしたが、肩に受けた傷が痛み、思うように抱き抱えられず、やむ無く彼女が身につけていた瑠璃の首飾りを引きちぎり、夜陰に紛れ、島を後にした。

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