25日のプレゼントボックス

葉野ろん

三田拓郎の受難と奔走

 12月25日深夜、三田拓郎は大いに焦っていた。部屋は箱で埋め尽くされている。もとはといえばちょっとした遊び心だったはずが、大変なことになってしまった。

 念願かなってついに職場を離れた節目に、近所に住む姉の家に顔を出したのが始まりだった。5歳になる姪が、熱心に玄関の靴を揃え直しているところに居合わせた。えらいなあ、と声をかけると、「サンタさんが来るから」と返事が返ってきた。思い至って、裏紙に自宅の住所を書きつけて手渡した。

おじさんさ、サンタクロースの知り合いなんだ。サンタさんに手紙出すといいよ。葉書の宛先をこうして、サンタさんへって書いて、欲しいもの教えてあげるといいよ。

 自分の名字—さんた—を使った、とっておきの手口だった。姉にあとから伝えると、やるじゃん、と笑われた。拓郎も「たかはし」になった姉も、これまでこの季節には何度も「さんた」の名字で遊ばれてきたのだ。雌伏の時に一矢報いた思いがして、顔を見合わせてもう一度笑った。しかし、誰が予想できただろうか。12月の中頃を過ぎて、十数枚もの「サンタさんへ」の葉書が届くとは。姪はあろうことか、保育園の友達にこれを教えて回ったというのだ。姉は今度も大笑いした。もちろん、各家庭にも準備はある。わざわざ気を回すまでもなく、クリスマスは完遂される。小噺がひとつできて、このお話はおしまいになる。


 ……本当にそうだろうか。

 かりにも受けた願いを、見なかったことにしていいのか。ここで終わりにして、どうしてサンタを名乗れようか。お節介。ありがた迷惑。しかし、それでこそサンタたりえる。かの聖ニコラウスも、計算ずくで義捐を成したわけではないはず。30年弱をサンタと呼ばれて生きてきた人間として、自分がやらねばならない。そんな確信が、彼を突き動かしていた。葉書を一枚手に取る。字は拙いけれども、文面に込めた思いは伝わった。

サンタさんへ、ことしはうちにも来てください。

 読んでしまったら止まるわけにはいかない。届いた全ての葉書を解読し、一つも漏らさずリストにまとめる。通販で買えるものは全て買い集め、店から店へと渡り歩きもした。買い物を終えると、目の前には大量の箱が並んだ。通販の段ボール箱を開けては、プレゼント用の箱に詰め直す。宛先の付箋を忘れずに。箱から箱へ、箱を箱へと。サンタクロースの仕事場は、箱で溢れているのだ。全ての段ボール箱、買い物袋が空になるまで、彼は自らにひとときの休息も許さなかった。


 ここまでが、12月24日が終わるまでのお話。このあと拓郎は、姉と連絡を密に取り、打ち合わせを重ね、それぞれの家を訪ねて配り歩いた。時には困惑もされたが、サンタがめげるわけにはいかない。子供のためなどと思うな。自分がサンタとしてあるために、やり遂げるのだ。といって、感謝されればやはり嬉しくもあった。ああ、自分がサンタでよかった。

 ひととおりサンタの仕事を終えて日も暮れ、外套を羽織り直して帰路についた。途中、誰かとすれ違う。突然に違和感が首をもたげた。何かが足りなかった。何かを見落としている。そう、さっきすれ違ったのは、だいぶ厚着はしていたが、姪その人ではなかったか。そうだ、あのリストに彼女の名前がなかった。そもそもの発端である彼女の葉書は、まだ拓郎の家には届いてもおらず、振り返ったその瞬間に、彼女の手によって、ポストに落とされた……!


 それから三田拓郎は頭を抱え続けた。12月25日は深夜を迎える。もう葉書はポストの中。ポストは朝まで開かない。もちろんどこにも届かないまま、26日の朝が来てしまう。そもそもが5歳児、配達のタイムラグを考えないことだって充分にあり得る。仕方のないことだ。しかしここで妥協しては、しかしもう手がない、しかし、いや、もうやりようがない。そうだ、そもそもお前はサンタクロースではない。ただのサンタ、さんた・たくろうだ。宗旨は仏教か神道の出涸らし、髭はせいぜい無精髭、現在無職、遍く子供にプレゼントなど与えられるわけがない。これまでだってよくやったじゃないか。眠いんだ。ろくに寝てないから。寝よう。外はいつの間にか雪だ。窓の隙間を閉め直そうとして、人影に気づいた。

いい子にしてたかい?

説明するまでもない誰もが知る姿で、老人が立っている。呆然として拓郎は、2分ほど動きを止める。老人は繰り返した。

いい子にしてたかい?

我に返った拓郎の心は、種々の念で溢れ返った。この人はほんものだ。この人がほんものだ。自分は紛い物で、紛い物なりにやってみたけど、最後に投げ出してしまった。この人は投げ出すはずがない。自分は、違う。首を横に振った。

うーん……。

老人は考え込んでしまった。その様子もどこかユーモラスで、愛され続けるだけのことはある。傾げた首を戻して、老人は部屋の奥を指さした。軽く頷いて、去り際に一言、

メリークリスマス!

と言ってどこかへ行ってしまった。


 あっけにとられた後には、まず後悔が訪れた。もしかして、さっき首を縦に振っていればあるいは。いま自分が何より欲しいものといえば、葉書にあるプレゼントそのものだ。いや、後悔するのは違う。自分はいい子ではない。それは確かだ。逃げるように生きてきて、今も仕事から逃げたばかりで、サンタからも逃げてしまった。きっとサンタにはわかっていて、プレゼントなんて始めから持ってなかったんだ。いや、そうじゃない。なにか伝えようとしていた。たしか部屋の奥のほうを指して、部屋の奥には、そうかこれなら、なんとか間に合わせられるかもしれない!


 26日、朝。三田拓郎はまだ焦っていた。例のポストの最寄りの郵便局に駆け付け、その葉書が出されるのを待った。局員に詰め寄って、免許証の住所と、葉書の宛先と、氏名とを確かめさせて葉書を奪い取った。局員の苦笑を尻目に商店街へ急ぐ。走りながら、読みづらい字をなんとか読み解く。かろうじて読めた文字を拾って検索にかける。なるほど、流行りの猫のぬいぐるみらしい。流行りなだけあって、そこらの店先にはない。角のゲームセンターで見つけた。くそう、こんな時に。いいだろう、大人の技量を見せてやろう。2200円で回収。それ見たか。急いで姉の家に向かう。ついに得たプレゼントを鞄にひそませ、服を整え息を整え、インターホンを押す。ドアを開けた姉の後ろに、寝起きの姪の姿があった。目論見通り、両手に抱えた箱をこねくり回している。

 そう、彼が枕元においたのは、部屋の奥に眠っていた、寄木細工のからくり箱。手順の通りに動かさないと開けることのできないものだ。子供の手では、開けるまでに小一時間はかかる。その隙を縫って、彼はプレゼントを調達したのだった。むずかって箱を離さない彼女を、姉と義兄とが宥めすかして食卓につかせ、拓郎に小さく目配せをする。姪が目を離した隙に、手慣れた動作で箱を開け、手早くプレゼントを詰め込み、もとの閉じた箱に戻す。これでようやくオールクリアだ。サンタクロースは完遂された。彼の30年弱のサンタ人生は、今日ここに結実したと言っていい。おはよう姪よ、一年間いい子にしてたかい。それじゃあ、メリークリスマス。

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