中編

「最後の施設はですね……少し変わってるんですよ~」


 声だけは明るく話す案内人の春野秋生はるの・あきみさんに導かれ、エレベーターで地下2階まで降りた私を待ち受けていたのは──、


「なんだ、これ」


 ここまで高層マンションの部屋、眺望、色とりどりの併設施設を見てきたがために期待と不安がないまぜになっていた私の戸惑いを受け止めたのは……病院の治療室のような、白い部屋だった。


 そこは、確かに病院内の一室のように見えた。壁が白く、清潔で、CTスキャンだの何だのを彷彿させる物々しい装置が中に置かれている。パッと見は、人間ドックでバリウム飲んでからの、装置に固定されてグルグル回されてからの、身体中をレントゲン撮影で撮られる際に利用される、あの大部屋のようであった。


 少々気になるのは、床一面を覆う白いナニカだ。白い壁と種々の装置に紛れて今気付いたが、どうやら検査室のような大部屋は、真っ白なカバーが敷かれているらしかった。


「こちら、感覚遮断落とし穴をお楽しみできる当物件のみの特設スペースとなっております」


「かん、えっ?」


「こちら、感覚遮断落とし穴をお楽しみできる当物件のみの特設スペースとなっております」


「え? え?」


 ロールプレイングゲームの名前がないキャラクターのように同じ言葉を繰り返す秋生さん。そして私──伊集院晃いじゅういん・あきら

 ここ、現代日本だよね、と思わず自問自答してしまう。腕時計を……いや、スマホを手に取り日付と時刻を確かめたが記憶になんの違和感もない。急におかしな世界へ迷い込んだかと思ったが、どうやら違うらしかった。


「伊集院様、やはり驚かれていらっしゃいますかね」


「驚きますよ。なんなんですか感覚遮断落とし穴って」


 現代日本のど真ん中に『感覚遮断落とし穴』があると言われて驚かないやつ、いないでしょうよ。よしんばいたとしてもそいつは感覚遮断うんたらかんたらのことなんぞ知りもしないお子様やご年配でしょうが。


 というか感覚遮断落とし穴、本当になんなんだよ。知ってるけど。……知ってはいるけど!


「感覚遮断落とし穴というのはですね。インターネット発のコミック等で一時流行した、少し変わった落とし穴を指していまして」


「ちょ、ちょっと待ってください」


 私は誇張抜きに頭を抱えた。どうつっこむか迷ったものだが、それよりもここまでの応対で好感を持たせてくれた秋生さんがふざけた解説を大真面目にやっている、いや、やらされていることが悲しかった。


「はっきり言いますがね、春野さん。私の知識が正しければ、この……か、感覚遮断落とし穴というのは、その。成年向けの漫画なんかに出てくるものじゃありませんでしたか?」


「ああ、ご存知でいらしたのですね。私はこの物件に配属されてから知ったのですが、この穴についてご存知の利用者の方々、意外といらっしゃるみたいです」


 こともなげに話す彼女。ますます強い悲しみを覚えてしまう私。

 ふざけた施設(と言っていいのか)をマトモなマンションにくっつけたのはオーナーの犯行か、それともマンションを経営している不動産業者か。いずれにしても大した悪ふざけだと憤慨せざるを得なかった。


「ご安心ください。インターネットの漫画では、感覚が消えている間に身体の一部分へとても酷いことをされるというイメージを持った方がいらっしゃるようですが、当物件の感覚遮断落とし穴ではそのようなことは一切ございません」


「あったら大事件でしょうが」


 私も詳しいわけではないが。……さほど詳しいわけではないが。

 成年向けコミックの広告などで、無表情な女性のキャラクターが落とし穴に嵌まり、魔法か何か(ファンタジーな世界観なのだろう)で自らの下半身の感覚を断っているシーンを見かけたことがある。そのキャラクターは感覚を遮断している間に助けを待っていたのだが、穴の中ではグロテスクなモンスターが蠢いていて、剥き出しになった女性の下半身へ様々な悪戯を行っていた。だが、魔法を使った女性は感覚を断った下半身がどのような仕打ちを受けているかも自覚することなく時は過ぎ……という流れのストーリーらしかった。


 私はそういった作風のサブカルチャーへ本当に詳しいわけではないのだが、日本の高層マンション地下で人知れずモンスターに悪戯される人間がいるならばとてもとても可哀想だと思う。もう驚くどころの次元じゃないって。


「こちらの施設、オーナーのご厚意で当物件に併設されたものとなります。日本では唯一、感覚遮断落とし穴を合法的に体感できるスペースだそうですよ!」


「こんなものが2個も3個もあってたまるかぁっ」


 思わず大きな声を出してしまった。

 というか、違法に楽しめるスペースがあるのかな。言葉の綾じゃないよね。嫌だよ、みょうちきりんな落とし穴がボコボコ開いた国に住むの。


「大体、どんなオーナーなんですか。こんな仰々しい部屋まで建てて」


「オーナーのお名前は公開されておりますが、例の新薬で表彰などを受けた屋良椎琴好やらしい・ことすきというお方です。屋良椎さん、医療をリラクゼーションへ還元することに関心がお強いそうで……」


 ああ……そういえば、屋良椎って聞いたことがあるかもしれない。

 なんか、不妊症の特効薬を開発中とニュースで報道されていた気がする。特許か何かで儲かっているのだろうか。いやアホか。こんなクソ落とし穴で何がリラクゼーションやねんボケコラカスぅ。


「せっかくですし、伊集院さんも体感されていかれますか?」


「え」


「本来は入居者様限定ですが、現在は他の方の利用予約もございませんので」


「え、あいや、その」


 私は言い淀んだ。

 即答は避けた。いわゆるエロのサブカルチャーに関してさほど詳しいわけでないし、感覚遮断落とし穴のことは見知ってはいるがさほどの興味もなかったし。うん。さほど、さほどは。


 だが。まあ……。正味……本音を言うと……。


 ちょっとだけ、嵌まってみたかった。

 よく知らないけど、記憶には残っている「よくわからないもの」がある。未知の体験それ自体には興味があるし、実際に体感できる唯一の施設、という言われ方をすると、気になる。


 しかし、感覚遮断落とし穴にどんな楽しみ方があるというのだろう。

 一応。一応、聞くだけは聞いておこう。うん。


「ご利用される方では、やはりここでしか味わえない感覚を楽しめるのが興味深いというお声が多いですね」


「な、なるほど」


「私は意外だったんですが、ご年配に人気ですよ。ぼぉっと時間を過ごせるとか、不思議なプールへ入っている気持ちになるとか」


「ほぉう……」


 感覚を遮断されることで、むしろ日常では味わえない新しい感覚を得るということか。

 気にな、いや、うん……やっぱり気になる。やるかやらないか以前に、大人としてやっていいのか、どうかが気掛かりだけど。それでも、正直……好奇心優先だろうとなんだろうと、気には、なる。


「あの……ぉ。いちお、気にはなるので……もう少しだけ、伺っても?」


「もちろんです! 気になることはなんでも仰ってください!」


 屈託のない笑みを浮かべる秋生さんが、妙に眩しかった。

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