第2話 逃走
―――――ああ、めちゃくちゃだ。何もかもが。
そう思いながら、セルヴィオンは馬を駆り、全速力で平原を走っていく。そうやって疾走している中、所々にどこかに向かうために歩くか、走っている兵士たちや、もはや心が折れたのか、その場に挫いている者たちが目に入る。彼らは戦闘での敗北の後、逃げ出した者たちなのだろう。彼らがどこに向かうつもりなのか、もはや知る術はない。
「……死ぬところだったな。本当に」
戦闘で勝つと思った討伐軍が破られ、辺境伯さえ降参してしまった。そして、あの奴が名の知れない騎士を殺して、メディニアが暴れ出して、死ぬ羽目になって……
「あいつ、何で俺たちを逃してくれたのだろう」
あの奴が自分の部下に口で命令すれば、俺たちを倒すことは造作でもなかったはずだが、意外に逃してくれた。いや、俺やフロルのためでなく、メディニアのためだったのか?そう言えば、メディニアとあの奴の会話を思い出してみると、二人って互いのことを知っていたようだった。
「……兄貴、今何を考えている?」
俺がそうやって考え事で夢中になっていると、隣で馬に乗っているフロルがそう尋ねる。フロルの後ろには、メディニアが無言のままフロルの腰に手を回したまま座っている。
「あ、いや、何でもない。これからのことを考えていたんだ」
「ああ、でも今は周りに気を付けた方が良いぞ。戦場から離れたとは言え、ここは辺境地帯だ。何が来るかは分からない」
「……確かに、そうだな、モンスターに出くわすかもしれないし、何なら、あの魔女たちの軍が、追撃してくる可能性も……」
あの奴が俺たちを逃してくれたとは言え、途中で考えが変わって追手を送り出したかもしれない。油断は禁物だ。
「それだけど、気配からすると追手は来ないようだから、それは安心して良いぞ」
「……ああ、ありがとう」
フロルは俺の気が緩んだ時にもそうやって周りを警戒してくれたようだ。フロル、生き残った、唯一の仲間か。
「にしても、死んだ仲間の遺体を葬ってあげようって言ってたけど、できなかったな」
そう。っていうか、目にすることすら叶わなかった。もはやあの場所に赴くことは自殺行為に他ならないだろう。数百の軍勢でも行けなかった所だ。たかが冒険者一人や二人が行っても、何もならないだろう。
「そう……ごめん、兄貴にこんなこと言うのはあれだけど、皆の遺体を取り戻すは、難しいようだ」
「……ああ」
それを聞いて考える。もはや、皆の遺体を葬ることは、できないか。
「なあ、フロル。じゃ俺たち、これから何をすれば良いのだろう」
今まで自分の行動の芯になっていた目標がなくなった。これから、何をすれば……
「……それは、僕も分からない。でも今は目の前のことに集中しないとだ。早く帰ろう、セベウに」
「ああ、そうだな」
取り敢えず今はセベウに戻ることに集中した方が良いだろう。今後のことはそこに着いた後、身が安全になってから考えても遅くはない。
「……殺すのみよ」
「うん?」
そんな風に考えていると、メディニアがそう呟いている。
「あの男を、スメラギを殺す……何があっても。それが、私の唯一の目標……」
そう、あの奴の名前って、スメラギだっけ。どうやらメディニアはあいつを殺したがるようだ。そう言えばあの騎士って、あいつのお父さんだったな。自分の親が殺されたのなら、そうも思うだろう。復讐を誓う彼女の声は、以前とは違いどこか無慈悲さ、冷たさを含んでいる気がする。
「しかし、できるのか?あいつを打ちのめすとしても、一人では無理だろう」
「……何とかする。もし誰も一緒にいく人がいないなら、私一人でもあの場所に行く。ただ、殺すのみ。それが私の全て」
「……」
メディニアのその声には揺らぎのない決意だけが感じられるのみだった。ここで俺が何を話しても意味はないだろう。
「そうか。分かった。一旦、街に戻ってから考えよう」
今はセベウに戻って整備するのが先だ。しかし、街はどうなったのだろう。彼らは敗戦のことを知っているのだろうか?だとしたらさぞ大騒ぎになっているかもだ。そう思いながら、俺は手綱を握る手に力を入れる。
……彼らがそうやって走る中、同じ空の下、違うところでは違う人がただ自分の馬を走らせていた。
―――――ああ、くそだ。何もかもが。
そう思いながら、私は馬を走らせ、メアイスに向け走り、逃げ続ける。
「……戦闘は、どうなったのだろう」
土が泥に変わり、騎兵隊の突撃が頓挫されたのを見たのが最後だ。そして光に包まれて謎の敵軍が登場して交戦を始めたのだが、その後どうなったのだろうか。
「負けた、勝った……?分からない。いや、状況的に見ると、負けたか。そうに違いない」
そうだ。討伐軍が強いとは言え、昨夜の火災でかなり弱まった状態だった。その上に歩兵の支援なしに騎兵だけが攻撃されたのだ。それに相手は魔女。まだ私たちの知らない黒魔法を仕掛けたかもだ。援軍などない状態で彼らが勝つ可能性は少ない。今頃彼は死んだか、捕虜になったのだろう。せっかくだし、死んでくれないかな。
「これからは、辺境地を離れて東に行くんだ」
そう。メアイスまで行って、船に乗って東に向かうんだ。そこで新たな主君を探して騎士になるか、それとも、騎士ではなく他の道を探すのだ。何をしても、あんな人生はもうごめんだ。そう考えていながら丘を登ると、遠くにメアイスが見える。
「やっと着いたか」
馬もかなり疲れているし、走るのを止め歩かせる。どれぐらい走ったのだろう。最低でも数時間は走った気がする。
「そこ!止まれ!身分を証明しろ!」
城門に近付くと、警備をやっている衛兵が私を止める。身分を明かす必要があるようだ。
「私は騎士シェパード。用があってここに来た」
「うん?騎士?騎士が何の用でここに?」
その衛兵は何か意外だという反応を見せる。まあ、城内に入るにはそれなりの名分が必要ってことか。適当な名分を考える。
「……フシティアン閣下の指示を果たしに来た」
「あ?指示だと?」
「ああ、知っているか?異端審問官ピエール司祭が、魔女の手に殺された」
「!?な、なんだと?」
こいつはまだ知らない様子だ。噂がまだ広がってないのか。
「そうだ。彼は自分が捕まった魔女によって斬首され、死体と化した。それが昨夜のこと。そして、その魔女らを滅ぼすために閣下は討伐軍を編成し、魔女らの巣に向かった。だけど魔女は自分らの軍勢を有していて、討伐軍は正面から破られたのだ」
まあ、彼らが負けたのは間違いない。そんな気がする。
「そ、そんな、じゃ、あなたは何でここに……」
「私は、そうだな、戦闘の途中に閣下の命令を受けたのだ。魔女の軍勢のことを、この世界に知らせろと、それが私がここに来た理由だ」
「……し、信じられない。ピエール司祭が死んで、辺境伯が負けて、魔女が軍を持っているなんて……」
目の前の衛兵は私が提示した情報に困惑しているようだ。まあ、いきなりこんなことを聞かされたらそうなっても仕方ないか。
「という訳で、城内に入ってもらうぞ」
「あ、ああ……」
馬に乗ったまま、城内に入って行く。目標は川の方に接している埠頭。そこで船に乗って、このくそみたいな辺境を脱出するんだ。そう思いながら城内を進んで行くと、周りから民衆の騒めきが聞こえる。
「な、聞いたか?ぴ、ピエール司祭が魔女に殺されたって!」
「え?嘘だろう?」
「い、いや、それが本当なんだって!そして魔女たちを打ち滅ぼすためにヘルパウナの辺境伯が討伐に向かったけど、負けちゃったってよ……」
「あ?信じられない……じゃ、セベウとか、そっちはどうなったのよ?」
「知らん、聞いたけど、商会が今からそっちに人を送るらしいぜ」
何と、衛兵に言っておいたことが既に噂になり始めたようだ。そして商会が人を送ると。これからこの噂は広まり、この辺の一帯を瞬き間に覆い尽くすだろう。
「まあ、関係ないことだ。それより、埠頭は、こちらか」
馬で道を進んで行くと、建物の列を超えて遠くに埠頭が見える。そこにはいつものように船が出入りしていて、物資と人を運んでいる。
「良し、もうす……」
船が見えたので胸がほっとする。もうこの忌々しい地域を脱出できる、そう思う時だった。
「ちょっと、そこの騎士、少し良いかな?」
「あ?」
誰かの声が聞こえたので後ろに振り向いてみると、とある神父が私を見ている。
「……?」
黒い祭服をまとった、謎めいた雰囲気の神父。歳は50代ぐらいだろうか。高い背に白い髭を生やした彼は、茶色の瞳に光が宿っている。とにかく落ち着く雰囲気の持ち主だった。
「……」
そしてその神父の後ろには、険しい雰囲気のシスターが立っていた。
「そう言えば自己紹介がまだだったな。私の名はクロード。ここで神父をやっている。それはともかく、見るからにして君が今の噂を流した人物のようでな。異端審問官、ピエール司祭が死んだって本当か?」
「あ、ああ。そうだ」
この人、髭で表情が見えないから何を考えているのか分かりづらい。
「ふむ。なら少し同行してもらって大丈夫か?辺境伯と言い、魔女やピエール司祭に関して少し調査してもらいたい。あのピエール司祭が殺されたって、興味深いじゃないか」
「え?調査だと?」
「ああ、噂が本当なら、唯では済まない事態かもだ。調べて上に報告しないといかない」
クロードは私に同行を要求している。しかし、私はここら辺に長くいるつもりはない。そして教会って、何か胡散臭いし、同行しても何がどうなるか予測ができない。悪いが断るか。
「いや、断る。君たちの事情を分からないのではないが、私は忙しい」
そう。一刻も早くここら辺一帯から立ち去りたい。教会などと協力する暇はない。
「そうか。分かった」
クロードは断念したように見える。話の分かる神父で良かったな。
「じゃ、それでは」
そうやって彼らに別れを告げ、港の方に向かおうとする時だった。
「シスター・ルイス。この騎士を制圧するように」
「……はっ」
「……あ?」
一瞬、あの神父の言うことの意味が理解できなかった。制圧?どういう意味だ?その間。ルイスと言うシスターが私に襲い掛かる。
「ふっ!」
シスターは私の方に跳躍し、咄嗟に槍を取り出して私の胸元に突き刺そうとする。瞬き間に飛来する刺突。全く予想外だったのでまともな反応を取れなかった。
「!?くそっ!」
しかし、こう見えても私は騎士。普段から武術を錬磨し、いつも戦闘を経験してきた者だ。頭より先に体が反応し、咄嗟に飛び去って左手でそれを受け止める。ガントレットと槍がぶつかり、鉄の悲鳴が鳴り響く。それを機に危険を悟った周りの群衆が慌てながら去って行く。
「くそ!何だお前ら!いきなり襲いやがって!」
「……調査に応じないのなら、無理やり協力させるのみだ」
「は?おま、」
「食らいなさい……!」
そして連続して来るシスターの攻撃。私が後ろに退いて稼いだ距離を縮めながら、槍を持ち上げ右上から左下に斜めに振り下ろす。フーンと、槍が空気を切り裂き、私を襲おうとする。
「悪いが、女に打ちのめされる気はない!」
「ちっ……!」
息を呑み、すぐに剣を鞘から出し、槍の一撃を打ち返す。槍と剣がぶつかり拮抗する中、力を入れて無理やりに押しのける。力に押され槍が弾かれると同時に、シスターの姿勢に隙間ができた。
「悪いが、攻撃を食らうのは君の方だ。シスター」
その隙間を逃さず、前に進むと同時に剣を前に突き刺す。狙う場所は、彼女の胸元。やがてこの刃が彼女の胸元を貫き、筋肉と臓器を蹂躙するだろう。これでさらばだ。
「……光よ!」
「……?」
そうやってシスターが倒されるはずだった際、それは起きた。彼女そう叫ぶと同時に黄金のような眩い光が彼女の体を包み込んでいく。そしてそんな彼女の胸元に、私の刃が刺さる時だった。
「……!な、何だこれは!」
その薄い光に包まれた体に触れると、なぜか硬いものに触れたかのように私の刃が弾かれてしまう。これは、どういう?その際、攻撃が防がれたことで姿勢が崩れ、隙間ができてしまった。本気を出したシスターはそれを逃すことなく、私に跳躍する。
「食らいなさい……!」
「!しまっ、」
姿勢を取り直して防御しようとしたが遅かった。咄嗟に私の目の前に来たシスターは放してしまった槍の代わりに拳を握り、私の顎にそれを打ち飛ばす。その一撃で脳に衝撃を受けたのか、意識が遠ざかっていく。
「ふぅ、ふぅ……状況終了です。神父」
倒されて意識を失った騎士を目の前にし、肩で息をしながらシスターは言う。
「うむ。悪くない。この者を運び、聖堂に戻ることにしよう。何があったのか調べないとだ。そして今からセベウに人を送るか」
「……はい」
「にしても、かなり手強い相手だったようだな。神聖魔法まで使うとは」
「……いえ、単に私の腕が鈍っただけです」
そう淡々と言葉を述べて行くシスターは、人間らしさがなく、ただ寒気じみた目で自分の手と槍を見ている。
「まあ、分かった。では急ぐように」
シスター・ルイスがシェパードを担ぎ、彼らは聖堂に向かう。その際にも、シェパードが発した噂は広まっていく一方だった。
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