第2章 黒死病軍

プロローグ 炎に包まれた街



「ふぅ、ふぅ……」



 手が震える。体中が汗だらけで、恐怖と緊張で頭がどうにかなりそうだ。肌を通して焦がれる熱気が感じられる。



「ちっ……」



 右手の剣を握り締める。燃え上がる街の中、周りからあらゆる叫び声が聞こえる。



「食らえへ!死ね!くそどもが!」



「敵を補足、攻撃を、開始……」



 兵士の叫びと、鉄と鉄のぶつかる音が響き渡る。



「くあああ!くそ……!もう無理だ!この街はもうだめなんだ!俺は逃げる!」



「わ、私も!私たちなんかが勝てる訳がない!」



「お前ら!逃げちゃだめだ!俺たちが戦わなくては、住民は誰が守る!」



 月の見えない暗い真夜中。街は燃やされ、兵士たちが襲撃者たちと戦っている。城門、街の中、そして城壁の上にまで、生気のない者たちが現れ、この街を襲い掛かる。私はこれに見覚えがある。前に辺境伯の討伐軍と戦っていた、魔女の軍勢だ。



「くそ!今も奴らが来ている!お、おい!早く退け!俺が先に出る!」



「きゃあ!!!押さないで!」



「だ、誰か助けて……!」



「ふ、踏まないで!お願い……!」



 逃げていく人たちが、まだ敵のない裏の城門に殺到する。狭い門に数百、数千の人が群がり、人混みができてしまった。早く出たい者が前の者を押し、そのせいで誰かが倒れていく。倒れた者は人波に潰され、二度と起き上がることもできず、群衆の足に踏み潰され、骨が折れて死んでいく。



「ふぅ、ふぅ……」



 死んでいく者たちの叫び、恐怖による絶叫、生き残りたいという思いによる焦りと怒り。それらが重なっていき、街は文字通り地獄に化していた。だが、私にとって大事なのはそれではない。



「ちっ……お前さえ、なければ……」



 考えてみよう。討伐軍と戦った敵兵たちがここに来たということは、当然、あの男もここにいる可能性が高いのを意味する。そう。私の唯一の家族を殺した、あの男が……そう思い、私は逃げずに城内を探し回った。そしてつい、見つけたのだ。私の仇。スメラギを。



「……貴様、しぶといな」



 親の仇を取る絶好の機会。私はそれを逃さずあいつに襲い掛かったものの、また、あの忌々しい女騎士に防がれてしまった。前と同じく、目の前に立ちはだかった巨大な壁。私は、何としてでもこの壁を越えなくてはならない。だが、何回か刃を交えてが、この壁は倒れそうな気配すらない。鉄壁のような彼女に何の被害を与えることもできないまま、握っていた剣が壊れてしまった。



「こ、殺してやる……お前も、あいつも!」



 今の状況が余りにも悔しい。この騎士さえいなければ、あいつなんかとっくにこの手で……そう思いながらもう一つの剣を構える。



「司令、如何しましょうか」



『……ふぅ。メディニア、何回も言ったが、私は君まで手に掛けるつもりはない。今が機会だ。早く逃げたらどうだ?』



 女騎士の後ろ、馬に乗っている奴がそう話す。あいつは今、私のことを哀れむような目で見ている。



「ふ、ざけるな……私は、お前を殺して、パパの、仇を……!」



 そう。今の私の状態は決して良くないが、奴を殺すには今しか機会がない。女騎士を除いて、周りに彼の護衛は誰もいない。そして彼は今片腕もなく、一人では自分を守ることもできない身だ。女騎士さえ何とかできれば、復讐など、造作もない。



『やはり言葉で説得してもらうのは、難しいようだな』



 あいつは私を見て、何かを諦めたようにそう呟く。



『ハウシェン。メディニアを無力化せよ。殺すのでなく、ただ気絶させるように。絶対傷を負わせるな。できるか?』



「……はっ。仰せの通りに」



 女騎士の名前、ハウシェンというのか。スメラギは私を殺す気ではないようだ。殺すことなく、ただ気を失わせる気なのか。はっ、つい笑いが出てしまう。私って、どれだけ舐められているのか。その命令を聞き、ハウシェンが剣を構える。



「ふぅ……」



 本格的な一騎打ちが始まるのか。震える右腕を抑え、歯を食いしばる。



(でも、勝てる気がしない……どうすれば……)



 そうだ。前には気付けなかったが、今の戦いでようやく気付いた。ハウシェンは私より何倍も強い。力から剣術なで、何もかも私より長けている。今までもそうだったが、これからもこの戦いは私に不利なものになるに違いない。常識的に考えると、逃げるべきかもしれない。だが、



「でも、逃げない。絶対逃げない。戦う。戦って、敵を殺して、私も死ぬ……!」



 一度はともかく、二度も逃げるとか、あり得ない。あってはならない。己の全てを以て、この壁を越えなくては……!



「ふっ!」



 剣を握り締め、ハウシェンに襲い掛かる。



「させん!」



 ハウシェンがそれに応じ、私に突進する。ロングソード構えた腕を上げる。私に振り下ろそうとするのか。



「食らえ!!」



 振り下ろされる重たい一撃。右腕の剣を持ち上げ、その斬撃を正面から受け止める。



「くうっ……!」



 刃と刃がぶつかり、衝撃で剣が震え出す。次はこちらが攻撃する番。手首も衝撃で震えるが、それを堪えて咄嗟に攻撃に移る。目標は、剣を握っている奴の手首。剣を奴の手首に素早く振るう。



「……攻撃の意図が丸見えだ。それで相手を倒せると思うのか?」



 そう言い、彼女は私の斬撃を跳ね返す。動きが見透かされたせいか、私の斬撃はそれによって呆気なく防がれてしまう。



「ちっ……!」



「剣を落とさせるにはもっと迅速に、力を乗せないとな。このように!」



 それと共に、ハウシェンから素早い斬り付けが飛来する。瞬く間に振り回される攻撃。その行く先は、私の胸元か。剣を下から上に振るい、それを押しのける。だがそれで終わりではない。一秒以内に次の攻撃が来る。今度は、上から振り下ろされる一撃。剣を持ち上げてそれをまた止める。真正面から受け止めた衝撃で、また刀身が軋み、悲鳴を上げる。それに押されないために力を振り絞る。



「貴様、疲れているな。食らえ!」



 疲れたのを感づかれてしまったようだ。私より強い敵の相手をしたことで、実はさっきからかなり疲れていた。だが、今はそんな甘いことを言える場合ではない。彼女からの次の攻撃が飛ばされる。今度は、横からの攻撃だ!剣を縦にし、それを止める。



「くっ、そ……!」



 また刃と刃がぶつかる。壮絶な衝撃。もう無理だと考えている時、連続の衝撃に耐えられなかったのか、刀身にひびが入り、剣が壊れてしまう。壊れて飛び散る刀身の破片から、私と女騎士の姿が映る。



「……!?剣が!」



 もう一つの剣が壊れてしまった。もう残ったのは、一本のみ。素早く後ろの退き、最後の剣を鞘から抜き出そうとする時だった。



「て、手が……」



 剣を握ろうとする手が震え出し、揺れが止まらない。そのせいで剣を握ることもできず、地面に落としてしまう。緊張と疲れて、体が言うことを聞かない。体中が冷や汗だらけだ。



『メディニア、そろそ、』



「黙れ!降参なんかしない!お前は、私の敵だから!!!」



 彼が私に何かを言おうとするが、焦りと怒りで無理やりそれを黙らせる。



「ふっ!」



 その間、ハウシェンが私に突進してくる。くそ!早く剣を持たなくては!緊張と焦りで体がどうにかなってしまった自分が余りにも情けない。



「くそ!何で、何で……!」



 脚の力が抜けてしまい、その場で倒れ込んでしまう。もう、終わりなのか。つい目を閉じてしまう。ハウシェンが私に一撃を食らわせようとする時、どこかから声が聞こえる。



「メディニアァ!!!」



 どこかから聞こえて来る声。ある男が私の前に飛び出て、ハウシェンの前に立ちはだかる。目を開けて見ると、それは冒険者、セルヴィオンだった。



「え?あなたは……」



「お前、大丈夫か!?」



「え、あ、大丈夫……」



「なら良い。フロル!メディニアを助けて!」



「ああ、任せて……!」



「え、あ……」



 いつの間にかフロルまで来て、私を連れて後ろに下がる。



「……貴様らは、」



『……』



 ハウシェンは、いきなり現れたセルヴィオンたちを見て戸惑ったようだ。スメラギは、複雑な表情で黙り込んでいる。



「やっと会えることができたな!おい!今度こそ、けじめをつけてもらうぜ!」



 セルヴィオンはそう言いながら、ハウシェンに攻撃を仕掛ける。その時だった。



「って、あれはブライアン様の娘じゃないか?」



「ほ、本当だ!そしてあれは何だ?敵か?」



「お前ら!あの人たちを助けろ!」



 後ろで、何人かの兵士の声が聞こえる。そこを見ると10を超える兵士たちがこちらに駆け寄っている。援軍、ってことか。



「皆で力を合わせて、こいつらを打ち倒すぜ!」



 たくさんの援軍、そしてまだこちらに敵の援軍の様子はない。スメラギの顔色が悪い。こちらに来れる彼の援軍はないのか?ならば、今がチャンスかもだ。そう思うと、何だか力が湧いて来る。



「わ、私も!」



 何とか起き上がり、落とした剣を拾う。



「できるか?無理してはだめよ。ここは、僕たちで何とかするから」



 フロルの私を気遣うその言葉を断り、前に出る。



「いや、私も戦う。親の仇、取らないと!」



 フロルとセルヴィオンに、10を超える兵士たちがハウシェンとスメラギに立ち向かう。これ程の戦力の差。負けるはずがない。自身が湧いて来る。



「司令。今は後退した方が良いかと。司令を守りながら敵を殲滅し、あの女を制圧するのは、私だけでは無理だと判断します」



 ハウシェンの報告。それを聞いて彼は何かを考え込むようだ。



『……そうか。そうだな』



「は!お前ら、ふざけてんのか?この状況で、俺たちがお前らを逃してやる訳がねぇだろうが!」



『……いや、後退などない。戦力を補強する。アルマ・アルキウム、召喚してない全兵力を召喚せよ』



 セルヴィオンの言葉を遮り、スメラギはそう呟く。この状況で戦う気なのか?にしても、アルマ・アルキウム?何だそれは?そう考える時だった。



「……!な、なんだこれは!」



「う、うわああ!!」



「いきなり、敵兵が現れただと!?」



 スメラギの周辺の地面が青く光り出し、十数の敵兵たちが現れる。これは一体?こんなのって、あり得るのか?



『全軍。戦闘を開始。我が敵を殲滅せよ』



「「了解」」



 そう呟き、彼らが私たちを攻撃し始める。いきなりの戦闘で、その場の皆が混乱に落ちていく。



「くそ!フロル!メディニアを守れ!にしてもこれは一体何なんだ!いきなり兵士たちが湧き出るとか、こういうのってありかなのよ!」



 セルヴィオンも自分の前の敵と攻防を始める。私も、敵を殺さないと……!



「私も、戦う……!」



 力を振り絞り、近くにいる敵兵に剣を突き刺す。その刺突攻撃は鎧に受け止められてしまったが、衝撃を与えることはでき、その者は後ろに倒される。



「死ねえ!」



 その倒れた敵兵の顔に、止めを刺そうとする時だった。前方から剣撃が飛ばされて来たので、咄嗟に後ろに下がる。



「また敵?ちっ、ならそいつを先に……!」



 そう思い、私の目の前に立ちはだかるその敵兵を見る。巨大な体躯で最初はハウシェンかと思ったが、そうではないようだ。その者の顔を見る。



「……敵を捕捉。これより命令を実行する」



「……え?」



 だが、私に立ち向かうその敵の顔を見て、つい言葉を失ってしまう。心臓が止まるかのような衝撃。この人は、一体?



「う、うそ、でしょう……?」



 状況把握ができない。何なんだ。これは……?戸惑う私が何もできない間、その者は沈黙のまま、ただ武器を構える。攻撃する気なのか。だが、私はそれを見ても何もできない。



「メディニア!何をしている!!しっかりしろ!!」




 少し離れたところで、フロルが敵と戦いながら私に叫ぶ。だが、それを耳にしても、その敵が攻撃してくるのを知っても、体が動かない。存在自体が、凍ってしまったかのようだ。



「……食らうがよい」



「メディニア!!!」



 フロルが叫び出して私の方に走って来る。だが、それは余りにも遅かった。その敵兵の、ただ敵意だけが込められた無機質な一撃が、私に飛来する。

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