第17話 洞窟の中で2




『あれは……?ゾンビ、なのか?』



 目に入ったそれは、今までのゾンビとは段違いに体が大きいものだった。背が軽く3メートルは超えそうなそれは、腹から始め体中が膨らんでいて、中に何かが限界まで溜まっているように見える。あの腐敗した体、悪臭も並みのゾンビと比べられない。それはこちらに近付いて来ている。だが、体躯が非常に大きいせいだろうか、動く速度はそれほど早くはない。



「あれは、ゾンビなの?信じられない。あんなもの始めて見るけど!」



「確かに、アンデッドは何回か見てきたが、あんなものは初めてだ。どうする。このまま戦うか?」



「それは……」



 時間はあまりない。今もあれはこちらに来ている。クライストはどんな判断をするのだろう。



「これほどのゾンビの群れあるということは、この辺に奴らの巣があるということだろう。ここで後退しよう!」



「分かった。では後ろから順番に……え?」



「くあああああ!!!!!」



 私たちの言葉を理解でもしたのか、その巨大なゾンビはいきなりこちらに走り出す。その重さのせいで地が揺れる気さえする。



『あいつ、走れるのか!?』



「え……?何かやばそうだけど……」



「あの速さならすぐ追いつかれるだろう。仕方ない、皆、戦闘準備!あいつだけ倒してここを出るぞ!」



 幸い、周りに他のゾンビはないようだ。ならばあいつさえ倒せばいいはず。さっきと同じフォーメーションで皆があいつを迎える。あいつがその巨大な爪でシュヴァーベンをひっかくが、彼は盾でそれを防ぐ。そしてその隙間に両方からバシリアとクライストが斬撃を飛ばし、そいつの腹を斬り付ける。腐った肉が容易く切り取られ、傷穴が開く。



「くあああ!!!!」



 腹を攻撃されたことで、そいつは悲鳴を上げながら倒れる。その衝撃は余りにも大きくて、洞窟が崩れるのではないかと心配になる程だった。



「え?死んだ?」



 どうやら皆、そいつのあっけない死に呆れたようだ。



「……あっけないな。見た目ではかなり強そうだったが」



「まあ、あっさりだったけど、それならそれでいいか。一旦……」



 クライストが話す途中に、それは始まった。倒れたあのゾンビの腹の傷から、謎の紫色のガスが爆発するように噴き出る。それはすぐにその場を満ちていき、私たちを包み込む。



「うあっ!なにこれ……くっ!」



「の、喉が……目が……前がみえない……」



「ゾンビの中に溜まっていたガスなのか?こういうのは初めて……うああっ!」



『これ、臭いな……って、ううぅっ!』



 私はそれを少しだけ吸い、咄嗟に鼻と口を掴む。それを嗅ぐと少しずつ鼻と喉、肺が焦がれるように痛み始める。それどころか目まで焼き付くようで、目を開けることすらできない。これは、毒ガスの一種なのか?



「きゃあああああ!!!」



 毒ガスでパニックに落ちたのか、メディニアは悲鳴を上げながら1人で逃げ出す。



『皆!これを嗅ぐとだめだ!早くここを離れないと!』



 少し嗅いで本能的に気付いた。この匂いと痛み。これは毒ガスの一種に違いない。これを吸うと肺などの呼吸器官が破壊され、息ができなくなる。そして目などに触れてしまったらただでは済まないものだ。最悪の場合、目や喉が溶けるかも。しかもここは洞窟の中だ。新鮮な空気など限られている。幸い、これはそれほど致命的なものではないようだ。本当に危ないものだったら、吸った直後に即死に至ったかもしれない。とにかく早くここを出ないと。私は危機感を覚え咄嗟に動き出す。



『皆、こっち!早く動けって……!くっ!』



 どうやら残りの四人はこれが初めての毒ガスなのか、鼻と口を掴み、苦しんいるのみだ。鼻から何か落ちたようなので、それを触ってみると、鼻と目から血が出ているのに気付く。そして咳が出る。それを手で受け止めると手には血が付いている。痛い、体の中が焼き焦がれるように痛い。



『やばい、これ本当に死ぬかも。一旦逃げる!』



 私は一旦毒ガスが広まってない後ろまで後退する。まだ安全な空気を吸って、体を落ち着かせる。だが咳が止まらない。



「だ、め、いき、が……」



「くっ、逃げなくては……!皆!しっかりして!今から……」



「……うおおお……!」



 洞窟の向こうから、ゾンビのうめき声がまた聞こえる。そちらを見ると、またゾンビの群れが走って来ている。数は……50は超えそうだ。最悪なことに、その群れにはガスを噴き出したあの巨大な奴も混ざっている。



『だめだ、涙が出て……早くこっちに来いって、皆!』



「あ、わ、分か……」



「うう、いき、あ……」



「くっ!くそ……!」



 立ち直そうとしたシュヴァーベンとエリーヌが倒れてしまう。バシリアは何とか血涙を流しながらこちらに来る。



『……仕方ないな』



「シュヴァーベン!エリーヌ!くそ!気絶したようだ。どうしよう……!あ、ゾンビが!それも止めないと……!」



 苦しみながら戸惑っているクライストを、まだガスが広まってない所まで強引に引きずり出す。



『だめだ、一旦回復をしないと、こっちに来なって。あ、そうだ。兵士は?』



 緊迫した状況のせいで彼らの存在を忘れていた。向こうを見ると、彼らは毒ガスの中でも健在で、以前のように立っている。



『あのガスを吸って無事なのか……?ならいい、全員!あのゾンビの群れを止めろ!』



「「了解」」



 今クライストのパーティーは戦闘できない。その時ふと気付く。私の兵士は六人。彼らがガスを吸っても問題ないなら、四人でゾンビを止めて、残った二人でシュヴァーベンとエリーヌを救出させれば良いはずだ。



「今のうちに、シュヴァーベンとエリーヌを救う!バシリア!行くぞ!」



「くっ……うん、わ、分かった」



『いや、その必要はない。ここで待ってろ。私の兵士で救わせるから』



「あ、そういう手があったか……!」



 クライストは驚いたようだ。取り敢えず指示を出す。四人がゾンビの群れに進んで行く。その時だった。



「うおおお!!!」



 ゾンビたちが大声を出し、いきなり猛烈に突撃してくる。特にあのガスを含んだ奴が先頭で走って来るため、私の兵士たちが質量に押されてしまう。兵士たちが応戦し、ゾンビの何匹かを倒すことはできたが、物量の差に押されていくのみだ。



『何だ。あいつらってあんなに強かったっけ?もう四人しか……』



 咄嗟に2人の兵士が倒されゾンビたちに千切られていく。兵士の体が嚙みつけられ、彼らと繋がった糸もなくなる。今ゾンビの群れを止めている兵士は二人のみ。



『残り二人、救出を諦めてゾンビと戦え。最大限時間を稼ぐように』



「「了解」」



 残りの兵士全員が全力でゾンビを受け止めようとし、交戦を始めた。だがいつまで保つか分からない。



『クライスト、シュヴァーベンとエリーヌは諦めた方が良さそうだ』



「……え?」



 クライストは私の言葉に衝撃を受けたようだ。私は淡々と理由を述べる。



『兵士たちで救わせようとしたが、今の状況を見るとできない。ゾンビの群れの攻撃を兵士たちはそんなに耐えられない。一瞬で二人がなくなって、今残った全員でゾンビを止めている。よって倒れた二人を救うのはできない。今のうちに私たちだけで逃げるのが生き残れる可能性が高い』



「いや、だめだ。あの二人を、救わなくては……行くぞ、バシリア」



「ああ、もちろん」



 どうやら彼らは私の意見を受け入れない気のようだ。毒ガスの中、倒れた彼らを救いに行こうと


している。



『……正気か?あのガスを吸うとどうなるか知っているだろう?それにあの二人はもう……』



「いや、まだ生きている。今のうちにあの二人を救い出す。ここで待ってろ」



「……仲間を見捨てて自分だけ生き残るとか、私には無理。生き残ろうが、死のうが、私たちは一緒だから」



 私が止めても彼らは行く気のようだ。ゾンビの方を見る。残りの兵士たちは今も何とか耐えている。



『分かった。やるなら、今のうちに』



「ああ。バシリア、君はエリーヌを担当して。行くぞ!」



「ああ!」



 クライストとバシリアが毒ガスの中に入って行き、倒れた二人に近付く。



「エリーヌ!気をしっかりして!ここから出るんだから!」



「……うぅ、あ……」



「シュヴァーベン!目を覚ますんだ!」



「……」



「バシリア!皆を担いで行くぞ!」



「分かった!」



 結局おんぶして行くつもりのようだ。彼らの目と鼻から血が出ている。



「くっ!シュヴァーベンが、重すぎる……!」



 バシリアはともかく、クライストはシュヴァーベンを担ぐのに問題があるようだ。彼は背も高く、鎧を着ている。かなり重いのだろう。その時だった。



「うおおお!!!!」



 ゾンビの群れに耐えられず、兵士たちが次々と倒れていく。もう残ったのは一人のみ。一部のゾンビがクライストたちに近寄る。



『くそ!もう無理か。皆!シュヴァーベンは捨てて逃げろ!ゾンビが来ている!』



「くそ!でも、仲間を……」



 今できることを考える。残った兵士は一人のみ。彼を利用して、クライストたちを助ける方法を。



『生き残り!あのガスの溜まったゾンビだけでも何とかしろ!』



「……了解」



 最も危ないのはあのガスゾンビ。それだけでも何とかなれば、皆の役に立つはずだ。兵士があのゾンビに飛び掛かる。だがその時、最悪の可能性に気付く。何で考えられなかったんだろう。あのゾンビが死ねば……あの二人が危ないんじゃないか?



『……!って、待って!殺しては……!』



「うあああ!!!」



 兵士の刺突で、ガスゾンビが倒れる。だが、それと同時にあいつからガスが噴き出る。空気中の毒ガスが濃度を増していき、周りを包み込む。ゾンビの爪に蹂躙されたその最後の兵士は倒れて、消え去る。



『くそ!皆!はや、』




「っ、ぁ……」



「ごめん、も、むり……」



 ガスに耐えられず、バシリアがエリーヌを担いだまま倒れる。クライストは、血塗れになってくたばってしまった。



『……え?』



「うおおお……!」



 そこにはゾンビのうめき声以外、もう何の音もない。ゾンビの群れが四人の体を貪り始める。爪によって彼らの体が潰され、手足が千切られていく。骨が折れる音がここまで聞こえる。胴体から頭が引き抜かれ、脊髄と脳水がはみ出る。千切られた腹から内臓が落ち零れる。その内臓も踏み潰され、そこから溜まっていた糞や小便が漏れ出る。



『皆が……死んだ?』



 状況把握ができない。今まで一緒に活動したあの四人が、人間ではなくただの肉と臓器のごちゃ混ぜになっていく。顔の皮が剥がされ、頭蓋骨が砕かれ、脳がはみ出て千切られ、もはや誰が誰なのか分からない。



『……ああ……』



 そしてゾンビの群れは、私の存在に気付き、私に近寄り始める。



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