第2話 天使と女神
『ふぅ……』
ここは都会のどこか。橋の上で下の川を見つめる。高さは10メートルぐらい。このまま落ちて死のうかな。
『って、これからどうしよう』
勢いで会社は辞めたものの、これからどうすれば良いか全然思いつかない。
『それより、警察に通報されたかもしれないな。でも何とかなるだろう、気にしないでおこう。それより職が……転職でも調べるか』
過去より大事なのは未来。今はこれからのことに集中しよう。そう考える時、後ろからある声が聞こえる。その声は、どこか新鮮なライムを思わせるようなものだった。
「そこのお兄さん。元気ですか?」
『うん?』
後ろを見ると、知らない女の子が立っていた。大学生ぐらいに見える彼女は黒いスーツを着こなしている。肩までくる暗めの茶色の髪をポニーテールに結んだその子は、どこか異質な雰囲気を漂わせていた。
『誰ですか?いつから後ろに?さっきまで誰もいなかったけど』
「いえいえ、通りすがりの人ですが、転職の話を聞きまして。もしかして転職先を求めていますか?」
『……?まあ、そうだけど。あなたは誰?』
何か胡散臭い気がするけど、他にやることもないので目の前の子の話に付き合うことにする。
「あ、はい!私はこういう者です」
彼女の名札を受け取った私はそれを見てみる。
『求人会社、起承転職……名前は木村恵理、か。何だこれ、会社の名前がダサいな。私にセールスしに来たってことか?職探しを手伝うって』
「お兄さん、話が早いですね!助かります。え、と私に任せてみ、」
『ごめん、後で自分でやるから』
いきなり現れた謎の女に自分の転職先を探させるとか、気が向かない。こういうのは自分でやらないと、そう思い私は彼女の存在を断る。
「え……って、さすがにそうですよね。いきなり会った人にそんなこと言われても。じゃ、教えてくれませんか?何で前の会社辞めたのか……」
こいつ、何を聞くのだろう。でもまあ、適当に返事してあげるか。
『それは、部長がむかついたから。あいつ、急に私の頭にペンを投げてきたから。お返しに体を燃やしてあげたんだ。ドタバタする姿が滑稽すぎて、嘲笑って出てきたとこだ』
「え……?体を燃やす?いくら何でもそれはひどすぎるのでは……お兄さん、頭おかしくないですか?」
自分の話を聞いてくれる人がいることで、私は思っていることを段々と語り出す。
『でも仕方なかった。あいつが先に始めてそうなったのだし。こちらだけが我慢する筋合いもない。もしそこでぐっと我慢してたら、一生馬鹿として記憶されるだけだ。やられた以上やり返す。知らないか?昔の言葉でもあるじゃないか。目には目を、歯には歯を』
「それは確かに……お兄さん。かっこいいですね。私だったらそんなことできないけどな……」
『まあ、大事なのは決断力と行動力、だから』
「……素質、よし。志し、よし、ですね。これならいけるかも。我が主よ、見つけました。あなたが探していた者を」
いきなり独り言を呟く彼女に、違和感を覚える。
『うん?今なんか言ったか?主ってどうい、』
「目には目を、歯には歯を……じゃあ、これにはどう反応するのかな?」
意味深にそう呟き、彼女は私の胸倉を掴み、そのまま私を川の方に文字通り投げ出す。
『……!?』
一瞬の出来事であるため、何の対抗もできず空に投げ出されてしまう。そして私の体は重力によって川に落ちていく。
『え?今、落ちて、いる?』
余りにも予想外の出来事のため、状況判断ができない。投げ出した?私を、あの女が?何で?あの力は何だ。普通の女が成人男性を片腕で投げ出すとか、できるのか。
『私って、死ぬのか?』
そう考えている間に落ちる速度は段々早まっていく。橋から川までは10メートルぐらい。落ちたら死ぬだろう。その時、上の方から何かが見える。
『なんだ、あれは?』
よく見ると、あれは私を投げ出したあの女のようだ。名前は何だっけ。もう覚えてすらない。
『うん?』
そいつはいきなり自分の身を川の方に投げる。その後、まるでダイビングをするように自分の
体を真っ直ぐにし、ただ落ちて来る。姿勢のせいで落ちる速度が早まったのか、あいつと私の体が空中でぶつかる。その際、彼女は私の腰に手を回し、力を入れ捕まえる。
『この、くそ女が!一体何を……!?』
「あなた、合格です。だから一旦死にましょう。こんなかわいい女の子と心中できるなんて、運がいいですね」
『え?な、』
その時、川にぶつかり、体が急速に沈んでいく。首の骨でも折れてしまったのか、衝撃で意識が遠ざかっていく。
『……はっ!』
ふと、目を覚ます。私は、夢を見ていたのか?それもかなり昔のやつを。それより私は死んだんじゃなかったっけ。自分の体を確かめる。体に傷はなく、服も濡れていない。
『ここは?』
周りを見渡す。ここは異質的な空洞のような場所だ。冷気の感じられる暗い床が無限に広がっていて、空や壁は見えなく、向こうまでただ暗闇が続いている。その中、私の前のほんの一握りの空間だけが、上からの一筋の光によって照らされている。
「……聖なる我が主よ。あなたのお教えを果たしました。どうかその目でお確かめください」
『……!』
誰もいなかった私の隣から声が聞こえて、つい怯えてしまう。そこを見ると、ついさっき私を投げ出したあの女が立っていた。名前は、何だったっけ。既に忘れてしまった。
『お、お前は……?』
「……」
私が聞いても、そいつは何の反応もなく、ただ光の方を眺めているのみだった。よく見ると、前とは雰囲気が少し違うように見える。前は暖かい雰囲気に包まれていたが、今はどこか冷たく、氷のような気配をまとっている。目付きも鋭く変わり、人間というよりは、冷たく、無機質な機械を思わせるようなものになっている。
「よくやった、プリアーポス。去れ」
空間そのものから、威圧感の感じられる、まるで吹雪のように冷たい女性の声が響き渡る。
「……仰せの通りに。引き続きお教えを果たします」
何か尋ねてみようと思ったが、その暇もなく彼女は青き光に包まれ消えていった。
『ここは、一体どこなんだ……私って死んだのか?』
「ああ、如何にも」
私が独り言を呟くと、またあの冷たい声が響き渡る。そして一筋の光に照らされている所から、白亜の玉座と、そこに座っているある女性が現れる。
『え?』
その女の姿を見て、つい言葉をなくしてしまう。20代に見える、真っ白なドレスを身に包んでいるその女性は、言葉で表すと「純白」そのものだった。綺麗な顔付き。目を閉じている彼女の顔は、彫刻のような麗しさを放っていて、肌と床まで伸びているその髪は、真っ白そのものであり、光を浴びて神々しくさえ見えるものだった。
『って、体が……?』
だが私が言葉を失ってしまったのはそれのせいではなかった。ドレス越しに見える彼女の足は血の滲んだ傷だらけで、左の足首には壊れた黄金の足枷が付いている。そして、彼女の胸元の方には、巨大な黄金の槍が刺さっている。心臓を、貫かれたのか?だが出血はなく、彼女は平穏のように見える。
『あ、あなたは、誰?む、胸元に、槍が……』
安否が気になるので、それを尋ねてみる。
「人間風情が……気にするな。大したことでない。ふぅ……そうだな。我の名はオーディウム。簡単に言うと、神だ」
ああ、神か。それを聞いてただ納得する。この異質的な空間にこんな不思議な存在、こういったことを踏まえると、神がいてもおかしくないな。あの傷や槍のことも、神なら大丈夫なのか。
『ここは、どこなんだ?』
「ここは、天使に殺された、つまり選ばれた魂のみが集い、我の裁定で行く先が決まる場所。裁定の部屋だ」
『……私って、死んだのか。でも、天使って?』
「プリアーポス。貴様をここに導いた、我の使い魔だ。それより、我の質問に答えろ」
あの女、名前はプリアーポスだったか。にしても、人間じゃなく天使だったとは。天使って意外に手の荒いものだな。それより、この神の言うことに集中しよう。
『質問なら、何でも』
「もしもの話だ。もし強大な力がお前を潰そうとすると、それにどう応じるか、答えよう。それに屈し、奴隷として生き延びていくか。それとも正面から抗い、戦って死ぬか」
質問が意外なものだったため、戸惑ってしまう。何でそんなことを聞くのだろう。
『戦い……質問の意図は分からないな』
自分を思い返してみる。自分の敵は、自分で打ち倒す。それが私。どれだけ強い圧にも耐え抜き、抗うのを止めなかった。例え敵が強大であっても、屈するなど、ありはしない。
『……自分の敵は、打ち倒すのみ。例え敵が強大だとしてもそれに変わりがある訳ではない。そう、例え殺されたとしても、死んでもなお戦うしかない』
それが私。屈することなく、身が果てるまで耐え続け、抗い続ける。己を貫くために。
「……そうか」
オーディウムが目を開き、私をじっと見つめる。私を探求しているのか。ふと目が合う。その目、透き通った黄金の色だったか。
「その目、何の偽りもなし、か。人間ごときが……まあ、それなりに良い返事だ」
彼女の口元が微かに緩む。私の返事が気に入ったのか?
「良かろう。その戦意、気に入った。皇、君は合格だ。貴様、いや、汝にはある世界に行ってもらおう」
オーディウムの私に対する口調が少し変わった。私って、彼女に認めてもらえたのか。
『って言うと?』
「教えてやろう。ある世界から勇者を求める声が届いた。他でもなく、あの子の願いとは……我は、何としてもそれに答えなくてはならぬ。だが、我には手元に送れる者がいない。それどころか、見ての通り、この身も万全でない状態だ。だから使い魔を遣わして人材を探していたのだ。勇者になれる者を」
『じゃあそれが、私ってこと?』
「いかにも」
死ぬ前のプリアーポスの言葉を思い出す。私に合格と言ったけど、そういうことか。
『その世界って、どんな世界?』
「行けば分かることを、我に一々尋ねるな。では早速、行ってもらおう」
女神が指を弾くと、私は光に包まれて行く。もうすぐ行ってしまうのか?何の準備もできていないのに、勇者とか、到底叶えそうにない。不安が湧き上がってくる。
『待ってくれ。いきなり勇者とかやれと言われても……』
「気概のない者目が、何の心配は要らん。闘志のある者を、我は疎(おろそ)かにしないからな。汝には力をあげよう。そこに行ったらある宝石を探すように。それが汝の力だ。それがあればそれなりに戦えるはず。そして……まあ、褒美だ。返事が気に入ったから、これもあげよう」
女神が指を弾くと、もう一つの、真白な光が私を包み込む。
『これは……?』
「最低限の保険って奴だ。これで汝は殺されそうになっても、一回は生き延びれるだろう。命拾いにはなるはずだ。そして最後に。覚えておけ。もしそこで死んでも、またここに来られるという保証はないことを」
『そこで死ねば、完全に終わり……?』
「そう、存在の消滅ってことだ。だから死んでも生き返られないのを、肝に銘じておくように」
もうじき、私は他の世界に飛ばされるようだ。だが、その時ふと気付く。
『待って。じゃあ結局、私って、あなたのせいで死んだってことか……?』
オーディウムが人材を探すために天使を遣わして、その天使が私を殺してこちらに送り出した。なら、私ってこの女神の目的のために殺されたってことか?女神の口元が緩む。
「まあ、そういうことにもなるだろう。だが気にするな。元の生に特に未練とかあった訳でもないだろうし。そこへ行って、新しい生でも享受(きょうじゅ)するが良い」
この女神って、面の皮が厚いんだな。君の都合のために人が死んだというのに、謝ってすらないのか。まあ、確かに以前の生に執着する理由がないのは、間違いないけど。
『お、』
何かを言い出した途端、彼は光の粒子になって散っていく。その空間にはオーディウムだけが残っている。
「行ったか、ふぅ……」
静寂の中、もう誰もいないのを確かめた彼女は、苦しい表情で自分の胸元を掴む。いつの間にか彼女は体中が冷や汗だらけになっている。
「ちっ、傷が、軋む……」
どうやら、彼女はその槍に苦しむようだ。
「死には至らないものの、忌々しいな、この槍。ふぅ……勇者か、上手く行けば良いのだが、どうなることやら……」
オーディウムが謎の独り言を呟く中、彼女の頭上の一筋の光が、不安定に揺らいでいく。
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