第1話 焼き肉の匂い

 それはいつだっただろう。暗闇の中、ふと昔のことが思い浮かぶ。


「それでは皆、分かったでしょう?」


「「はーい」」


 それは小学校六年目の時だった。新学期が始まり、新しいクラスと担任の先生が割り当てられた。先生の名前は、西村か。昼ご飯の時、先生が皆にうるさく何かを言っている。


「給食を作るためにたくさんの方が苦労したのよ。そんな方たちに感謝の気持ちを込めて、給食は絶対残さないこと!先生、残飯とか許せないから。もし残したらその人は完食するまで居残りよ。皆、分かったよね?」


「はーい」


「この先生、ちょっと面倒くさくね?担任ガチャ失敗したわ……」


 クラス中が騒めく。食べ残すと居残りとか、正気か。他にもそう思っている奴がいるようだ。一旦給食をもらって、自分の席に座る。


『カレー、か』


 メニューはカレーライスがメインに、おかずがいくつ。だがふと気付く。


『え、ナスじゃん、これ』


 良く見ると、おかずの中にナスでできたものが入っている。


『ナス、食べられないんだけど、どうしよう』


 昔からナスは嫌いだった。臭いから吐き気がして、到底食べられない。それに味もまずいし。周りを見るとクラスの皆は食事を始めた。一旦ナスは残して、カレーから食べよう。


「俊介、そう言えばさあ、今日は午後の授業ないんだっけ」


「卓郎おめえ、聞いてなかったか?先生がさっき言ったじゃん。今日は午後に授業ないから、昼ご飯食べ終わったら終礼するって」


「え、そうだっけ。いいじゃん。なら今日ゲーセンでも行こうかな~」


 後ろから話し声が聞こえる。あの2人は知り合いだったようだ。そう思いながら食事をしていると、クラスの皆が次第に食事を終えていく。私は、ナスだけは食べずに残した。


「皆、食べ終わったら自分の席にそのまま待って!食べ残しがあるか先生が確認するから」


 クラスの全員がそのまま席に座っていて、先生が皆の皿を確かめる。静寂な教室の中、私以外に食べ残した奴はいないのか、先生は何も言わずに皆のを確かめ、私のところに来る。


「ちょっと、君、名前何だっけ。あ、そうだ。皇君。これは何だい?」


 ナスが残されたのを見て、先生はそう問い詰める。その口調から、密かな怒りが感じられる。


『ナスですね。はい』


「それじゃないでしょう!?何で残したの?」


 私の返事に苛立ったのか、先生の雰囲気が険しく変わっていく。聞かれたのは、素直に答えるか。


『私、ナス嫌いなので、食べられません』


「嫌いなのも食べなくてはいけないのよ!ねえ、皇君、知ってる?給食を残すのは罪なのよ!?先生は自分の生徒が罪人になって欲しくないの!今すぐ食べなさい!」


 先生が私にナスを食べることを強いり始めた。クラスの全員が私を見始める。だが、嫌いなのは食べない。何を食べ、何を食べないかは私の自由。そんな基本的なことを、他人によって決められてはいけない。


『……食べたくないので、食べません』


「……そう。じゃ、食べるまで皇君は居残りよ。まもなく終礼だけど、大丈夫?先生が帰るまで学校に残り続けることになるよ?」


 この先生、うざいな。でも家に帰っても特にやることないし。食べたくないものも食べる気はない。そんなに強いるのなら、仕方ないか。


『別に、大丈夫です』


「……そう」


 先生は私の返事に戸惑ったのか、何かを考え込むようだ。


「皆!皇君が給食を食べ終えるまで、クラスの皆も一緒に居残りよ!」


 一瞬、自分の耳を疑った。自分の言うことを聞かせるために連座制とか。やるな、この先生。西村の言うことでクラスが騒めいていく。


「え?まじ?」

「嘘だろう?早く帰りたいのに……」

「あ、面倒くさい。早く食べろよ……」


 どこかからそんな声が聞こえる。クラスの皆が恨みに満ちた目で私を見ている。これが圧、なのか。


「皇君、君が今ナスを食べないと、クラスの皆に迷惑をかけてしまうのよ?それでも良いの?皆のために早く食べなさい!」


(……この先生、むかつくな)


 心の奥底から対抗心が湧き上がって来る。何を食べるかは自分で決めるべき。あいつの強要に、屈服するものか。絶対屈してはならない。例え、そのせいで和を乱すことになっても、己を貫かなくては。


『先生が何をどうやっても、私は食べません。強要しても無駄です』


 迷惑を掛けるな、和を保つために我慢してそれを食べろ、という自分の中の声を抑えて、自分の思いを言い告げる。先生、私は自分が一番大事だから、あなたが何を言っても意味ないよ。


「……そう。じゃあ、皇君がナスを食べ終えるまで、本当にクラスの全員も一緒に居残りよ!だから皆も皇君を応援して!」


 西村は私に圧を足すために、クラス中に助けを呼び求める。クラスの皆が私に不満を吐き出す。


「おい!さっさと食べればいいじゃん!俺忙しいのよ!頼む!」

「あ~くそ、あいつ何なんだよ……」

「はぁ、くそだるいな」

「早く食べろ!皆に迷惑だろうが!」


 周りから圧が殺到する。気まずさを超えて、これはかなり苦しい。今の状況は本当に耐え難いものだと肌で感じる。もしここに爆弾があったら、皆と共に自爆するぐらいだ。


「「食べろよ!食べろ!皇!早く先生の言う通りにしろよ!」」


 クラスの皆が私に叫ぶ。どうしよう。でも、もしここで圧に押されてしまったら、これからも屈したまま生きていくことになるだろう。それは断じて良くない。私は、自分を守らなくては……例え、そのせいで誰かに嫌われることになってしまっても。嫌われる勇気を持たなくては……


『……誰がどう言っても、私は絶対食べない。自分のことは、自分で決める』


 そう。例えそのせいで、周りの皆が私のことを嫌いになってしまっても。


 ……目には目を、歯には歯を。己の敵は、己の力で打ち破る。


『……うん?何で昔のことを……?』


 平日午後の事務所で、私、すめらぎ彼方かなたは夢中になっていた記憶から気を取り直し、そう小さげに呟く。なぜか訳もなく、昔のことに浸ってしまったようだ。


(……だるいな、何もかも)


 今は事務作業の最中。早く家で休みたいな、と思いながら作業を続ける。この会社、何で入ったんだっけ。最初はそれなりの理由があったと思うけど、今はそれすら忘れてしまった。金を稼ぐための労働、それだけ。


「おい!皇、ちょっと来てみな」


『……あ、はい』


 私の嫌いな田中部長がいきなり声を掛ける。一言に言って酒が大好きな彼は、いつも誰かと飲み会に行きたがる存在だ。確か昨日も飲み会じゃなかったっけ。何で急に呼び出すのだろう。彼に近付いてみる。


『何でしょう』


「ああ、実は急に飲み会の予定が入ってな。適当に店の手配頼む。いいな?」


『……?え、また飲み会ですか?確か昨日も飲み会じゃ、』


「お前さ、俺が前から言ってんだろうが。飲み会も仕事の一部だってよぉ。会議でそういう風に話ができたんだ。分かったらはよ行け」


 何と、こうしてまたこいつに付き合わされるのか。しんどいな。そう思い、ついため息をつく。


『はぁ……』


「?おい、上司の前でため息つくんじゃねえよ。前にも言ってなかったか?」


『いえ、確か言ってましたよね。知ってます』


「なら行け。あ、それと、再来月に社員旅行を行くのも決まったから、覚えておけよ。ちなみにこれも全員参加が原則だから」


『ふぅ……』


 飲み会に社員旅行まで、むかつくな、こいつ。熱を冷やすためにも頭を巡らす。どうやらこの会社とはここまでのようだ。迅速に決断し、行動しないと。


『部長。私、今から会社辞めるので、そのつもりで。では』


「あん?お前、いきなり何を……おい、待て!」


 慌てたのだろうか。田中は背を向いた私の頭に何かを投げる。軽い打撃感が頭に走ると共に、下に何か落ちる音がした。振り向いて、それをよく見ると、それは田中の持っていたペンのようだ。こいつ、私の頭にペンを投げたのか?


『これは、ペン?私って、攻撃されたのか?』


 状況を考える。そう、私は今、間違いなく田中から危害を負った。もはや彼は、私の敵ということだろう。敵からの攻撃。ならば反撃しなくては。己の内側がそう告げている。相応の報復をしろ。このままだと一生蔑(さげす)まれるだけだ、と。


『……』


 もしここで何もしなかったら、彼は死ぬ時までこう思うだろう、「こいつは自分が馬鹿にされても何もできない奴だな」って。それはいけないな。


「ったく、おめえ頭おかしくないか?何を急に、」


『……これ、私からのプレゼント』


「あん!?お前、なにを、」


『食らいな。元部長』


 持っていたライターで書類に火をつけ、それを彼の方に素早く投げる。


「うああ!おめえ何を!くそ!服に火が!!」


 何十枚の書類に付いた火は田中の服に燃え移り、彼の体を燃やしていく。燃え上がる炎。体が燃やされていき、理性を失った彼がドタバタする姿は実に馬鹿らしい。これで、それなりの報復はできただろう。


「あああ、あつい!あつい!だれか、たすけてくれぇ!!!う、ううああああ!!!」


 ふと気付く。ここは今、煙と炎の匂いに満たされていく。だがその中から、微かな肉の匂いが感じられる。良く感じてみると、それは彼の体の方からするものだった。今、彼の体からは焼き肉に匂いがする。今日は、帰る時に焼き肉でも食べるか。


『じゃあ、さようなら』


 火災の警報と職員たちの騒めき、耳を切り裂く田中の悲鳴を後にして、私は外に出る。


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