第2話 柚葉

 ジジイから金を受け取ると、あたしは電車を乗り継いで最寄り駅で下車した。


 あたしが足速に向かう先、それは病院だ。


 病院に到着すると、病室の扉をスライドする。


 個室部屋。機械の音が「ピッピッ」って聞こえてくる。あたしは、そっとベッドに近づいた。


 ベッドには青白い顔をした病人が寝ている。あたしの兄だ。


 あたしと兄に両親はいない。まだ幼い頃に交通事故で死んでしまった。それから兄とあたしは親戚の家にお世話になることになったけど、ウザがられて暴力を振られ、あげく施設に預けられた。


 兄、八歳、あたしは四歳だった。


 その後、十六歳で就職した兄は、必死に働いてあたしを施設から引き取ってくれた。六畳ひと間の和室。だいぶ古いアパートだったけど、両親が死んで以来の【幸せ】ってヤツが訪れた。


 兄は仕事で帰りが遅い。あたしは小学校から帰ると、兄に託された財布を持って近所のスーパーに買い物に行く。カゴに入れるのは値引き商品ばかり。手に取るモノで今日の夕食メニューが決まる。


 兄が帰宅するのを待って、一緒に両手を合わせて「いただきます」そして箸を持って夕食を食べる。何気ない会話が楽しい。そんな日々を送った。


 兄は働きながら高校に進学させてくれた。

あたしもバイトするって言ったけど「お前は勉強を頑張れ」と首を横に振って働くことを許可してくれなかった。


 大学進学は諦めていた。諦めていたのに……。兄は「大学に行け」とあたしの背中を押した。

 

「俺には学がない。だから、せめてお前だけは最終学歴まで進んでくれ」


 これが大学進学を望む兄の理由だ。


 勿論、奨学金を借りての進学。けど入学金と教科書代は自腹。あたしは受験勉強を頑張り、兄は仕事を増やした。夜間の工事作業員だ。


 晴れて大学に合格。兄はとても喜んで涙を流してくれた。でも数ヶ月後、体調を壊してしまったのだ。


 最初は働き過ぎで身体が疲れてしまったのかと思った。だけど不調は日に日に悪化の一途。あたしは兄に病院に行くように進めた。


 最初は町医者、町医者から紹介状を貰い大学病院へ。やがて検査結果が医師から告げられる。兄は胃癌だった。しかも末期、余命は、たったの半年だ。


 兄は治療の為に入院することになり、あたしは一人でアパートに帰る。扉を開閉して鍵を閉めてから、あたしは玄関に崩れるように膝を落とした。それだけじゃダメで、段差のフローリングに顔を突っ伏して大声で泣いた。


 大好きな兄が……たった一人の血を分けた家族が死んでしまう!


 それからわたしは大学を休学して働くことを決意。兄は長年働いて貯金をしていたが、貯金は入院費と治療費で飛んでしまう。


 そんな時、大学の友人から紹介されたバイト。それが【会いたい屋】だった。設定料金は、一時間で一万円。七割があたしのバイト料になる。客は常連が多くて無数にいる。


 一時間で七千円、あたしはこの仕事を週に四日、だいたい十件こなしている。つまり一日、十時間労働で七万を稼ぐ訳だ。


 仕事の日は、病室に顔を出すのが午後の十時を回ってしまう。普通なら面会時間は終了だ。だけどあたしは病院側に事情を話し許可を得て毎日、兄に会いに来ている。


 兄と過ごせるひと時、あたしはベッドサイドの丸椅子に座ると、ヘッドランプに照らされた兄の顔を眺めた。


 胃癌は痩せると聞くが本当に痩せた。両頬が削げている。すると兄が薄く目を開いた。


「柚葉か?」


「そうだよ」


 あたしは口角を上げて、掛け布団から出された兄の細い手を両手で包むように握る。


「大学はどうだ?楽しいか?」


 兄は毎日、同じことを聞く。だからあたしも毎日同じ答えを返す。


「楽しいよ」


「貯金は、まだあるか?」


「あるよ」


「生活は苦しくないか?ちゃんと食べているか?」


 兄は自分のことより、あたしのことばかりを心配する。これも毎日だ。


「苦しくないよ。ちゃんと食べてるよ」


 そう答えると、兄は安心したように微笑んだ。


「後は、就職してスーツを着たお前と、花嫁姿のお前を見るだけだな。お前は昔から美人で可愛いから、絶対に綺麗だよ。楽しみだ」


 ダメだ。胸がジワッとなって涙が出てきちゃう。


「そうだね」

掠れた声で頷くあたし。

「だから早く病気を治して元気になろうよ」


「そうだな」

兄は目を閉じる。


 兄は働きづめだったせいか、今までに恋人をつくったことがない。

兄の時間は、全て仕事とあたしに注がれた。

「それでいい」と兄は言う。「それが幸せ」なのだと……。


 堪えきれない涙が頬を伝う。その時、兄に繋がれた機械音が「ピー」と甲高くなった。


 波形がない。横一線だけだ。


(心停止!)


 あたしは立ち上がり、慌ててナースコールを押した。


 ナースステーションでもモニター確認したのだろう。すぐに医師と看護師が二人で病室に入ってきた。


 聴診器を首に巻き白衣を着た医師は、心臓マッサージをする様子もなく、ペンライトで何かを確認している。


 きっと瞳孔だ。


 医師は淡々と告げた。

「二十三時二分、御臨終です」


「嘘!」

あたしは兄に震える両足を進めた。

「お兄ちゃん、嘘でしょ?」


 掛け布団の上から兄を揺する。

「起きて、お兄ちゃん!起きてよ!!」


 今、大きくて重い岩が、あたしの心を押し潰そうとしている。兄がいなくなる。兄を失ったら、あたしは一人ぼっちだ!


「うわあああああーっ!!!」


 あたしは兄の身体にすがりついて絶叫した。


 幼い頃からの記憶が走馬灯として蘇る。


 暴力から自分を守ってくれた兄。一緒に食べたご飯。兄の笑顔、あたしの笑顔。みんなみんな、キラキラ輝く宝物だった。


 その刹那「はい、タイムリミットです」の声。


 あたしは涙を指先で拭いながら顔を上げた。「常連なんだから、オマケしてね」


「それはダメだね」

死んだはずの兄が、掛け布団を跳ね退けて飛び起きた。兄は無表情で手の平をあたしに向ける。

「二時間、スタジオレンタル料、病室セット組み立て、セット解体料、後は俺と医師と看護師の人件費、合計五万円になります」

 

「ちっ!」

あたしは舌を打ってバッグから財布を取り出した。

「今度は四万にしてよね」

一万円札五枚を叩きつけるように彼の手に乗せる。


「考えとくよ」


 彼は札を掴み、ニッコリ笑うとベッドから両足を降ろして立ち上がった。セットで作られたロッカーを開きパジャマの上から黒いコートを羽織る。


 そして「また感動屋を宜しくね」そう言い残し、医師と看護師を連れて去って行った。


「まったく……」

溜め息を吐くあたし。


 感動屋は高いのだ。でも、あたしはまた依頼するだろう。なぜかというと、感動シチュエーションも中毒だが、兄役の青年に恋をしているからだ。


 兄は、とにかく眉目珠麗びもくしゅれい。イケメンなのだ。



 ある日の大学校内、廊下を歩いていると皆のヒソヒソ声が聞こえる。


「見て、あの娘、ダサい服に妖怪みたいな顔」


「オマケにニキビと出っ歯だし」


 ん?何かと思えば、あたしのことか。


 あたしはキャンパスに出ると、今にも雪が降りそうな灰色雲を仰ぐ。


 そこに浮かぶのは、愛しい兄の顔。正確には兄役だけど……。


 もっと【会いたい屋】でお金を稼がなくちゃ。


そして、また会いたい。兄に……兄役に。


「あなたに会いたい」


あたしは白い息と一緒に空へと言葉を投げた。


 瞬間「はい、タイムリミット」の声がかかる。


今日のあたしは【大学生で同学部の皆から陰口を叩かれてるブスで可哀想な娘】


【可哀想屋】に依頼したのだ。


 楽しいシチュエーションは中毒でやめられない。ある時は女性初の総理大臣、ある時は地球を救うヒーローと結ばれるヒロイン。色々とあるのだ。


 別日、あたしは指定料金を支払うと、また、あのジジイに会いに喫茶店へと急いだ。


 あたしの名前?本当の顔?何歳で誰かって?そんなの知らない。あたしはあたし。【会いたい屋】で働く、ただのスタッフだ。


「タイムリミット」の声が喫茶店に響く。


 あなたには【あなたに会いたがっている人】はいませんか?それに至るには、どんなストーリーがお好みですか?会いたい屋は、あらゆる設定に対応致します。


「あなたに会いたい」


 今日もどこからか、そんな台詞が涙まじりに吐かれた。













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