あなたに会いたい

あおい

第1話 生田芳雄

 カランコロンと鈴が鳴る。紺色のオーダースーツに身を包み、わたしは喫茶店の扉を開いた。


 実は今日、わたしはある人と待ち合わせをしている。席は昨日、予約した窓際の一番奥。


 少し下げた白いロールスクリーン。緩く降り注ぐ日差しが木目の丸いテーブルを優しく照らしている。


 椅子はベントウッドチェア。カフェタイプのデザインだ。わたしは椅子を引いて腰を下ろす。


「いらっしゃいませ」

すぐに女性スタッフがやってきて、テーブルにお冷とお絞りを置いた。


 メニューなど見ない。


 わたしは黒縁メガネのブリッジを人差し指で押し上げながらホットコーヒーを注文した。


 ふと出窓に置かれた観葉植物に目をやる。

伸びた茎の先端に葉が一枚。真ん中に立つ葉を中心にして、それぞれが葉を扇形おおぎがたに開いている。


 わたしはスタッフを呼んで、この植物の名を尋ねた。


「ストレリチア、レギネです」と彼女は答える。


 花言葉は「すべてを手に入れる」「輝かしい未来」


 まるで今の自分のようだ。


 わたしの名前は、生田芳雄いくたよしお。今年で四十九歳になる。地元は群馬県。高校を卒業して大学に進学する為に上京した。


 その後、大企業に就職したが、縦割り組織に馴染めず退社。思い切って起業し見事に成功した。


 高校時代、わたしには付き合っている彼女がいた。名前は八千草佐江やちぐささえ。わたしと彼女はクラスメイトだった。


 佐江は、わたしのことが大好きで、少し女子クラスメイトと喋るだけでも怒り狂った。


 彼女の愛は、わたしには重すぎる。大学進学と同時に、わたしは佐江から逃げるようにして東京に来たのだ。


 あれから三十年が経ち、先日、見知らぬ番号がわたしのスマートフォンを鳴らした。


 迷いながらも通話を選択する。通話の相手は何と佐江の娘と名乗る女の子だった。


 佐江は二十年前に結婚し子供を産んでいた。娘の名前は、柚葉ゆずは。都内の私立大学に通う十九歳だと言う。


「母のことをどうしてもアナタに知って欲しい」


 彼女はそう言って啜り泣いた。わたしの携帯ナンバーは実家で暮らす母を訪ねて聞いたそうだ。


 わたしは今日、柚葉と待ち合わせをしている。


(そろそろ、時間だ)


 わたしは姿勢を正して黄色いネクタイの曲がりを直す。色は金運の象徴だ。


「おまたせ致しました」


 湯気をたてたブラックコーヒーがテーブルに置かれると同時、カランコロンと鈴が鳴った。


 白いワンピースに赤いコートを羽織った若い娘が迷うことなく、わたしに歩いづてくる。


 絶対に柚葉だ。わたしはガタンと椅子を鳴らして立ち上がった。


 白い歯を見せて笑う少女に、わたしは深く腰を折る。


 柚葉はコートを脱いで椅子の背凭れにかけて白いバッグを置くと、もう一方の席に座った。着席を待ってわたしも座る。


「初めまして」

彼女は肩先までの栗髪を揺らした。


 とても可愛い娘だ。どことなく佐江の面影がある。


「初めまして」

わたしも軽く頭を下げる。


「今日は呼び出してすみません」

柚葉は自身の胸に両手を重ねた。

「どうしても、アナタに会いたかったんです」


 スタッフがお冷とお絞りをテーブルに置く。彼女は「あっ、同じモノで」と注文して、わたしに顔を戻した。


俯き加減で口を開く。

「母は生前、アナタにとても会いたがっていました」


「生前?」


「はい、母は一年前に病気で亡くなりました」


 ガタッと椅子が軋む。


「佐江が死んだ?」

信じられなくて、わたしはもう一度聞き返す。


「はい、亡くなりました」

柚葉は顔を上げて真っ直ぐにわたしを捉えた。


 柚葉の話によるとこうだ。佐江はわたしと別れた後に付き合った男性と結婚し娘を産んだ。その後、夫とは上手くいかず離婚し、働きながら苦労して柚葉を育てた。病名は子宮癌。他界するまで佐江は再婚しなかった。


「母は、最期までアナタを想っていたんです。アナタを愛してました」

柚葉は窓に視線を投げて、いつの間にやら手にしたハンカチで涙を拭っている。


 瞬間、わたしは酷く後悔した。何に後悔したか、過去の自分にだ。


 佐江は、わたしを一心に愛してくれた。その心を、わたしは逃げることで裏切ってしまったのだ。


 今、わたしには妻と子供がいる。確かに不満はなく幸せだ。だが、佐江への愛しさが込み上げてきて、どうしようもなく胸が熱くほとばしる。


 涙線が震え、鼻の奥がズキンと痛む。わたしは眼鏡を外して下を向いた。


「おまたせ致しました」

ソーサーに乗ったコーヒーカップが運ばれてくる。


 中の黒い液体が揺れると同時に、わたしの視界がボヤけて滲んだ。


 わたしは喉元で詰まった声を、無理矢理に押し出した。

「今度、お母様の仏前にお線香をあげさせて下さい」


 柚葉は黙って腕時計を見た。そして無表情で言い放つ。


「はい、タイムリミットです」


「そうですか」

わたしは涙を指先で拭ってから背広の内ポケットに手を入れた。茶色い封筒を取り出す。

「一時間、一万円で宜しかったですよね?」


ニッコリ微笑む柚葉。

「はい、そうです」


 彼女は、わたしが差し出した封筒をバッグに入れると、コートを掴んで立ち上がった。


「おじさん、今回のシチュエーションも良かったよ」


「ははっ、そうかなぁ」

眼鏡を戻して額を掻く僕。

「今度は病院の医院長と、昔に別れてしまった恋人の娘にしてみるよ」


「そう、また、会いたい屋を宜しくね」

柚葉は、そう言って背中を向けて去って行く。


 僕は、勿体ないので自分の分と彼女のコーヒーを飲んでから店を後にした。


 家に帰ると、七十五歳の母親が怒り浸透で僕に空き缶を投げる。

「お前、また家の金を盗んだだろう!!」


 太った身体に白髪、シワだらけのババア。

こめかみに貼った、磁気つきの丸い絆創膏がヒクヒクしている。


 そーいうのばっか通販で購入してるから年金だけじゃ足りなくなるんだよ!


 そそくさ逃げようと階段を上がるとババアの怒号が階下から聞こえた。


「いい加減、働けよ!ニートが!!」


 世間は僕を【子供部屋おじさん】とも呼んでいる。


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