第2話 頑なな王子様

 幸せになりましょうとは言ったものの、なにをどうすればいいかなど、ベルナデッタにも分からない。

 考えようと思うのだが、ベルナデッタの頭はくらくらしてきていた。

 この部屋に漂うひどい臭いを少しでも吸い込みたくなくて、無意識に息を止めているせいだろう。

 王子を傷つけないために、平気なふりを続けるベルナデッタの顔色は赤くなりつつある。

「……別々に生活するというのは、どうだろう?」

 とうとうデイビッド殿下がそんなことを言い出した。

「わたくしは一緒に幸せになりましょうと言ったのです。別々に幸せになるというのは…………最後の手段です」

 ベルナデッタがデイビッド殿下の手を握ったとき、王子はそれを振り払いはしなかった。けれど、握り返してもこなかった。

 その事実が、今現在の二人の関係のすべてだった。

「……この婚約は」

 デイビッド殿下がもごもごと話し出す。口内炎が痛むせいでその口の動きは小さい。

「私が臣籍降下するのに、必要だからだ」

 王族の婚姻年齢に下限はない。極端に言えば、生まれたばかりの赤子でも結婚可能だ。

 そして結婚しさえすれば、実際の成人年齢とは関係なく、一人の成人王族として扱われるようになると王室典範に定められている。

 立太子や即位が可能になり、逆に王統からの離脱も可能となるのだ。

 結婚した第五王子を適当な土地に封爵して諸侯身分に降ろし、王位継承者から外す。

 そのために、なんとしてもこのデイビッド殿下を結婚させたいという都合が働いているものらしい。

 ところがどっこい、見合う令嬢が片っ端から逃げ出すせいで婚約は難航。ここへ至って侯爵位を持つベルナデッタの親が恩着せがましく王家へ娘を差し出した、というのが今回の婚約の内幕だろう。

「婚姻式さえ済めば、すぐにどこかの領地へ、送られると思う」

 ベルナデッタは思わず「あらまあ」と声をあげた。家から追放されて来たベルナデッタは、また王宮からも追放されてどこかの僻地へ行かされるようだ。

 そこはどんなところだろう。

「……でも、そうなれば、気楽に暮らせる、と思う」

 どんなところか分からないが、おとなしく暮らしさえすれば、きっと放置されるだろう。

 この王子宮ほど息の詰まる生活を強いられることもない。人目を気にすることもない。無理に夫婦を演じる必要もない。

 王子の話はそういうことだった。

 どうやら王子の中では別々に暮らすのが最適解と決まっているらしい。

「そうなんですね。分かりました」

 ベルナデッタは息をつめて微笑む。焦る必要はない。

「……それと、」

 髪のあいだから覗くデイビッド殿下の目が、ベルナデッタから逸らされる。

「必要なら、ハンカチとか……なにかで鼻を抑えるといい」

 ご令嬢の微笑みが崩れそうになるのをベルナデッタはなんとか持ちこたえた。

「まあ。お気遣いありがとうございます。お言葉に甘えさせていただきますわ」

「うん。それじゃあ。困ったことがあったら、侍従のグレイヴに相談して」

 王子はそそくさと立ち上がり、ベルナデッタの前から逃げていった。

 立って見送ったベルナデッタは、一人になってから頭を抱えた。

「これは……なかなか前途多難だわ」

 仕方ないのかもしれないが、王子自身がなかなかに頑なだ。

「まずは、そうねえ。周りから固めるべきかしら」

 改めて部屋の中を見回す。第五王子の応接間にしてはひどく貧相だし、掃除や手入れも行き届いているとは言い難い。

 いくら王から見放された王子だとしても、だからといって周りで仕える人間たちからも蔑ろにされていいわけがない。

 できることは、いろいろあるはずだ。

 まずはちょっと外の空気を吸ってから、ベルナデッタは第五王子侍従のグレイヴを探し始めた。

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