水族館の音6

 時刻は十三時。

 半紙はアクアリズム一階、インフォメーション前で少しいらついた気持ちを持て余していた。

 「申し訳ありませんが、館内放送はしておりませんので」

 そう言ったのはインフォメーション受付に立つ男性職員だった。短く揃えられた黒髪に焼けた肌、身長は半紙より高く墨花よりは低い。表情にありありとめんどくさいという感情を素直に見せている職員は「他を当たってください」そう言うと一礼してあとは関係ないという風に一歩下がって何かの作業を始めた。これ以上声を掛けてくるなという意思表示にも見え、さすがの墨花も呆れを通り越したため息をこれみよがしにはくと「行こう」そう言って背を向けインフォメーションを離れていったので半紙もそれについて行く。

 「どうするんだ」

 「そうだな。とりあえず水を買ってくる」

 「水?」

 「顔が真っ赤だ。クールダウンしないと」

 それは半紙と墨花、二人の間に立っている人物に向けられた言葉だった。つばのついた真っ赤なキャップをかぶった男の子。ここに来たばかりの時に二人を追い越し、数分前には半紙が館内へ入る手助けをした男の子だ。名前は戸田虎太郎とだこたろうというらしい。

 墨花から緊急事態という電話を受け取り、待ち合わせ場所として伝えられた水槽前へと行けばそこには墨花と彼の隣に所在なさげに虎太郎が立っていた。

 「……簡潔に」なんとなく予想はついたが半紙は墨花にそう言った。

 「迷子」墨花が参ったという風に小さく肩を揺らす。

 半紙は虎太郎を見る。虎太郎もちらりと半紙を見ると小さく頭を下げる仕草を見せたがその後はずっと床に視線を落としたままだった。

 墨花が半紙に簡潔に経緯を説明する。

 展示を見終わり半紙に連絡をしようとしていた所、通路をきょろきょろとしながら走る彼を見つけ、その様子にもしかして迷子か? と思いしばらく様子を見ていたらしいが親の姿がまったく見えなかったのでやむなく声を掛けた、らしい。

 その後は半紙に連絡、合流しインフォメーション受付にて虎太郎の保護と迷子のお知らせ放送をお願いした所、なんとも雑な対応をされてしまい今に至る。

 「ちょっとだけでも飲んどいたほうがいい」

 墨花が自動販売機で買ってきた小さなペットボトルの水を手渡すと「ありがとうございます」小さな声でそう言って虎太郎が受け取った。

 「どうするんだ?」

 一階の隅にある青色のキノコのような椅子に虎太郎を座らせた後、半紙は小声で墨花に尋ねた。そこからは一階全体が見えるので探しているだろう両親の姿が現れる事を少し期待した。

 「とりあえず他の職員にも声をかけてみるよ。それでダメなら私がざらっと館内を回ってみる。格好はなんとなく覚えてるし。さっき聞いたらアシカの所ではぐれたらしいから」墨花が言いながら顎に手を当てる。「だから館内を探してると思うんだけど、公園ってなると範囲が広くなりすぎるからね……最終手段はプロに任せる」

 プロ、つまりは警察に連絡という事だろう。半紙はそうはならないでほしいものだと思いながら虎太郎の様子をうかがう。いつの間にかもらった水を半分飲んでおり、表情は帽子のつばに遮られて見えなかった。

 「悪いけど半紙は彼とここで待機しててくれ、何かあったらすぐ連絡を」

 「わかった」

 めんどくさい役回りだと思ったが自分が動くよりは墨花のほうが圧倒的にスムーズに動ける。

 墨花を見送った後半紙は改めて虎太郎の様子をうかがってみる。立ち位置を少し移動し自然な感じで体を少し曲げて表情を見てみれば、目を伏せたまま唇をきゅっと固く結んでおり緊張しているように受け取った。

 まぁ、それもそうだと半紙は思う。両親とはぐれて知らない人間二人に囲まれて。もし墨花が彼の存在を気にせず放っておいても誰かが声をかけただろうし、自力で両親と出会えていたかもしれない。されど彼は虎太郎を放っておかなかった。そう言う奴なのだと半紙は思う。自分はどうだろうか、扉を開ける彼を手伝った時、両親の姿が見えないと思いながらそれ以上の事は考えなかった。いや、正直な所、可能性のひとつとしては頭の中には浮かんでいた。

 「あの」

 不意に虎太郎が声をかけてきたので半紙は意識を彼へ向ける。

 「どうかした?」

 「イス、僕は立ってても平気なのでお兄さんが使ってください」

 そう言うと虎太郎がイスから降りて譲る素振りを見せたので半紙は一瞬戸惑った後彼が何故そんな判断をしたのかすぐに予想が付いたので首を振ってやんわりと申し出を断った。

 「気にする事無い」言いながら半紙は持っている杖を小さく揺らす。「立ってるほうが楽な事もあるんだ。座っておきなさい」

 虎太郎は少し惑う様子を見せたがイスに座りなおすと水をひと口飲んだ。

 「アシカの所ではぐれたって言ってたけどショーを見てたのかい?」

 「うん」虎太郎が首を動かし静かに返す。

 「ショーは最後まで見た?」

 虎太郎が首を横に振る。

 「……君はショーの途中でどこか別の場所に行ったの?」

 虎太郎がこくりとうなずいたのを見て、半紙はなるほどねと胸の内で納得する。

 「どこに行ったか覚えてる?」

 「アシカの、泳いでるところの後ろに道があってそこを歩いておっきなカニの水槽見てから戻ったら、パパもママもいなかった」思い出したのか虎太郎の声が涙声になる「たぶん僕、パパとママに捨てられたんだと思う」

 そう言って目をごしごしとこする虎太郎に半紙は少し驚く。

 「どうしてそう思うんだ?」

 「僕が、いうこと聞かないから」

 「勝手に動きまわるなって、前から言われてた?」

 「うん」

 半紙は最初に虎太郎を見かけた時を思い出す。追い抜く瞬間に起きた小さな気流が腕に当たった感触。子供は風の子ということわざをふと半紙は思い出す。まぁこのことわざは冬側のことわざだが。

 「そんな事で君を捨てたりはしないさ」

 「でも、今度勝手な事したら放って家に帰るって言われた」

 半紙は頭を掻く。それは親なりの、まぁある種の説教というかしつけのつもりだったのだろう。もしくはイライラの沸点が超えた際についつい言ってしまったか。まぁどちらにせよ子供に対して言う事では無い言葉だなと半紙は思った。

 「君、何歳?」

 「六歳」

 「元気が有り余っているのはいい事だよ。大人になればなるほど体力というのは消耗されていく。肉体が成長という名の衰退を起こすんだ。いや、違うな。ある程度まで成長し、その後は昇華が始まるという感じかな」

 「よくわかんない」

 「……そうか」そりゃそうだよなと半紙は思う。「君ぐらいの年頃にはよくある衝動であり行動だと思うよ」

 虎太郎は何も言わず床につかず浮いている足を不規則に揺らす。

 彼が今じっとここで待っているのは気持ちが落ち込んでいるというのもあるのだろうが疲労が溜まっているのだろう。どれくらいまでひとりで両親の姿を探し回ったのかは定かではないが、疲弊している事には違いない。

 半紙はため息をつきそうになるのを抑える。子供との会話は不慣れな為、幅を広げるどころか持つこともできなかった。

 「ねぇ」不意に虎太郎が声をかけてくる。

 「なんだい」

 「お兄さんはどうして杖をついてるの?」

 「歩くのに楽だから」

 「怪我してるわけじゃないの?」

 「まぁ、それもあるかな」

 「痛い?」

 子供らしい純粋で嫌味の無い、だからこそ剛速球な質問が続く。半紙は別段嫌な気にも怒る気もなかったがあまりのストレートっぷりに笑ってしまいそうになった。

 「痛くないよ。ただ二本で歩くよりも三本のほうが僕にとっては楽なだけ。人生を楽に生きてるだけさ」

 「苦労は買ってでもしろっておじいちゃんは言ってた」

 「随分と古臭い考えを持ってるんだね」半紙はそう言った後にしまったと思ったが特に気にすることなく話を進める。「今の時代、生きてるだけで苦労を背負ってるみたいなものだ。誰かの為に犠牲になるなんて考え僕は好かない」

 「どういう意味?」

 君のおじいさんは時代遅れって事だよ。と半紙は言いそうになったがさすがに口には出さなかった。その代わり「楽する事は悪い事じゃないさ」ありきたりな返答を虎太郎に投げた。

 二人っきりになって十分が経った頃、半紙のスマートフォンに墨花から着信が入った。

 『見つけたよ。今からそっちに行く。移動してないよね?』

 「あぁ、彼にも伝える」

 半紙は電話を切ると虎太郎を見る。こちらの様子をうかがうように自分を見上げる彼に「今から迎えに来るって」

 そう言うと虎太郎の瞳がぐわりと大きくなり目に涙の膜ができる。安心とも不安ともとれる複雑な表情を見せた後俯いてしまったので、どんな感情が彼の中に渦巻いたのか半紙にはわからなかった。

 「怒られるかな」虎太郎がぼそりとつぶやく。

 「さぁ、わからないな」半紙は正直に答えた。

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