水族館の音4
水族館内はまるで外の気温を遮断するように冷房が効いていて別世界に来たような気分に半紙は数秒浸った。その後入館チケットを購入する為に売り場へ行こうとしたが墨花に制止された。
「? チケット買わなきゃ入れないぞ」
「チケットならもう買ってある」
墨花はそう言って自身のスマートフォンを軽く掲げて半紙に見せる。
「デジタルチケットか」
「ピンポーン」
「ハイカラになったもんだな」
半紙がそう言うと墨花が「ハイカラって」そう言ってくすくすと小さく笑う。
「僕の分も買ってくれたのか」
「急に誘ったのは私のほうだからね。このくらいは払わせてよ」
入館口からエントランスホールをまっすぐに進めば展示場内へ入る為のゲートがあり制服を着た職員がひとり立っていた。
「ようこそ、海洋水族館アクアリズムへ」
職員が二人に笑顔で声を掛ける。墨花がスマホをゲートについている読み取りに近づけると短く可愛らしい音が読み取り完了を知らせた。
「館内から一旦出る際は改めてバーコードを読み取らせていただく場合がございますのでご了承ください」
軽く頭を下げる職員の前髪はイルカのヘアピンで留められていた。自分の意思でつけているというよりも訪れる子供に受けがいいのだろうと半紙は予想する。
「それではいってらっしゃいませ」
ゲートを過ぎると空間は途端に広がりを見せる。海洋水族館アクアリズムは約二十年前にオープンしたこの地方では最大級の水族館になる。たくさんの海の生物と貴方との出会いを――という合言葉をオープン前後に流れていたCMでやたらと耳にしたのを半紙は覚えている。建物自体は三階建てで構成されており、一階は地元を中心とした海に生息している生物を、二階はペンギンやイルカ、アザラシといった生物とお土産、軽食コーナーがある。三階は日本以外に生息している生物を中心にした展示と展望デッキがあった。
「何が見たい?」
いつの間にか墨花は三つ折りのパンフレットを手に持っておりそれを広げて中に載っているマップを半紙に見せるようにして聞いてきた。
「特に何も無いよ」
答えながらすでに見えている水槽の中で泳いでいる魚たちを半紙は見る。水槽はそれほど大きくはなく、高さは半紙の肩ぐらい。上部が空いており上から海水が流れ落ちるようにして人工的な潮の流れを作り出していた。始まりの一歩としてはなかなかに良い展示だと半紙は思いながら中で泳ぐ魚を見る。そこには半紙がわかるものでイシダイ、スズキ、クエなどが泳いでいた。
「全部食べれる魚だ」半紙がそう言うと墨花が小さく肩を動かして「君は魚食べないじゃないか」そう言った。
「刺身がダメなだけだ。焼けば食べれるものもある」
「たとえば?」
「そうだな、カツオとか好きだ」
◇◆◇
平日だが館内には家族連れや個人等々、幾人かの人が見られた。皆一様にアクリル板越しに水の中を泳ぐ生き物を眺めてはゆったりとした足取りで館内を進んでおり半紙はその様子込みで魚を眺める。
名前はわからないがサメだという事はわかるそれは水槽の底にぴったりと張り付いたまままんじりともせずにおり、それを見た子供が「寝てるの?」と親に聞いていた。
「怠けザメ」半紙がぽつりとつぶやけば隣に立つ墨花がくすくすと笑う。
「そんな名前のサメはいないよ」
「知ってる。でもそう思う人間もいる。もしかしたら生息体勢がこういう形なだけかもしれないのに」
「君もそう?」墨花が聞く。「もしかして羨ましいと思った?」
「きちんと世話してくれるならここは理想的な空間だと思う」
「飼われたいって言ってるみたいだ」
「思考接続を見直した方がいい」
半紙の返しに墨花は声を抑えて笑う。
「でも、実際何もしなくても時間になればご飯を貰えるから、ある意味では怠けてるかもしれない」
「存分に怠ければいいと思う」半紙は水槽を見たまま返す。「というか、それは順応だよ。怠けているわけじゃない」
「そうだね。僕らから見ればそんな風に見えるだけ、という事を言いたいんだろ?」
「人間の傲慢さを感じるよ」
「思うだけなら自由だ。だがそれをぶつけてしまっては良くない。意見と文句は違う」墨花が言う。
「サメに言葉は通じない」
「そう思う?」
「今は」半紙は言った。
二階へと続くスロープは少し歪んだコの字型になっており窪みに埋め込まれるような形でペンギンゾーンが設置されていた。岩場と自由に泳げる深さのある海を模したプール。三種類のペンギンが見えるだけでも十羽以上いた。
「もう少ししたらアシカのショーがあるみたいだけど、どうする?」
墨花がパンフレットを見て半紙にそう言う。
「やめておくよ」
「興味ない?」
「この時間に外に出る気にならない」
「確かに」
時刻は正午前。太陽が一番高くなる時間。スロープを上がると開けた二階の床が光影によって鮮やかに波めいていた。そこに設置してある水槽によるものである。屋根がなく自然の光が入りやすいように天井の境までアクリル板となっており、日光が海水とアクリルを通してきらきらと床に幻想的な模様を描きまるで海の中にいるような感覚を疑似体験できる。
というのを売りにしているらしい。と隣の墨花が説明するのを半紙は聞き流しながら水槽の前に設置してある木製のベンチに背中を向ける形で座ると「アシカ、見に行きたいなら行ってくればいい」墨花にそう言った。
「え?」隣に座った墨花が半紙のほうに顔を向ける。「そんなに私、行きたそうにしてたかい?」
「いや、ただ顔に出なくても遠慮してるかもしれないと思って」
「お気遣いどうも。私もわざわざ見に行きたいとは思ってないから大丈夫だよ」
じゃあどうして水族館に来たんだかと半紙は一瞬思ったが、別にアシカがメインというわけでもない。ここには多種多様な生き物たちがいて、何を見るかは来た人次第だ。全部見る必要も無いし、全部見たっていい。人生と違ってここはすべてを見られるし、すべてを見なくたっていいのだ。
半紙は床を見る。きらきらと、ゆらゆらと映し出されるそれは海の中というよりも水面を思い出させた。この水族館の向かい側には本物の海がある。最後に海を訪れたのはいつ頃だっただろうか。砂浜を歩くのは今の自分にはしんどいだろうと半紙は思う。まだ杖を持つ前に歩いた砂浜は前日の雨で湿っていたという事だけは妙にはっきりと思い出せた。
「幻想的な場所だ」墨花が静かに言う。
半紙は隣に座る墨花を横目で盗み見る。あんなに強い日差しが海水とアクリル板を通すだけで淡く柔らかい光となって彼を照らし輝かしている。その光がまるで彼の為だけにあるようなものだとさせてしまうのはその見た目あってのものだろう。あくまで友人としての意見だがと半紙は胸の内で呟き小さく息を吐く。
「もういいんじゃないか」半紙が切り出す。
「何がだい?」
「ここに来た本当の理由さ。何か目的があるんだろ?」
半紙はそう言って墨花を見る。彼の切れ長の目が半紙を見据える。何を考えているのかいまいちわからん表情だと半紙は思うが、これがグッとくる者も少なからずいるのだ。
「目的、か」墨花が呟くように言って口角をあげる。「目的がなきゃ君を水族館に誘う事もダメなのかい?」
「そうだな」
「えぇ~」
「急に大きな声を出すな」
「大丈夫だよ。人の気配無いし」
「配慮を持ってくれ」
「私程配慮に溢れた人間はいないね」墨花はばんっと手のひらを胸にあててみせる。
その様子に半紙はため息をはくと床の水面を見る。じっと見ていると眩しくて時折目を休めるように視線の先を動かしていった。
「で、どうなんだ」話の本筋を戻すように半紙が改めて墨花に問いかけた。
「確かに、目的はあるよ。でもまだ言わない」
「言えないではなく、言わない、んだな」
「水族館は楽しくない?」
「暗中模索は嫌いなんだ」
「すまない」
そう言いながらも墨花は微笑を声に混ぜていた。少なくとも彼は楽しいのだろうと半紙は思う。と同時に自分と二人だけの水族館巡りのどこに楽しさを見出しているのだろうかとも半紙は思ったが思っただけで留めた。
「お土産を買おう」半紙がそう言って立ち上がる。
「もう? まだ見てない場所がたくさんある」
墨花がさすがに戸惑いの声色を出した。
「何が見たいんだ?」
「古代魚が展示されてるブースがある。そこは絶対見たい」
言い方が子供のようで半紙は思わずふっと笑みをこぼす。
「それはマジでひとりで見てくれ」
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