第2話
「内見って不動産屋さんついてくるんじゃなかったっけ?」
「なんか忙しいらしい。見終わったらポストに鍵入れておけばいいって」
香織が見せてきたクレジットカードのようなものを見ると、由貴は苦笑した。
「なにそれ」
「まあいいじゃん、その分気を遣わなくていいしさ」
「まあね。ところでさ、本当にここで合ってるの?」
彼女達の目の前には高くそびえ立つマンションがあった。
いわゆるタワーマンションというやつだろう。
由貴が首が痛くなりそうなほど頭を持ち上げても最上階が見えない。
「合ってる、合ってる」
香織はエントランスに入ると、まるで何度もここに来たことがあるかのように迷わず暗証番号を入れた。
「ねえ、由貴いつまで見てるの? 閉めちゃうよ?」
由貴がまだ外観を眺めている間に、香織は二枚目のドアの向こうへ行ってしまっていた。
ギリギリセンサーにひっかかる位置にいるのか、目の前で自動ドアが何度も往復運動を繰り返している。
「ごめん。行く」
「それにしてもさ……」
歩くたびに絨毯が沈み、ふわふわとした心地のいい感触が足裏から伝わってくるだけで、このマンションが普通とは違うとわかる。
こんなところに来るならスニーカーじゃなくてもっとちゃんとした格好してくればよかった。
私絶対場違いじゃん。
こんな所連れてくるんだった、ちゃんと教えといてよ。
そう言いたいのを堪えて、香織の手を掴んだ。
「どうしたの?」
「どうしたのって……、絶対ここじゃないでしょ……。家賃半分払ってって言われても私払える自信ないよ?」
「あーまあ大丈夫じゃない?」
エレベーターも部屋番号を打ち込まないと動かないようになっており、一つ一つの要素からもここが普通のマンションとは違うというのが伝わってくる。
ホテルのような内廊下を進んでいくと、目当ての部屋の前で香織は立ち止まった。
「ここ?」
「そ、ここ」
ドアを開けると、マンションとして考えると少し広い玄関があった。
「やっぱ違うって……。部屋間違えてるんじゃないの? てか場所? 場所自体が間違いじゃない?」
「大丈夫だって、ちゃんと私が払えそうなところで見せてくださいって頼んだし」
背後でガチャリと鍵が閉まる。
香織が持っているのはさっき使っていたカードキーではなく、よく見る金属製の鍵だった。
「鍵って、部屋の中にも鍵穴あるんだっけ?」
「ああこれ?」
そこにあるのが不自然な鍵穴を指さす。
「そうそう、それ。カードキーで入ってきたのになんで?」
「なんかこれでカードキー無効にできるらしい。誰も来ないと思うけど一応ね」
「あーそうなんだ」
内見なんだしわざわざとは思うけど、間違えて入ってくる可能性もあるか。
「そうそう、それより行こう」
廊下と部屋を隔てるドアを開けると、ショールームかと思うくらいきれいな部屋がそこにはあった。
「うわっ、なにここ……。私の家の一階より広いんじゃない?」
「さすがにそれはないでしょ」
「何部屋あるの?」
「あーっとね」
香織はスマホを見る。
「1LDK? らしいよ」
「ワンってことは、リビング以外の部屋って一つだけ?」
「そうなるね、パーティションとか置けばリビング区切れそうだけど」
そっかー、部屋一つか。
てことは自分の部屋ないの?
寝るとしたら一緒の部屋?
もんもんとそんなことを考えながら部屋を見回っていると、件の部屋を見つけた。
ただそこはやはりそこまで広いとは言えず、シングルベッドを二つ置ける余裕はなさそうだった。
やっぱ寝室にできそうなのここしかないってことは、ここで寝るの?
私と、香織が、一緒に?
有り得な……くはないけど。
告白前は寝たことあるし。
いやけど、返事保留しておいて一緒に寝るのは違うでしょ。
かと言ってリビングにもう一個ベッド置くのも変だし。
「なにか面白いものあった?」
「あ、いや……」
言葉に詰まった由貴に、冗談めかして話しかけた。
「なんか私に見えないものが見えてるとかじゃないよね?」
なんて説明したらいいんだろう。
一緒に寝るの?なんて訊いたらきっと返事をしなきゃいけなくなる。
「この部屋以外にベッド置ける場所無いじゃん。ここもあんまり広くないし。春から一緒に寝るの?」
「あーそうだね、住むなら一緒に寝ることになりそう」
「そう、だよね……」
なんて言っていいかがわからない。
多分香織に求められたらキスもできるし、その先も抵抗なくできてしまう気がする。
元々幼馴染として、ほかの人よりも距離感が近かったせいか嫌な気はしない。
ただ告白を保留してから、だんだんと私を構築するものが徐々に香織に置き換わっていった。
友達も居なくなったし、一日の中で香織が関わらない時間も減った。
もし今後完全に香織に置き換わった後、見捨てられたらどうなるんだろう。
彼女が飽きたものに一切の興味を示さないことは私が一番よく知ってる。
寝ずにやっていたゲームも、好きだと聞いていた音楽も、飽きた時点で昔から存在しなかったみたいに振舞っていた。
そう思うと、私は付き合うのが嫌なんじゃなくて、付き合えたということに満足して興味を失われるのが嫌なのかもしれない。
そんな由貴に追い打ちをかけるよう、普段より低い彼女の声が襲う。
「嫌なら一緒に住むのやめる?」
「い、いやじゃないけど……」
目の前にいる香織はさっきとは別人のように冷たい目をしていた。
その目で見つめられると、空調は快適な温度に設定されているはずなのに背中に一筋の汗が伝うのがわかる。
恋人になったあとも興味が続くかはわからない。
今まで一度も彼女からの興味が消えたと思ったことはないし、これから続くと信じたい。
ただ恋人になった後はわからなくても、このまま私が返事をしないとどうなるかはわかる。
香織が興味を失うのは、いつも何かが取れない時だった。
それがゲーム内のレアアイテムだったり、初回生産特典だったりいろいろだけど、多分私にも同じことが当てはまると思う。
今まで受験に集中したいと言えば返事を引き延ばせたけど、もうそんな言い訳は通じない。
今選択を誤ると彼女の中で幼馴染だった人としてすら認識されなくなるだろう。
そんなのは絶対に嫌だ。
「ならなに?」
「ねえ、香織は大学入っても私のこと捨てたりしないよね?」
「ん? 捨てるわけないじゃん。由貴は大切な幼馴染なんだし」
「違うそうじゃなくて……恋人として」
「由貴は私の恋人にはなってくれないんじゃないの?」
いざ返事をしようと思っても、いつか捨てられるんじゃないかという不安が頭を過る。
ただ現在進行形で香織の関心が薄くなっているのがわかる以上、それだけは防ぎたい。
すがるように香織の手を握ると、言った。
「待たせてごめん。私も香織のこと好きだよ」
「……、付き合ってくれるってことでいいの?」
「私は付き合いたいよ。ただもう遅い?」
「大丈夫。私も大好きだよ」
握ってきた由貴の手を解くと、香織はゆっくりと抱きしめてくる。
さっきまではなにも思わなかったはずなのに、身体中を包んでくる彼女の体温が心地いい。
無臭だった部屋にいたせいか余計に香織の匂いが強く感じられた。
そのまま、香織の背中に手をまわして数十秒経つと、彼女の手が少しだけ何かを探すように動き始めた。
わざわざ言葉にしなくても今香織が何を求めてるかはわかる。
「いいよ」
「え?」
「誰も入って来れないようになってるんでしょ?」
「まあね、ただ外から……」
「ならここ住んだらカーテン」
今だけは誰もついてこなくてよかったと思う。
誰かいたら理性が勝ってこんなことできなくて、香織に飽きられていた気がする。
ただこれで大丈夫。
もう香織からさっきの雰囲気は感じないし、まだ興味持ってくれるはず。
急かすように、香織に回した腕に力を籠めると、唇から彼女の体温が伝わってきた。
ヤンデレだった幼馴染から告白された主人公が大学進学を機に歪な同棲を始める話 下等練入 @katourennyuu
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