第六章 そして、再び日本へ・・・ その2
猪口は推理をするとき、『経験』から編み出した公式を推理に使う。
学校のような一つの解があるわけではない。
また、式も一つではない。
解き、結び付け、対比させる……
その材料となる数や代数が、まだ不足している。
「やあ、ミスター・高林……あなたも来たのか……」
背後から声がして、猪口の意識と目線は後ろを見る。
「その声は……フォール刑事?」
「ああ……酷い惨状だな……」
スーツを着たフォールという四十代の刑事は事故現場に祈りを捧げた。
「ミスター・高林、そこにいる男性は?」
「ああ、日本から来た猪口直衛と言います。日本の刑事です」
自己紹介をする。
「フォール・ドーマンです。アメリカ陸軍の軍曹でミスター・高林に相談に乗ってもらっています」
「元上司だよ」
「ああ、あなたが……御高名は伺っています。日本で、またとない優秀な刑事だったと聞いています」
フォールと握手をする。
「しかし、アメリカ陸軍軍曹のあなたが何故、ここに?」
「以前からミスター・高林に相談していたことなのですが、私たちが開発していた無人兵器が……盗まれました……あまり、公にしたくないのでミスターの事務所でお話しします」
猪口は高林を見た。
彼は話を聞いていて、涙を拭いて力強くうなずいた。
「あら、お帰りなさい。今、お昼ご飯を作っているところよ……あら、フォールさんもいらしたのね。ちょうど、よかったわ……作りすぎて、困っていたの」
猪口の耳元で高林が囁いた。
「フォール軍曹は、ここでは同じ同業者という設定です」
頷くように猪口はさりげなく高林の背を叩く。
家中にいい匂いがする。
「今日のお昼はボストン名物のクラムチャウダーをどうぞ」
台所で皿に注がれた、それは猪口の知る白い、牛乳を使ったものではなく赤い。
猪口が質問する前にハドソン夫人が答えた。
「白いのは観光客向けのものよ……本来のボストンで食べられているのはトマトベースなの。食べてみて」
スプーンでスープと具材、ベーコンや浅蜊を掬って食べてみた。
--美味い!
トマトと海産物の旨味が口に広がる。
白い牛乳とは比較にならない。
二口目を啜り、『ああ、ペスカトーレに似ている味だな』と思う。
とにかく、三人は貪り食い、高林の足元ではブルドッグが、これまたドックフードを貪り食っている。
「こんなに食べてもらうと気持ちいいわね。じゃあ、今日は特別サービス。これは私の夕食にしようとしていたんだけど、これも食べて」
次に皿に注がれたのは、同じトマトベースでも中身が大豆と内臓だ。
口に含む。
鮮烈な味はない。
でも、素朴で優しい味わいだ。
「これはね、私たち……黒人が奴隷だった時の贅沢品だったのよ」
古い冷蔵庫を背にハドソン夫人は淡々と語る。
「私が生まれたころは、まだ、黒人や日本人への差別があって先祖たちは必死に生きるために安い大豆や白人たちが食べない豚や牛の内臓を食べて命を繋いできた……でも、今も、世界中のいたるところで『肌の色が違う』とか『信じている神様が違う』というだけで戦争や差別がある……でも、その連鎖を断ち切ることができると信じているの。それをやるのは、誰かじゃない。今、この場所にいる私たちなのよ」
その言葉に猪口は言った。
「大変、美味しい料理です。だから、お代わりをください。今度は歴史を噛みしめて食べたいのです」
ハドソン夫人は笑顔で、その優しい日本人に大きく頷いた。
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