第五章 猪口直衛、アメリカの大地に立つ その4

 失明しながらも高林はタフネスだった。


--自分の真価がどれほどのものなのか、知りたい


 そう言って彼は最低限の生活必需品などを持って単身アメリカに渡った。


 それから、数年後。


 年に一度だけ猪口の家に一枚のクリスマスカードが届くようになる。


 高林はアメリカの大地に根を下ろし、盲目ながらも探偵業を営んでいた。



 ボストンは海産物の宝庫だ。


 猪口を夕食に案内する高林は人ごみを器用にすり抜ける。


 盲導犬がいるとはいえ、実に身のこなしがいい。


 むしろ、健常者である猪口が通行人とぶつかる。



「慣れですよ、慣れ」


 案内されたのは地元のシーフードレストランだった。


 昔、ある美食漫画で「欧米人は海産物の取り扱いが下手」と公言していたが、高林が注文して出てきたロブスターや蟹は実に美味であった。


 大きさも日本とは比較にならず、腹も舌も満足した。


「どうでした?」


「うん、美味かったよ……大きい店だから正直、期待はしなかったが……うん、美味い」


「でしょう?」


 彼の足元では盲導犬が店の人が気を利かせて持ってきた骨を貪り食っていた。


 と、店の奥にある舞台が騒がしい。


 この店はジャズの生演奏も売りにしているようだ。


「少し待っていろ」


 猪口は席を発った。


「は……はい」



 猪口は、舞台の近くで困っているバンドを見つけた。


「どうしました?」


 気軽に声をかける。


「ああ、俺たちのボーカルが娘さんの熱で病院に行っているんだ。幸い、大事には至らないんだが、この店と病院とじゃ、距離がある……雇われのコピーバンドだから贅沢は言わないが……」


「何を歌うんです?」


 変な東洋人だと思いつつ、バンドの別のメンバーが答える。


「『BLUE AIR MESSAGE』」


 すると、猪口はハミングをしてみた。


 それに、メンバーは驚愕した。


「あんた、知っているのか⁉」


「まあ、多少なり……」


「いやいや、中々どうして……」


 メンバーは強引に猪口の腕を取り舞台へ駆けあがった。



 店中に響く大音量でリーダーが宣言した。


「おい、今日の客はラッキーだな! 神様に感謝しろ! 日本から来た変な親父がこの舞台で歌を歌うぞ!」


 中央には猪口が、ほぼ半笑いで突っ立っていた。


 何か金銭関係のトラブルかと思えば、何故に、舞台に立っているかが自分でもわからない。


 なお、猪口は日本で家族や仕事関係でカラオケには行くが基本的に歌わない。


 やることは家族や部下への労いや盛り上げだけであり、役目が終わればとっとと酒を飲んで食べるだけの係になる。


 自分が大舞台で歌う(規模的にはそこまで大きくはないが、猪口目線で見れば大舞台)のは校内合唱コンクールで小学生低学年の時に歌った『森のくまさん』以来である。


 曲自体は、馴染みがある。


 そらでも歌えるが、知り合いもいる中で歌うのは度胸がいる。


--やけくそ根性


 その言葉が出た。


 猪口は曲に合わせて歌いだした。


 だが、その中に流れるのは、かつての部下への、友への思いだった。


 自分は日本の警察という『今』に残った。


 友はアメリカの探偵という『未来』へ進んだ。


 道が違った。


 でも、心のどこかで繋がっていたい。


 それを歌に込めた。


 

 歌い終わり、マイクを下げたとき。


 店中から、拍手と歓声が鳴りやまなかった。


 高林も拍手している。


 ようやく、汗の出た猪口はほっと笑顔で溜息をついた。

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