第五章 猪口直衛、アメリカの大地に立つ その2

 かつて、移民の玄関口だったボストンは差別主義が横行する場所であった。


 特にペストが大流行したときは『魔女が飼っている黒猫がペストを流行らせた』と喧伝された。


 実際は逆でペストを運ぶネズミを黒猫が食べていた。


 しかし、科学の進歩していなかった時代の話である。


 科学よりも宗教こそが真理だった。



 その暗部を忘れないために『魔女博物館セイラム・ギャラリー』はある。


 猪口は受付でチケットを買い求め、出入り口に出した。


 暇そうな男性だが制服を着ていた。


 警備員だろうか?


「観光できたの?」


 鋭い眼光が猪口を射抜く。


「は……はい」


「パスポートある?」


「はい、どうぞ」


 猪口は慌てて肩から掛けていた鞄からパスポートを出した。


「へぇ、日本から来たのか……また、珍奇なところへ……」



 平和で秩序の良い日本と違い、外国は基本的に人を見たら警戒する。


 無差別テロから窃盗まで犯罪なら何でもありだ。


 だから、警備が厳重になるのもわかる。


 

 ふと、パスポートを見ていた警備員の顔がニヤッとした。


 そして、チケットの切れ目にバンッと日付の入った判を押し、半分にちぎって半券を渡した。


 この時の猪口の感想。


『え? そんなシンプルでいいの?』


 この男、警戒しすぎて一時間以上尋問を受けると思っていたのだ。



 中は誰もなく淡々としていた。


 案内用の音声ガイドを聞きながら歩く。


 歩きながら猪口は『そうか、魔女は日本でいう陰陽師みたいなものだったんだぁ』と感じた。



 魔女も陰陽師も元は天気や呪いを操るものだとされていた。


 ただ、陰陽師は男の職業で皇族などの後ろ盾があったのに対して、魔女は移民先の先住民たちの神を祭っていた。


 これが、一神教、キリスト教の教えに反した。


 加えて、科学黎明期において魔女という存在は科学者にとっては脅威だった。



 じっくり、魔女が使った(であろう)箒や大釜を見物して鑑定眼のない猪口は英語のナレーションを聞きながら感心してみていた。


 そして、何人もの魔女と猫を茹でた(とされる)釜を見て思わず、両手を合わせ瞑目した。



 出口を出ると、潮の匂いがした。


 空はオレンジ色に染まり、少し肌寒い。


--おお……


 目の前には対岸の高層ビル群がオレンジ色に染まり、輝いていた。


 その絶景に思わず、猪口はスマートフォンを取り出しカメラ機能で写真を撮った。


 文明が生き、死に、甦る。


 それを体現するような荘厳さすらある。


「猪口警部?」


 その声に思わず、振り向く。


「高林……君?」


 猪口は恐る恐る、ブルドックに繋がれた綱によって先導される盲目の男性に声をかけた。


 猪口より背が高く、石動ぐらいの身長がある。


「あ、やっぱり、猪口警部ですか? お久しぶりです」


 盲目ながらも反対の手で彼は敬礼をした。


「いいよ、そこまで畏まらなくても……俺は先月までで警察をやめた民間人だぜ」


「じゃあ……猪口さん?」


「それでいいよ。高林道人たかばやしみちひと君」


 かつての部下の肩をポンポンと猪口は叩いた。

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