旧友との冒険 猪口、アメリカへ旅立つ編

第五章 猪口直衛、アメリカの大地に立つ その1

 日本との時差は十三時間。


 猪口直衛が最初にしたのは、誰かに会うでも連絡するでもなく、あらかじめ、ネット予約しておいた安ホテルで、ひたすら惰眠を貪った。


 なにしろ、ほぼ思い付きのようなものなので客室は窮屈なエコノミークラスで、しかも、何故か旅行客だのビジネスマンなどで文字通り箱詰め状態の上に、赤ちゃんの泣き声に怒鳴り声に近い会話で現役時代に私鉄沿線を使って本庁に向かうまで満員電車に揺られていたことを否応なく思い出す。



 若い時ならいざ知らず、年寄りが疲れるとロクなことがない。


 本来、助けになる経験や知識が『真実』を濁らせることがある。


 現場を混乱させ疲弊させることもある。


 だから、脳を一回リセットさせるために、ひたすら寝る。


 やるのは、ホテルに入る前に近くのスーパーで爆買いしたインスタント食品を食べ、ちゃんと消化させ、排泄する。


 それだけである。


 

 これを四十時間以上した。


 

 カーテンの隙間から朝日が差し込む。


 スマートフォンを見る。


 自動的に現地の時間に合わせるアプリを見ると午前八時。


 ベットを出て大きく伸びをして、体に異常がないかを確認する。


 次にバスローブを脱いで全裸でシャワールームに入り全身を隈なく洗い、余計な髭などを剃る。


 もう一度、全身を鏡を使い確認する。


 異常はない。


 吊るしておいたスーツに身を包み、猪口はフロントでチップを渡して、知り合いに電話をかけた。



 ボストンは日本でいう東京の神田に当たる。


 学生街で有名な大学や研究所が数多ある。


 治安も比較的良く、観光客にも慣れている。


「HI!」と気軽に声をかけてくれる人もいる。


 

 実は、猪口にとってアメリカは初めての地である。


 かつて、英国イギリススコットヤードロンドン警察に中期滞在したがアメリカは初めてである。


 だから、英語はある程度話せるが、常に意識しないと『ロンドン訛り』が出る。


 一度も国外に出ていない正行は分からないが、傭兵をしていた秋水や現在でも海外ともやり取りをする石動からすると『酷いとは言わないが、如何にもイギリスっぽい』訛りがあるという。


 だからか、タクシーで目的地を示しても、運転手が笑っているように思う。


「で、何処まで?」


「ま……魔女博物館セイラム・ギャラリーまでお願いします」


 緊張でほぼ観光客みたいな猪口に黒人のごっつい運転手はスキンヘッドの頭をゴリゴリ掻いた。


「あんた、本当にそこに行くの?」


--秋水が黒人と化したら、こうなるであろう


 猪口はぼんやり思っていた。


「は、はい」


 たどたどしい英語だろう。


 でも、頷くと、運転手は溜息を吐いた。


「あんた、モノ好きだね。あそこはね、ある意味ではホットな場所だが、行くんなら野球場とかレストランがおすすめだ」


「いえ、そこに行きたいんです」


 そう言いながら、やや多めのチップを渡す。


「お願いします。行ってください」


「わかった、必要以上のチップはいらねぇがお前さんを置いたら、さっさと帰るからな!」


「結構です」



 タクシーは目的地手前で止まった。


 どうやら、何かあったらしい。


「あー、またかな?」


 運転手の言葉に猪口は引っかかった。


「また?」


「あのな、お前、自分が行く場所がどういう場所か分かる?」


「いいえ。ただ、知り合いとの待ち合わせ場所に指定されただけです」


 運転手は車列が動かないことを確認してシートベルトしたまま体を猪口に向けた。


「出るんだよ」


「何が、出るんです」


「日本風で教えてやる」


 そう言って運転手は両手をハンドルから放し、胸の前で垂らした。


「魔女のお化けだ」

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