第三章 父と息子と時代(後編) その2
「断る」
その言葉は柔らかいが硬い意志を感じる。
春平の返答は即答だった。
『そうかい? 骨だが、ジャンルの生態系調査も中々興味深い。ゴリラなんて動物園で見た程度だろう?……まあ、確かに糞や小便の臭いはあるが、あいつら、結構人懐っこい個体が多くて、僕に一番なついたシルバーバック、まあ、群れの親玉だな……は別れるときには、何か悟ったのか泣いていたよ』
「へぇ、ゴリラって泣くのか?」
店主のほうが興味深く聞く。
『そりゃ、僕たちの遠い先祖の縁戚だもの。怒りもするし泣きもする。君のように亭主関白みたいで実際はかかぁ天下で尻に敷かれっぱなしなオスも多い……』
「死んだ女房の話をするな」
店主は苦笑した。
『……まあ、パソコン周りは僕の助手が手助けをするから、来ないかい? そうだ、それ相応の研究費も出すよ。動物の行動心理学には追跡が重要でね。春平のような達人ならレーダーなしでも……』
「だから、断る」
春平の意志は固い。
「俺は、このメンツの中じゃあ一番頭が悪い……何より、もう、体が持たない」
その言葉に店主は顔を青ざめる。
「……そんなに悪いのか?」
「医師は俺を見て『奇跡』というよ」
『……だからだ、春平』
画面の向こうにいる権之助は厳かに言った。
『君は十分、いや、十二分にお役目を果たした。もう、君は、君という檻から放たれてやりたいことをやりたい分だけやればいい』
「それを、『断る』」
画面越し、地球の正反対でかつての旧友が睨みあった。
その空気に店主は耐えられない。
思わず、振り向いていった。
「おーい、婿殿! 通話が終わったから片付けよろしく!」
賑やかな集団が去り、再び、店主と婿殿だけの店内になった。
婿殿は依頼されている本の修復をしているが、店主は相変わらず、窓辺で商店街の様子を見ている。
そろそろ、閉店時間でママ友会から妻が帰ってくるはずだ。
「そろそろ……」
作業に目切りをつけて帰り支度をする。
だが、今日の店主は、窓辺にいた。
--聞こえないのかな?
そこに行き、息をのんだ。
店主の目から涙が滂沱と出ていた。
「なあ、婿殿」
「……はい」
言葉を選びながら店主は問うた。
「生き物ってものは自分の死期を悟って消えちゃうものなのかな?」
婿殿も言葉を選び、おずおず答えた。
「犬とか猫は、そういう性質はありますが、人間は医学が進んでいますし、最後は誰かが看取ります」
「そうかい……では、婿殿。わしがそうなったらどうする?」
しばらく、婿殿は考え、正直に答えた。
「……まだ、覚悟がありません」
「だろうな」
涙をぬぐいながら店主は笑った。
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