第二章 それでも、現実はあり続ける その1

 目を閉じる。


 視覚認知は、人間の認知の中で八割ほどを占める。


 逆に言えば、匂いや味には鈍感になる。


 だから、石動肇いするぎはじめは目を閉じた。


 最初に音を聞いた。


 若芽を出した木々のこすれる音。


 窓が僅かにガタガタなる音。


 鼻と舌に残る紅茶の余韻を感じる。


 元々はコーヒー派であったが、外国籍だったの妻が紅茶を日常的に入れるので自然と紅茶を飲むようになった。


 いい茶葉をふんだんに使い、的確な温度でジャンピングさ、手早くカップに入れたのだろう。


 高貴な香りの中に甘味や渋みを感じる。


 愛妻ほどではないが、日本でも屈指の名店だ。



 午後のひと時。


 店には、新聞のかすれる音や小さくオーダーを確認する声、本のページをめくる音ぐらいしかしない。


 あと、三十分もすれば噂好きの熟女集団や近くの高校の帰宅部たちがやって来て、賑やかになるだろう。


 目を閉じていれば、逃げることもできるだろう。


 しかし、障碍者でもない限りにおいて目を閉じてばかりもいられない。


 ゆっくり、静かに目を開ける。


 徐々に賑やかになる店内。


 目を開けて、目の前のパソコン画面を見る。


『アナハイム社の子会社が大炎上!』


 という下の文字を見ると『死者、多数 テロとの可能性をFBIが示唆』などの文字が躍る。


 別のウィンドウを開ける。


 日本の新聞社に勤める記者の伝手つてでアメリカの大手新聞社に勤める記者と知り合い、彼にSNSで死亡者名簿を見せるように迫った。


 最初渋っていたが『もしかしたら、友達がいるかもしれないんだ!』と書くと数分連絡が途絶え、何かのアドレスが送られてきた。


 それをクリックすると英語で書かれた死亡者名簿が現れた。


 送った記者に礼を書き、名簿を一人一人確認する。


 中々出ない。


 が、そろそろ終わりのところで、その名前が出てきた。


 アヴァン・ゲーソン。


 中東アフリカ系ITエンジニアで名前こそ聞かないが、本物の天才である。


 その天才から石動が社長をするアイトライブで一部であるが極秘の仕事としてプログラミングを受注した。


「いやぁ、会社に箔がつくなぁ」


 能天気な副社長であり、実働部隊の隊長であり、石動の大学からの友人は豪快に笑った。


 宴席で自分も笑った。


 しかし、今思えば、おかしな点がなかったわけではない。


 契約書の中に『部内でもごくごく一部のものしか知らないプロジェクトなので何か疑問などがあれば自分のスマートフォン以外にSNSもメールも電話もしないこと』というが妙に引っかかった。


 だが、『前年比からもやや不振傾向だった会社を立て直すためには……』と条件を飲んだ。


 全てがインターネットで済まされるご時世にわざわざ来日したのも珍しい。


 特に観光にも文化にも興味がなく、実にビジネスライクに話をまとめ、さっさとその日の便で帰国した。


 金は後払いだが、破格だった。


 だから、久しぶりに人にも機材にも無理をさせた。


 その依頼人が、死んだのだ。

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