第3話 チョコレートの場合

 こちらも本編の世界ではない話です。もしも白南風くんが、返礼品としては要注意お菓子のチョコレートを贈っていたとしたら。





 ■□■□





 バレンタインで手作りガトーショコラをもらったからには、それ相応のお返しをしなければいけない。本命からのチョコレートならば気合いが入る。


 バレンタインが明けてすぐ綿密に練った計画を、改めて脳内で書き起す。完璧なホワイトデーにするには、渡した後の振る舞いが肝になる。しくじるなよ、白南風恭太。


 俺は意を決して紙袋を掴んだ。マチコさんを待たせた部屋に戻る。


「ちょ、椅子に座っておいて良かったのに。いや、悪いのは俺か。ちょっと待ってて、じゃ、言葉が足りないよな。マチコさんが来るのが分かっていたのに、座布団とかラグとか用意しとくんだった」

「しら、恭太さんが謝る必要はないです。こちらこそすみません。勝手が分からなくて。他所様の部屋に入ることはありませんでしたから、彼氏の部屋なんて、入ったことなく……!」

「あー! マチコさん、ストーーーップ! その体勢だと、土下座させてるみたいだからやめて」


 床に座っていたマチコさんに駆け寄り、彼女の頭を上げさせた。食堂のおばちゃん達にこんなことをさせたと知られては、居心地の悪い昼食がしばらく続いてしまう。


「呆れて、ないんですか?」

「過去の栄光だって言って、過去の男遍歴を自慢されたら呆れるかな。マチコさんはする? 自分がモテたエピソードトーク」

「しないです! というか、ありません! 私にはしら、恭太さんだけですから!」


 あわあわと弁明するマチコさんに、自分の器の小ささを痛感した。しますなんて言われた日には、マチコさんに言い寄った奴らの息の根を止めにかかったかもしれない。


「良かった」


 二重の意味で息をつく。マチコさんの好感度と、俺の社会的地位は守られた。むろん、前者の方が大事だが。


 俺は渡しそびれていた紙袋をマチコさんに差し出す。


「バレンタインのお返し」

「あ、ありがとう、ございます」


 中を覗き込んだマチコさんは、嬉しさよりも戸惑いが多い顔になる。


「高くないから、がっかりした?」

「ち、違います。しら、恭太さんからもらうものは、何でも嬉しいですよ。たとえポケットティッシュでも」


 マチコさんには、プレゼントに困ってたとしても贈らない代物だ。

 いつかのホワイトデーで「お返しないの?」とギャーギャー騒がれ、たまたまもらったティッシュを半ば投げつけるように渡したことはあった。本命相手にはそんな渡し方をしない。妥協したと思われるより、無駄な出費と言われた方が良い。


「入浴剤、とてもありがたいですけど。チョコレートの意味って確か『もらった気持ちをそのままお返しします』だった気がします」

「そうだよ」


 俺は自分用に買っていた袋を出した。予約して家を出たから、すでに風呂は沸いている。


「一緒に入ろうよ。マチコさんからもらった分の愛情、同じだけ返すから」


 浴室でマチコさんの懇願が響いたのは、それから間もなくのことだった。体を洗わせてくれたときは、借りてきた猫のように大人しかったのだが。


「しら、恭太さん、全然同じじゃないです。とっくの昔に……私より、超えてますから! もう、充分すぎるほどぉ、ふぅっ、いただいて、います……!」


 両手で浴室のふちを掴むマチコさんは、赤らめた顔を隠せずにいた。視界にちらちらと写る上半身が、恥ずかしくて仕方ないのだろう。薔薇の花びらを散らしたような痕が刻まれた上半身は、チョコレート色に染まっていた。


 俺は舌を離し、マチコさんをたしなめた。


「ちゃんと自分の体を支えておいてね。こっちは俺が支えているけど、マチコさんが手を離されたら困る。風呂で溺れたくないだろ?」

「何もここじゃなくて、ベッドでも……」

「マチコさんが匂いを気にしなくて済むからな」


 水の中だと、ベッドでできない体勢も楽にできる。マチコさんの腰を持ち上げていた俺は、舌の届く限り奥までキスをする。

 マチコさんの顔に視線を向けると、声を出せずに口をぱくぱくさせていた。


「のぼせる寸前ってとこかな。手、離していいよ。自分で立てる?」

「何とか」


 息も絶え絶えなマチコさんは、俺の肩にもたれる。このままずっといたいところだが、狭い湯船では動きづらい。


「水分補給しなきゃな。その後でチョコレートの香りがどれぐらいマチコさんの体に染み込んだか、味見させて」

「まだ食べられてしまうのですか?!」

「当たり前だろ。まだ半分も返せてねぇから。四分の一ってとこか?」


 ふしゅうと呻く頬にキスして、第一ラウンドを終えた。



〈最終話 ホワイトデーのベッドの中〉

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