第2話 マネキン
ゆったりとした1週間が過ぎ、駐在所勤務の最終日となった。
お盆が過ぎて、暑さが和らいできた穏やかな日曜日の昼下がり、この一週間を噛み締めるように駐在所から青空を眺めていると、急に暗雲が立ち込め、そして土砂降りの雨が降ってきた。
それでも30分も経つと、嘘のように晴れ、一斉にセミが鳴き始めた。
「武志兄ちゃん、いる?」
亜希子が駐在所に入ってきた。
そして、そのあとを追うように若い女性が入ってきた。
その女性はガタガタ震えていた。
武志は女性を椅子に座らせて、麦茶をデスクに置いたが、手もつけずに急に話し始めた。
「キャンプ場でマネキンに襲われたのです」
「は?」
「マネキンに襲われたんです」
武志は、まずは気を落ち着けるように言い、名前を聞いた。
女性は俯いたまま、何も答えない。
亜希子が「まり、桜田まり、だよね」と言うと、女性は静かにうなずいた。
「思いつく順番でいいので、何があったのか話してもらえませんか」
「私達、私と優斗と健二でキャンプをしようと思って…」
武志の横でニコニコしながら亜希子が聞いている
「亜希子ちゃんは家に帰ってね。ここからはお兄さんのお仕事だから」
「えー。家には”じいじ”しかいないからつまらない」
「けどね、お姉さんと二人でお話ししなくちゃいけないから」
「えー、ねえ、お姉さんも私がいた方が話しやすいよね」
亜希子が桜田の顔を覗き込むように言うと「ええ、一緒にいてもらった方が」と亜希子の手を握り締めるのだった。
「しょうがないな、じゃあ、向こうの部屋で待ってて」
亜希子は、渋々宿直室に入り、引き戸をゴロゴロと閉めた。
桜田がゆっくりと話し始めた。
「キャンプ場に行く途中で、マネキンが捨てられていたんです」
「マネキン?あの不法投棄場?家具とか電化製品が捨ててあった場所ですか」
「はい」
麓から駐在所へ来る途中に山の景色には似合わないゴミ捨て場があった。寺本の話だと誰かが電化製品を捨てるようになり、あちこちから人がやってきて不法投棄場となってしまったらしい。村でも監視カメラを設置したのだが、死角を見つけては電化製品や家具が捨てられ続けているのだと言う。
「マネキンですか。潰れた衣料店の人とかが捨てたのかなあ」
「優斗と健二が、面白がってマネキンを引き摺り下ろして、いたずらをしたんです」
最初は振り回していたが、そのうち、足や手や背中にタトーを書くと言って、落ちていた釘で四角や三角を上下に重ねた絵を何個も描いて、最後には夜に肝試しをしようと首だけ外してキャンプ場に三つ持ってきたのだと言う。
「ちょうどテントを張り終わった時です。急に土砂降りの雨が降ってきて、私達はテントの中で雨が止むのを待っていたんです」
「先ほどの雨、ゲリラ豪雨ですね」
「はい、テントの中で雨が止むのを待っていた時、外から何かが聞こえてきたんです。雨の音が激しいので、最初は何の音か分からなかったのですが、だんだんと音が、歌がはっきり聞こえてきたんです」
「歌?」
「はい、かごめかごめです」
「かごめかごめ?」
「かーごめ、かーごめ、かごのなかの鳥は、いついつでやーる。夜明けの晩に、鶴と亀がすべった、後ろの正面だあれ」
宿直室の中の亜希子の声であった。桜田は、怯えるように宿直室の戸を見ていた。
「亜希子ちゃん、仕事中だから静かにしてくれないかなあ」
「はあーい」と亜希子の返事が聞こえる。武志が「すみません」と謝ると桜田が話し始めた。
「テントの隙間からみんなで覗いてみたんです。最初は何かが近づいて来るとしか分からなかったんです。けど、歌と一緒にどんどん近づいてきました。優斗がマネキンだと叫びました。私も健二もすぐに分かりました。マネキンが3人、踊りながら近づいて来たんです。そして、私達は囲まれました。テントの周りを歌いながら回っているんです。その時、優斗が”逃げるぞ”と言って飛び出しました。その後を追って健二も私もテントから走り出ました。そしたら二人にマネキンが飛びかかったんです。二人の叫び声が聞こえました。けど、怖くて怖くて、振り返ることができなくて、河原の上まで登って道を走っていたら、この子…」
「亜希子ちゃん」
「はい、亜希子ちゃんに会ったら、駐在所が近くにあるよって、それで連れて来てもらったんです」
武志は何と答えていいか分からなかった。きっとこの人は、心の病にかかっているのに違いない、そう思った時、駐在所の電話が鳴った。武志が勤務している市街の警察署からであった。
キャンプ場で二人の男性が倒れていると住民からの通報があったので、現場に来ている。駐在所が留守になるのは悪いが、武志も来るようにと言うことであった。
武志は宿直室で休んでいるように桜田に言い、亜希子にも少しだけ一緒にいてくれと頼んで駐在所を飛び出した。
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