かごめかごめ

nobuotto

第1話 山裾の駐在所

 駐在所の前で自転車から降りた宮坂武志巡査は、額から流れ出る汗を何度も拭いた。

 少し遅れて駐在所に着いた寺本巡査部長は、暑さの怒りを自転車にぶつけた。

「サドル。びしょびしょだよ。普通じゃねえよ、この暑さ。悪かったなあ、折角来てもらったのに、これじゃ避暑にならんなあ」

「いえ、勤務ですから」

 武志は、苦笑いで答えた。真夏の市街の派出所勤務よりは楽かと思ってこの駐在所に来たことを見透かされていた。

 寺本が姪の結婚式へ奥さんと出席するため、1週間の臨時勤務で武志は下津駐在所に赴任したのだった。

 初日の月曜に、寺本と一緒に村を巡回し、主だった人への挨拶を済ませてきた。

「川の氾濫が一番やばいけど、今週は天気が良いらしいから大丈夫だろう。あとは今日紹介した年寄りの家は必ず見回ってくれ」

「はい」

「おー、いい返事ですねえ」

 元気な声に振り返ると、駐在所の入り口に少女が立っていた。目鼻立ちがはっきりした端正な顔立ちの少女だった。

 少女は二人の前を堂々と歩いて宿直室の入り口にチョコンと座った。

「池田のばあちゃんが言ってた通り。かっこいいお兄さんだね」

 寺本がフーとため息を吐く。

「もう聞き付けたのか。夏休みだからって遊んでばかりじゃいかんぞ」

「お兄ちゃんの名前は」

「お兄ちゃんでなくて宮坂巡査だ」

「宮坂なんていうの」

「あっ、武志です」

 テンポのいい質問に武志は思わず答えてしまった。

「この子は、俺の兄の孫で亜希子って言うんだ」

「あのぽつんと一軒家の」

 森の中に建っていた藁葺の大きな屋根の家である。寺本の兄の家らしいが、ここは寄らなくてもいいとの寺本の一言で、屋敷を見上げるだけで帰ってきたのだった。

「そう。兄の長男夫婦の娘。えーっと何年だっけ」

「小学2年生。何度言っても”寺じい”は覚えないんだから」

「”寺じい”?」

「ああ、兄貴のことは、じいじで、俺は”寺じい”だとよ。そもそも、俺はこの子の爺さんじゃないっていうの」

「そう、じいじは、偉くて、”寺じい”は不良」

「警察官に不良っていうな」

「そういえば、寺本巡査部長のお兄様は人間国宝と聞いたのですが」

「ああ、うちの家系は代々人間国宝だから、そのうち人間国宝になるだろ」

「あの、人間国宝って、何をされているのでしょうか」

「人形づくり。まあ、江戸時代は傀儡師とか言って、それからずっと能面や浄瑠璃の人形を作ってんだよ」

「はあ。す、すごいですね。ご挨拶に行かなくていいのでしょうか」

「いや、いいんだよ。いや、そうだ、宮坂が一人で行けばいい、うん。そうしなさい」

「”寺じい”は、じいじが怖いから行かないのよね」

「嫌なこと言うねえ。そうじゃなくて、どうもあの家は、なんて言うか薄気味悪くてな」

「薄気味悪いって」

「うーん。まあ、この話しはもういいや。亜希子、お兄さんは、仕事中なんだぞ。俺が送ってやるから帰えるぞ」

「嫌だ、もっとここにいる」

 武志から離れようとしない亜希子を抱き上げて、寺本は駐在所を出て行った。

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