第8話
アルダリーの街は、まあそこそこの地方都市である。隣国ウォリン王国との国境の検問所があるため昔から多くの宿屋が営業をしている。
「俺たちが目を光らせてはいるが、国境の要所と不可侵領域との境という土地柄、旅人が多い。中には羽目を外す輩もいるから、街に出る時は必ず誰かを連れて行くように」
そもそも貴族の娘が一人で街歩きなどしないだろう。移動は基本的に馬車を使用するし、常に侍女か従僕がつき従う。
「分かりました」
リセラは物珍しそうに顔を忙しなく動かしながら頷いた。
「町に出る時はローブを纏っていた方がいいかもしれないな。身分保障になるし、変に声をかけられる確率も減るだろう」
「なるほど……」
若い娘というだけで酔っ払いに絡まれる事例もあると聞く。
「どいたどいた。危ないよ」
「ひゃわ」
手押し車を押した女性と衝突しそうになったリセラをレンフェルが慌てて引き寄せた。
昼間の街は人の往来が多い。
「余所見はしないこと」
「すみません」
今の彼女は初めての場所に気をそぞろにする子供も同じだ。仕方がないとその手を握った。目を離すと人に揉まれてはぐれそうだと考えたからだ。
「あそこが警邏隊の詰め所だ。一応第五師団の所属になっている。何か困ったことがあったら頼るように」
「はい」
「あそこが街で一番大きな商店だ。うちにも定期的に品物を届けに来てくれる。今度リセラにも紹介する」
「ありがとうございます」
話しているうちに目当ての場所へと到着する。
「着いた……ぞ」
看板を見上げたレンフェルは眉根を寄せた。
「ええと……『大人の保健室』……?」
「……何なんだ、このふざけた店名は」
リセラが読み上げたそれに対して思わず低い声を出してしまった。
退職後はアルダリーで店を開きますと聞いてはいたが。魔法薬を扱うとは聞いていたが。一体どうしてこんなおかしな店名なのだ。
まあいい。本人に聞こう。
レンフェルは早くも痛くなってきた頭に気付かない振りをして扉を押した。
カラン。扉につけられた小さな鐘が鳴る。
「いらっしゃい……って、レンフェル様ですか」
「何だよその、「ちっ。金にならない奴が来た」とでも言いたげな声は」
「そんなことはありませんよ~。お客様は誰だって大歓迎です――」
にへらっと取り繕い笑いを浮かべるのは、先日退職した騎士団付き薬師のロージエ・ジュナンだ。四十五歳だという年齢を感じさせないほど若々しい容姿を持つ彼女は、ブラウスにスカートという服の上から白衣を纏っている。そしてなぜかキセルを手に持っている。喫煙者ではないのになぜ。
その彼女は客人であるレンフェルの隣に目を向けた瞬間、何か言いたげな視線を寄越した。
「彼女はリセラ・ダンヴァース。隣国ウォリンで魔法薬の研究をしていた。元の職場を退職しなければいけない事情があって困っていたのを俺が勧誘した。ロージエの後任だ。引継ぎをよろしく頼みたい」
「よろしくお願いします」
「……後任薬師ですか」
ロージエが呆気に取られたように復唱する。
「第五師団で薬師をしていたロージエ・ジュナンよ。よろしくね。ええと、リセラって呼んでもいい?」
「もちろんです」
「わたしのことはロージエって呼んでちょうだい。あなた、いいところの出身でしょう?」
たった数分のやり取りからリセラの素性をあらかた検討をつけたのだろう。礼の仕方ひとつとっても貴族の娘として躾けられたリセラには品がある。
「ですが、わたしの先輩薬師ですし……。ロージエさんと呼んでも?」
「好きにして」
からりと言ったロージエにリセラがホッと息を吐く。
双方に面識ができたところでロージエがレンフェルにこそこそと話しかけた。その瞳の中に隠しきれない好奇心を覗かせて。
「えらく可愛いお嬢さんじゃないですか。あんな見るからにお上品な娘さんがなんだってこんな片田舎に来てくれることになったんですか。もしかしてナンパですか」
「ナンパじゃない。色々あって勧誘したらついて来てくれた」
レンフェルも押し殺した声で応じる。
「それをナンパっていうんですよ。なるほど、レンフェル様はああいう子がタイプだったんですね」
「そういう見方をするな。他意はないんだ」
レンフェルは念を押した。パトリックもロージエも穿ちすぎだ。
彼女を連れ帰ったのは、あの祝勝会での凛とした姿勢を見たから。悪意に晒された大広間で、最後まで毅然とした姿を見せていたから。
彼女は何も感じなかったのではない。人前で取り乱すことを良しとしなかったのだ。
あの時のレンフェルは、純粋に彼女の力になりたいと思った。
だから声をかけた。それだけだ。
「硬い。硬すぎますよレンフェル様」
「俺のことよりも、あの店名は何だ? 大人の保健室って何なんだよ」
「大人だからこそ人には言えないあれやこれやがあるじゃないですか。わたしはそういう悩める大人たちのために色々なお薬を作ってあげたくて」
「媚薬各種取り揃えてあります……。ロージエさん、媚薬とはどのような魔法薬でしょうか?」
ひそひそ話をしていた二人の背後から無邪気な質問が飛んできた。
リセラである。
レンフェルの顔から血の気が引いた。
彼女は壁に張りつけられている紙を熱心に見つめている。堂々と壁に媚薬などという張り紙を張るな。そう叫びたくなった。
「媚薬っていうのはねえ~」
「貴族の娘に変な知識を与えるな!」
レンフェルは慌ててロージエの口を塞ぎにかかった。
今度はしっかり躱したロージエが明るい声で応じる。
「夫婦でいちゃこらするといってもどうしてもマンネリになるでしょう? そういう時にこの薬を使えば、より一層お互いを深く知れるようになるのよ」
「いちゃこら……?」
「いわゆる子作り行為のことよ。わたしは世の夫婦が円滑に子作りに励めるような魔法薬を開発販売しているの」
「きっとロージエさんのお薬を必要とされる方が大勢いらっしゃるのでしょうね」
「もちろんよ。口コミを頼って結構遠方からもお客さんが来るのよ。うちの媚薬はめちゃすごいって」
レンフェルは頭を抱えたくなった。
「媚薬の他にも色々と取り揃えているのよ。男性機能を増し増しにさせる薬とか特定の相手にしか反応しなくなる淫紋とか」
「淫……紋?」
「普通の行為に飽きてくると刺激が欲しくなるのよねえ。あ、わたしの作る媚薬は安心安全だから。いつかリセラに愛する人ができたら贈るわね」
「ありがとうございます」
律儀に返事をするリセラだが、絶対に意味を分かっていないだろう。
結婚を機に退職して店やりますと聞いた頃から予測はしていたが。何なら騎士団で薬師をやっていた頃から副業で媚薬やら淫紋やらを高値で売りつけていたことは把握していたが。
「お。団長ではないですか。ウォリン王国からお帰りで? うちで一杯やっていかれますか?」
小麦色に焼けた肌の筋骨隆々の男が奥からひょこっと顔を出した。ロージエの夫のジョルジュだ。
「いや、今日はロージエの後任が決まったから引継ぎの打ち合わせに来たんだ」
「おお。それはよかった」
ジョルジュがにかっと笑った。彼は昨年まで第五師団の副団長を務めていたのだ。
そう紹介するとリセラが「よろしくお願いします」と挨拶をした。
「今度うちで一杯やっていってください。うまい酒を取り揃えていますよ」
「彼は現役を引退して、酒場を始めたんだ。ジョルジュのつくる料理は豪快だがどれも美味しい」
「褒めても何も出ませんぞ、団長」
ジョルジュが「あっはっは」と笑いながら奥に引っ込んでいった。
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あとがき
すでにストックやばし…です
すみません
淫紋とは、ティーンズラブジャンルでお馴染みの、エッチな気分になる魔法の紋様です
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