第7話
朝から散々な目に遭った。
あの後パトリックがやって来て、散々説教をされた。
騎士服に着替えた今もパトリックは食堂でおかんむりである。
「パトリック様、あまりレンフェル様を叱らないでください。わたしが呑気に朝のお散歩に出てしまったのがいけなかったのですから」
「いいえ。リセラが気に病む必要はありません。それから俺のことはパトリックと呼び捨てください。そもそもは、あんなところでいつもいつもいつもいつも水浴びをするレンフェル様がいけないのです。仮にも王族だというのに何とも嘆かわしい。品性を! 思い出して! ほしいのですよ! 俺は!」
日頃の溜まったものを吐き出すかのようにパトリックの声が荒くなる。
「ここに住んでいると王子だって事実を忘れるんだよな」
パトリックが冷たい視線を寄越してきた。仮にも王子相手に酷くはないだろうか。
「品性を思い出す云々はともかく。リセラが同居を始めたことを忘れて半裸になったのは俺の落ち度だった。これを踏まえてあの井戸には衝立を設置する」
「それがいいと思います。木製ですと耐久性に問題が生じると思いますので煉瓦を積み立てるのはいかがでしょうか」
「そうだな。いっそのこと四阿のような屋根付きにするか」
「それでしたら着替えを置く場所も確保できますね」
「だな」
「何盛り上がっているんですか。違いますよ。そうじゃなくて、井戸で水浴びをするなと申しているんですよ、俺は」
パトリックから突っ込みが入った。いい案だと思ったのだがお気に召さなかったらしい。
彼のこめかみがぴくぴくと引きつっている。
「水浴びなら自室でどうぞ」
「……分かったよ」
多少の不便は仕方がないと諦めることにした。リセラを連れ帰ったのはレンフェルである。年若い娘との同居は色々と気を遣うものだと改めて痛感させられた。だからといって彼女を追い出すという選択はない。
「分かっていただけて安心しました」
ようやくパトリックが留飲を下げた。
「リセラもこの城館の住人として何か気付いたことがあれば遠慮なくレンフェル様に苦情を入れて構いません」
「まだ住み始めたばかりなので何とも……。わたしの方こそ今日は不躾に歩き回ってしまいましたし」
今日は目覚めが早く朝食までの時間を持て余し、つい外に出てしまったとのことだ。城館の周りを歩くくらいなら大丈夫なのでは、と自己判断をしたことを彼女は反省する。
「今日のところはお互いに落ち度があったのです。パトリックもあまり根に持たないでください」
「今回はリセラに免じます」
リセラの取りなしにパトリックが頷き、ひとまずこの件は終了となった。
それから朝食を再開し、皿を空っぽにした三人はそれぞれミルクや茶を飲み干し立ち上がった。
今日はリセラの初出勤日だ。
城館を出る前に魔法使いと薬師が纏う第五師団の紋章入りローブを彼女に手渡した。
「ありがとうございます」
今彼女が着ているのは木綿地の生成りのブラウスの上から袖なしのオーバードレス。薬師には制服を設けていないためウォリン王国を出る前に新調したものだ。
その上からローブを纏ったリセラが一回転した。
「いかがでしょうか」
「うん。似合っている」
頷くとリセラが照れたかのようにほわりと微笑んだ。
(可愛い……)
心に浮かび上がったのは飾り気のない率直な言葉。
直後、レンフェルは不埒な考えごとをした己を叱責した。女性への免疫がないにもほどがあるだろう。いや、免疫くらいある。姉が二人もいたのだし、王族として年に数度は社交の場にだって顔を出す。
女性の笑顔など見慣れているはずだ。
だからリセラの喜ぶ顔を目に焼きつけるかの如く見つめ続ける必要などないのだ。
それなのに先ほど触れたリセラの手の細さと温かさをさまざまと思い出すのだ。
「レンフェル様。そろそろお時間ですよ」
「そう、だな!」
妙に冷たい声を出したパトリックによって現実に引き戻されたレンフェルはあえて明るく応答した。
今回のウォリン王国遠征について来た騎士たちはすでにリセラを知っているが留守番組は初対面となる。
「砦の中を案内しつつ、出会った団員たちにリセラを紹介していく」
「はい」
午前中は砦見学に費やされた。ウォリンとの国境と不可侵領域、二つの守りの拠点でもあるため第五師団の砦は規模が大きい。
「リセラは魔法使いたちと同じ所属になる。同じ建物内に専用の部屋がある」
一通り砦内を歩いたあと、これから彼女の職場となる部屋へと案内した。
「前任のロージエがどの程度整理をして出て行ったかが定かじゃなくて」
「引継ぎ書などはありますか?」
「本人曰く、後任が見つかったら直接引き継ぐから家まで連れてきてほしいって言われているんだ。午後からはロージエのもとへ向かおうと思う」
扉を開けると、若干埃っぽい空気に出迎えらえた。人の出入りがひと月以上なかったのだから無理もない。
「今できることは空気の入れ替えですね」
「だな」
リセラが素早く奥へ足を進め窓を開けた。ふわりとカーテンの裾が舞う。
「次は食堂へと案内する。昼食を取ったあと街へ出よう」
街という単語にリセラがぴくりと反応した。好奇心が刺激された模様だ。王都に比べると小さいがいい街だと思う。彼女が気に入ってくれるといい。
「食堂は騎士たちの寄宿舎の隣にある。昼食は二種類のメインからどちらかを選べる」
「天井が高いですね」
「有事の際は病室や籠城にも使用される」
すでに十二時を回っていることもあり、食堂は騎士たちでごった返している。
細長い木のテーブルが縦に並べられており、着席した団員たちが談笑しながら皿の中身を攻略していく。
自由席ではあるが、何となく階級によって着席する場所は決まってくるというもの。代々の騎士団長が座るという奥の座席にリセラを案内し、配膳場所へ向かう。
「今日のメインは?」
「鶏と羊だよ、団長さん」
騎士団に勤めて早三十年という年かさの配膳係が答えた。いつもの口調だ。
「今日は新人もいるんだ。もう少し詳しく」
「鶏肉はハーブを散らしてこんがり焼いてあるよ。羊肉は干しブドウを加えたぶどう酒でじっくり煮込んである」
「ありがとう。リセラどちらにする?」
「うーん……。羊肉の煮込みにします」
「はいよ」
配膳係が手際よく皿に料理を盛りつける。付け合わせは潰した芋と酢漬けの葉野菜。それから茹でたほうれん草。
座席に戻る道すがら補足を入れる。
「あんな感じでぶっきらぼうだけど、質問をすればきちんと答えてくれるから」
「はい」
「男所帯なこともあって、強い口調の人間の方が多いんだ。最初は戸惑うことが多いかもしれないが……」
公爵家に仕える使用人ともなれば身のこなしも口調も洗練されていることは間違いないが、いかんせんここは騎士団の砦である。お上品さを優先させていては回るものも回らない。
仕事環境よりも生活環境で先に値を上げてしまうのでは、と今更ながらに気がついた。
「王宮魔術師団で働いている時にも色々な立場の人たちと接していましたから大丈夫です。そこまで箱入りでもないんですよ」
「それなら……いいんだが」
こちらの過剰な心配にリセラが微苦笑を浮かべる。
羊肉の煮込みを一口食べて咀嚼をする。
「美味しいです」
「口にあって良かった」
上流階級の食卓で出される料理に比べるとどうしても見劣りする。食事に躓くと退職理由にもなりかねないと懸念していたのだがこちらも大丈夫そうだ。
ちなみにレンフェルは少年時代から騎士見習いとして寄宿舎生活を始めたため粗食にも慣れている。否、必然的に慣れた。遠征では宮殿と同じ料理など出てこないのである。
料理に必要なのは塩だと早いうちから悟った次第だ。肉も魚も塩を振りかけて焼けばまあそれなりに美味しくなるのだから。
「前の職場では回復薬の生産が追いつかない時は、食事といえば手製の栄養ドリンクを飲むくらいで済ませていたので、食堂で食べることが新鮮です」
「……その食生活はどうなんだ?」
「わたしの作った栄養ドリンクはすごいんですよ。一日寝ないでも全然余裕です!」
「そこ、自慢するところじゃないだろう」
などと軽口を交わしながら昼食を食べた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます