第2話

「ごめん。勝手に、追いかけてきて……。見ず知らずの男がこんなところまで来て、普通に考えたら気持ち悪いな」


「いいえ。あなた様のことは存じております。隣国ハークウェルム王国の第四王子であられるレンフェル様でしょう」


 リセラがゆるゆると首を振る。

 落ち着きを纏ったその声は、彼女が公の顔になったことを暗示していた。


「あ……ああ。その通りだが」


「このたびは我が国の要望を叶え、騎士団を派遣くださりありがとうございます。殿下や騎士の皆様たちのおかげでウォリン王国の民たちの安全が守られました。こたびはその慰労を兼ねた場であのような醜態をお見せしてしまい申し訳ありませんでした」


「きみが謝ることではない。フィリップ王太子が始めたことだ。きみはいわば被害者だ」


「ですが、ハークウェルムの騎士方にお見苦しいものを見せてしまいましたし、今だってレンフェル殿下はわたしなんかのために気を遣ってくださって」

「俺の方こそ、きみに気を遣わせてしまっているが……」


 これでは堂々巡りだ。彼女に謝罪をさせたくて追いかけてきたわけではない。何か話題を変えよう。


「きみはフィリップ王太子の婚約者であると同時に王宮魔術師団に所属していたのか?」

「はい。といっても実戦部署ではなく、薬の研究開発を行っていまして。大きな成果を出すことができずに皆さん腫れ物に触れるような始末で……。お恥ずかしい限りです」


「どんな研究を行っていたんだ?」

「ええと、回復薬や外傷用の薬です。研究よりも製造の方が手が足りずに黙々と製造することの方が多かったですね」


「この国から提供される回復薬の効果はとても高かった。俺の部下たちも驚いていたよ」

「ありがとうございます」


 リセラが笑みを浮かべた。

 社交用のものではなく、感情が伴ったものと思った。あどけなさを残すそれが妙に心に焼きつく。


「わたしは国民のために戦ってくれる人々のために役に立ちたくて……。殿下が忙しさを理由に結婚の準備を進めないことを、心のどこかでありがたいと感じていたのです。そういう我儘な思いにフィリップ殿下も気がついていたのでしょう。今回の件は、仕方がありません」


「それはリセラ嬢を貶めていい理由にはならない。きみは、フィリップ王太子があの場で言ったようなこと、彼の隣にいた少女を虐めたりはしていなかったのだろう?」


 彼女が毅然と反論していたことを思い出したレンフェルは口にした。


「あれについては身に覚えがないと言いますか……。ただ、スザンネはわたしの妹なので、わたしが気付かないうちに傷つけていたことがあったのかもしれないと、冷静になった今、思い直してみたり……」


 先を促すと、スザンネは父の後妻が生んだ妹で、自由奔放な嫌いがあるため屋敷でたびたび彼女に礼儀作法の助言を行っていたとのことだ。


「叱り方については俺も考えるところがあるが……」

「難しい問題ですね」


 リセラが嘆息した。

 というか、フィリップは婚約者の妹に手を出していたのか。下種だな。と心中で吐き捨てた。


「これから、どうするんだ?」

「フィリップ殿下との婚約についてでしたら……、家同士の取り決めでしたので……」


 リセラは自分の心の中を整理するようにゆっくりと紡ぐ。


「いずれはこの御方と夫婦になるのだとは考えていましたが……」


 恋愛感情はなくても、彼女の中でフィリップは将来夫となる相手だったのだ。そう簡単に割り切れるものではないだろう。現に先ほど彼女の瞳には雫が溜まっていた。


「わたしが勝手に、フィリップ殿下と誠実な人生を歩みたいと考えていただけなのです。今は……突然の環境変化に正直何を考えていいのやら」

 リセラが微苦笑を浮かべた。


(当たり前か……。リセラ嬢にとっては何もかもが突然のことだもんな)


「ただ、王宮魔術師団をクビになったのは悲しかったです。薬師のお仕事はやりがいもあったので」

「だったらさ、うちに来ないか?」

 気がつくとそんなことを言っていた。


「うち?」


 リセラがこてんと首を横に傾ける。

 ええい。ここは勢いだ。レンフェルは一気にまくしたてた。


「そう。ハークウェルム王国の騎士団所属の薬師にならないか? ちょうどうちの薬師が退職して、後任を探していたところなんだ」

「騎士団付きの薬師を今ここで決めてしまっていいのですか?」


「もちろん。王宮魔術師団と比べたら騎士団付きの薬師は劣って見えるかもしれないが、人が少ない分きみの裁量で仕事は進められるから自由度は高い。何より現地調達の材料が多く手に入る。何しろ不可侵領域との境に騎士団の砦があるからな。あ、これはあまり魅力的なポイントじゃないか」


 最後のは人によっては危険度数が増すからと嫌がられる項目だ。


「せっかくの申し出なのですが、少し考えさせてもらってもいいでしょうか」

「もちろん。いきなり住む国を変える決断なんてできるはずもないもんな」

「過分な親切、とても嬉しかったです」

「俺たちはまだしばらくこの国に滞在しているから、興味が湧いたら訪ねてきてほしい」


 と、現在滞在する王都の館の名前を告げた。


 ここで強く勧誘すれば二心あるのではないかと疑われる。一度引き下がるのも度量のうちだ。


「俺は一度向こうへ戻るが、きみは?」

「わたしはもう少しここにいます」


 レンフェルは上着を脱いだ。

 これも気障な部類に入るよなあと思うが、夜風は冷えるのである。冷えは女性の大敵。姉がよく言っていた。


「肌寒くなったら遠慮なく使ってほしい」

「ありがとう……ございます」


 上着を手渡したレンフェルは今度こそバルコニーから立ち去った。

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