あそこの不動産でセクハラされた

上津英

ある春の日

「ねえねえ、あのエロ課長さ内見中のお客様の胸触ったんだって。最低すぎ!」

「聞いた聞いた! いつかやるかも……とは思ってたけど、本当にやるのは不味いよねー」


 とある不動産事務所の休憩室で、チェックでベストの制服を着た女性社員が2人盛り上がっていた。

 誰も居ない部屋だと言うのに、2人の声は仕事中の時よりもずっと小さい。客から貰ったクッキーを食べながらヒソヒソ話しているのは、セクハラで有名な課長が昨日起こした不祥事の事。

 愛媛から上京してきた18の少女の内見中、あろう事かその豊満な胸を触ったと言うのだ。


「ね〜。課長昨日さ、Z世代の子とは話が合わないんだよなぁ〜、とか言いながらさ。鼻の下伸ばして事務所出て行ったんだよ」

「うわっキモッ。あの被害者巨乳だったから、絶対楽しみで仕方無かったんだろうね。あいつ胸好きだもん。無いわ〜!」

「無いよねー! 昨日3月なのに夏日で暑かったでしょ? 何時もよりみんな薄着だったから、余計ムラっと来たんだろうな。そのJD半日後とは言えちゃんと被害を訴えて偉いわあ、如何にもなリケジョで気弱そうな大人しい子だったのに……勇気必要だっただろうねえ」


 2人の話は盛り上がる一方。

 仲が良いこの2人は最寄り駅が同じなので、課長の愚痴を言いながら一緒に歩いて帰宅する事が多い。


「セクハラは誰だって嫌だもん。課長、無実だ! やってない! とか否認してるみたいだけど……あのJD内見中の会話を録音してたみたいでさ」

「あ〜後で説明聞き返す為に録音する子多いもんね、最近。それが決め手になったのね」

「そうそう。止めてください! って言ってる音声データをJDが夜に出して来て、結局言い逃れ出来なくて。社長と一緒に頭下げて示談で抑えて貰うそうよ。あそこの不動産でセクハラされた、なんて噂になったら終わりだから社長はカンカン。ふんっ、ざまあみろだわ!」

「本当。あのセクハラ親父このまま辞めちゃえば良いのに……証拠があるのにまだ否定してるとかサイテー! あーっランチまで頑張ろっと」


 クッキーを食べ終えた2人は、休憩は終わったとばかりにそこで伸びをした。

 愚痴を吐いたおかげでリフレッシュ出来た気がする。この後も頑張れそうだ。


***


「では失礼します。この度は本当に申し訳ありませんでした。ほらっ君も謝って!」

「だから私は本当にやってないんですって!」


 入居先が決まるまで住んでいるビジネスホテルの誰も居ないラウンジで、スーツを着た男性が深々と頭を下げた。

 隣に居た件のセクハラ課長は「自分はやっていないのに」と不服そうに唇を尖らせながら、一向にお辞儀をしない。


「良いから!」


 それを見た社長がグイッとセクハラ課長の頭を押して強制的に礼をさせた後、2人は静かなラウンジから出て行く。セクハラ課長は最後までこちらを睨んでいた。


「…………」


 背広姿を見送った女子大学生はふううと安堵の息を吐く。

 テーブルの上に置かれた封筒──入っていた50万はあのセクハラ課長の給料から1年間引かれるらしい──を見て、ふと頬を綻ばせる。


 良かった、上手く騙せた。

 物件の内見中にセクハラされた、なんて嘘。これは本当は示談金目的の詐欺だ。

 あそこの不動産でセクハラされた、という悪評は何処の不動産も流されたくない。だから絶対に示談で終わらせようとする、と踏んでの事。

 養護施設を出て上京した自分は、どうやって金を工面するか最近まで悩んでいた。体力に自信が無く、持続的にアルバイトが出来る気がしなかったのだ。


 そんな時、OL2人組が「自分達の不動産会社に居るセクハラ課長の愚痴」を延々と話しながら帰っていた場面に遭遇し──その後ろを歩きながら閃いてしまった。

 このセクハラ課長から詐欺を働けば良いのでは? と。

 生まれた時からデジタルに囲まれて育ってきた自分には、OL達のちょっとした話から不動産を特定するのは朝飯前だった。不動産が分かれば、噂の課長もすぐに分かった。


 それに内見中、本当は胸だって触らせていない。

 録音していたのは本当だが、それは声質収集と真実味を持たせる為の演技。

 そもそも、ハッキリと証拠になりそうな部分を録音するのは難しい。不動産に提出した音声データは、生成AIで上手い具合に作った物。

 自分は内見後から夜まで泣いていた訳じゃなく、生成AIと向き合っていたのだ。だから半日後に証拠を提出した。

 セクハラ課長は元々信用のない昭和の人間。理不尽だ冤罪だと喚き散らしたところで誰も信じないし、自分が生成AIで嵌められた事を説明出来ないだろう。


「……私もお金が要るの。でもおじさんも悪いからね!」


 罪悪感を誤魔化すように女子大学生は呟き、次はどうやってお金を騙し取ろうか考えながら部屋へと戻って行った。

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