第9話「特別」

 *


 写転類衣にとって、核田里帆という存在は特別な存在であった。


 共に名の知れた人間として意識せざるを得なかったことは勿論、彼らは幼少期に同じ施設で訓練を受けていた。


 人間の限界へと到達させる研究の実験対象として、数百人の孤児が選択され、その内の生き残った2人が、核田里帆と写転類衣であった。


 核田は常に一番の成績を叩きだし、写転がその地位に立つことはなかった。


 ただ――写転が抱いた感情は、嫉妬ではなかった。


 そもそも両親から虐待を受けて育ってきた写転には、その程度の劣等感は毎日飲まされた泥のような味噌汁よりも舌触りの良い味をしていた。


 ならば何を思ったのか――憧憬や羨望とは、やはり異なる。


 顔色一つ変えずに実験を越え、何にも折れず曲がりもしない彼女に対して――写転が何を思っていたのか。


 ――まあ、それを思ったら、終わりな気がするな。


 最終戦考で再会するまで、写転はその感情に、特定の解答をすることを控えていた。


 そして今――大学卒業の資格を取り、かつて■■れた存在の隣にいる。それが写転にとっての、未来への動機であった。


 謙虚に――しかし彼女の戦うのは自分だと言わんばかりに、核田の後に続いていた。


 その疾駆を止める存在が、一つ。


「ッ!」


 突如目の前に出現したは、


「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ゥ!!!」


 と意味不明な咆哮ほうこうを発して、核田を蹴り飛ばした。


 人間を超えた反射神経を持つ彼女を蹴り飛ばすことのできる対象が、まさかこの世存在するとは思わず写転は一瞬、取り乱した。


 その瞬間を、怪物は逃さなかった。


「■!」


 と。


 手刀が、彼の脇腹を直撃した。 

 

 二人ともほとんど同時の強襲により、六秒程勢いのまま飛翔した挙句、ビルへと突っ込んだ。


「り、里帆さんっ! 大丈夫ですか」


「問題ない。にしても、彼奴あやつは誰だ」


「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■――と、と、と、と危ないな。やあ、こんにちは、おはよう、こんばんは」


 反対側のビルの頂上に、その男は存在していた。核田にも写転にも顔の見たことのない、中性的な男であった。顔の半分が動いておらず、顔の半分だけが笑っていて――もう片方は涙を流している。少なくとも、常人とは言えなかった。


「誰だ――貴様」


「誰だとは誰だよ。なんてねえ。■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■。僕かい? 僕は柴発生。戦考番号8番だよ。そ、そ、そ、そ、そ、それにしたって酷い言い草だ。まるで僕が存在していないみたいなこと、酷い、あんまりだ、ねえ。そうだよね?」


 言葉が通じているのかも怪しいが、彼も戦考番号を有しているということが分かった。


 戦考番号8番――柴発生。


「8番――いや、おかしいですよ、里帆さん」


 手に付けられた時計型観測機を確認しながら言う。


「戦考番号8番は、既に刮岡さんによって殺害されているはずです。『子』のポイントは譲渡されているし、欠番になっています」


「何?」


 核田であっても、流石にその情報には耳を疑った。企業側によって完全に管理されている――特に『鬼』形式の場合は、厳格な管理が徹底されている。そんな齟齬そごがあれば、企業側の責任として糾弾されてもおかしくはない。


「どういうことだ。こいつは既に死んでいるということか」


 どう見ても、生きているようにしか見えない。


「おかしい? おかしいねえ、そうだねえ、やっぱりそう思うよね。うんうん、僕もそう思うんだ。おかしい? そうだね。僕は既に資格を失ってるんだ」


 そう言って、観測機の画面を見せる。

 

 『鬼』ルール終了まで、外せば即失格となるそれを外し、『失格:死亡』という明朝体表記が、大々的に表示されていた。


「貴様、何をした」


「何も。ただ、? 『鬼』形式のルールでは対応していないってことじゃないの? 心臓を止めて仮死状態を作るなんて、簡単なのにね」


「………分からないな。貴様はもう、参加資格を剥奪されているということだろう」


 核田は、臨戦態勢を取りながら尋ねた。


 発狂者の言動を真に受けるのも馬鹿馬鹿しいが、心臓は不随意筋である。


 それをどうこうできるのなら――相当の使い手であることに間違いはない。


「どうしてまだここに残っている、そうして殺し合う意義は、何だ」


「意義、意義かあ。難しい話だね、それは」


 柴は眼球を目まぐるしく動かしながら答えた。そしてビタリと止まって。


「強いて挙げるとするのなら、自己主張だね、ホラ最近はポリコレ的世界観が世の中を席巻しているじゃないどうしたって一人の個性より大勢の自然を優先する時代だだからこそ僕は自分という個を主張主張主張主張するためにこの場所を選んだという訳だよ分かるかな難しい話をしているからひょっとすると分からないかも知れない今日の空は青くないから僕も分からないんだ、ただね、でもね、それでもね、僕は自分を認めて欲しい見て欲しいだけなのかもしれない分かってくれるよね、受け入れてくれるよね、だって多様性なんだからだからだからだからだからだからだからだからだからだからだからだからだからだからだからだからだからだからだからだからだからだからだからだからだからだからだからだからだからだからだからだからだからだからだからだからだからだからだからだからだからだからだからだからだからだからだからだからだから■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■!!!!!」


 柴発生は、発狂して向かってきた。


 彼についての事前情報はどこにも存在していない。


 柴発生。


 


 企業がなぜ最終戦考に残したのかは全く分からない。企業側の意図が、就活生に伝わることはないのである。


 ただ、想定不可能――それだけで最終戦考に残って男。


 彼の固有能力、『責任癲癇バックパサー』。


 発狂することにより、人間の限界を超越することが可能となるのである。


 だから。


 内定候補である核田の反応可能速度よりも早く――柴が応戦することもまた。


 至極当然の結果なのだった。


「!!」


「危ないッ!」


 勿論、核田に反応が不可能であるということは、その下位互換たる写転にも同様に不可能である。


 ただしそれは。


 己の身体を犠牲にして守るという本来あり得ない行為を除いた場合の話だが。




 写転の右手が吹き飛び、宙を舞った。




(続)

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