第5話「綽々」

「そういう、貴方はあ――亜白間さんですねえ。亜白間街さん。有名人と、会っちゃったあ」


 超有名人である亜白間にとって、把握されていることは大した問題ではなかった。


「色々ときたいことがあるね。どうしてそこまで無防備なんだい」


「無防備? そうですかあ、ちゃんとブラとか、付けてきたんですけれど」


 ぽっと顔を赤くした。


 どうも会話が噛み合わない。


「そういう意味じゃない。こんな目立つ場所に立って――何をしているんだい」


「何ってえ、獲物を、待ってるんですよお」


「そうか」


「そうですよう」


 ゆらゆらと揺れながら、細井は亜白間からの言葉に応答する。


「逆に君が狩られる側に回るとは――思わなかった」


 わけだ。


 と、その先を言う必要は無かった。


 戦考時にドアをノックする速度よりも早く、剣道の歩法でもって一瞬で距離を詰めた。


 細井は驚嘆するものの、しかし常人に反応できる速度ではない。


 この初撃を避けたのは、人類で核田里帆くらいのものである。


 人間の限界を越える動きを、常に最適の可動域で割り出す。


 それこそが――亜白間の亜白間たる由縁、真骨頂なのだった。


 が。


――」


 肺に入った息が、一瞬にして


 この後繰り出すはずの手刀も、足刀も、それだけで全て封じられてしまった。


 身体中から熱い汗が吹き出し、視界が曇った。


 そのまま動くことができずに、無様にコンクリイトに身体を打ち付けた。


 受け身を取ることもままならなかったので、一瞬意識が飛んだ。


「な――な、な、な、が、が、が、」


 何を――と言おうとしたけれど、まともに口が動かなかった。


「何っていうと難しいですけど、そうですね。一撃必殺ってとこですかねえ」


 緩慢な口調で、細井は続けた。


「核田さんも、貴方も確かに強いです。特に貴方の方は、気配を察知、簡単な未来予測まで出来てしまう。本当に強い、強くて強くて、うらやましい限りですよう」


 噛み締めるように、細井は言った。


「それでも、身体の方は人間のそれに準拠していますよう。


「…………!」


、毒物を散布させてもらいましたよう。慣れていないと身体がしびれて動かなくなります。一息でも効くのでもう十二分でしょうねえ。ああ、安心して下さいねえ、もしここで死ななくとも――ちゃんと致死性の毒ですから。苦しんでゆっくり死ねますよう」


 いや、その毒があることそのものは、食らった瞬間に理解していた。


 亜白間が驚いたのは、使われたのが致死性の毒だということである。


 薬品を、直接投与を除いて相手をおとしめる毒ということは、周囲に相当濃度の高い毒の結界を張る必要がある。


 毒使いの一番の欠点であり難点は、いかに対象毒を付与させるか、ということ。


 強力な毒を使用すればするほどに、細谷自身にも被害が及ぶ可能性が高くなる――のだが。


「ば――莫迦ばか、な、どうして」


「わたしですか? あはは、毒の耐性なんてありませんよう。ただ、毒の進行を遅らす薬を投薬済みですから、わたしがしぬのは、少し先ですよう」


 と、言った。


 やはりそれも、亜白間を驚嘆させるには十分すぎた。


 この戦いの目的は当企業への就職にある。そんなことをしたら、たとえ内定を取ることができても――ぐに死んでしまう。


 捨て身の攻撃をする意味がないのである。


 にもかかわわらず――細井ゲノムは


 理解の範疇はんちゅうの外であった。


――ですよう」


 変わらぬ口調で、細井は言った。


 狂気であった。


 いや、本気度が違った。


 既に記念受験のようなノリで受けた亜白間は、この場所にお呼びではなかった。文字通り命懸けで彼らは就活戦争に参加している。


 そうでない者は、こうして足蹴にされてもおかしくはないのだ。


「ここが第一志望でないから、そんなことが言えるんですよう。命を懸けて就活に臨まない奴は、ここで死ぬのがお似合いですよう」


 意識が朦朧ぼんやりとする中で、亜白間は最後にそんな台詞を聞いた。


 世界観が違えば英雄にでもなっていた彼の最後の言葉は、その辺の負け犬よりも負け犬な、一言であったという。


 ――この俺が。


 ――こんなところで。



 *



 戦考番号6番/しろがい


 研究の男性。内定者筆頭候補の一人。「人間の肉体の限界」を超えるサンプル集めのために、今回の内定に参加する。勿論実験体は自分であり、度重なる肉体増強、精神増強を行っている。「個人的能力と精神の関連性」に注目し、強さの神髄が「心の強さ」にあることに気付いていた。ただしサンプル回収をしに来た奴と、死ぬ気で内定を取ろうとした奴のどちらの心が強いかは、言うまでもないことである。本来は研究畑の人間であり、対人で喋ることはあまり得意ではない。一次戦考で自分は落ちると思っていた。意外と自己評価は低めなのである。婚約者がいる。


落戦しぼう


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