第3話
立花の家に行った日から三日後の夕方、スマホが着信音を発した。あれからずっと待っていた立花からの連絡だった。
『お姉ちゃんが会ってもいいって。次の日曜日、十時に駅前の喫茶店』
立花からのメッセージは要件だけの素っ気ないものだった。しかしそんなことは重要じゃない。もうすぐ桐子さんに会える。会えたらまず何を話そう。何を聞こう。メッセージが来てからそんなことばかり考え続け、そして約束の日になった。
その喫茶店に着いたのは待ち合わせ時間の五分前だった。僕はお店の入り口の前で何度も大きく深呼吸して扉を押した。
中に入って辺りを見回していると、こっちに手を振る人影が見えた。立花だった。その隣にもう一人の姿も見える。間違いない。桐子さんだ。
「おはよう坂東くん。時間ギリギリだよ」
席に近寄ると立花が声をかけてきた。
「おはよう立花。それと、お久しぶりです。桐子さん」
僕が挨拶すると、桐子さんはタバコを持った手をひらひらと振った。
「久しぶり、直仁くん。大きくなったね」
「とりあえず座ったら?坂東くん」
立花に促されて僕も席に着く。前日まで考えていた話はすっかり頭から吹き飛んでいた。
「直仁くん、私に会いたかったんだって?」
切り出したのは桐子さんだった。
「はい、桐子さんがどうしてあの日あそこにいたのか聞きたくて」
「お母さんやおばあちゃんには聞かなかったの?」
「僕には関係のないことだって、教えてくれませんでした」
僕の返事を聞いて桐子さんはタバコをくわえてから大きく息を吸って吐いた。僕と桐子さんの間の空間が白く煙った。
「そう。まぁそうだよね。言っとくけど、全然楽しい話じゃないよ」
そう断りを入れてから桐子さんは話し始めた。
「美里も聞きたがってたよね。私とお母さんの昔のこと。今日ここに一緒にいてもらってるのも、あんまり何度もしたい話じゃないからなんだ」
急に話を振られた立花も神妙な面持ちになる。
「私のお父さん、直仁くんのおじいちゃんなんだ。つまり、私は直仁くんのおばさんにあたるわけ」
桐子さんがなんでもないことのように言ったその言葉の意味が最初理解できなかった。
「私のお母さんはね、直仁くんのおじいちゃんの愛人だったんだ。二人とももう中学生だし、その意味とか分かるよね。愛人って言っても、あの人はお母さんのことも私のこともとても大事にしてくれてた。状況が変わったのは私たちのことが奥さんにばれた時だった。直仁くんのおばあちゃんだね。突然すごい剣幕でうちに来て、あれはホント怖かったな。それから私たちとあの人との縁は切れた」
「そんなのひどい!」
声を上げたのは立花だった。僕も言葉にしないだけで同じことを思った。
「ひどくなんかない。ひどい人がいたとしたら、それはきっとあの人。私のお父さんの方だろうね」
「お姉ちゃん!なんでそんな二人の仲を引き裂いた人のことなんかかばうの!?」
立花の声にはかなり熱がこもっている。対して桐子さんは落ち着き払っていた。
「美里。あんたがそう思うのはあんたが『私の側』だからだよ。『奥さんの側』から考えてみればわかる。お母さんは奥さんから夫を奪った人で、あの人はずっと奥さんのことを裏切り続けてたんだよ。怒らない方がおかしいでしょ」
「でも……!」
「おじいちゃんが死んだこと、誰に聞いたんですか?」
まだ何か言いたげな立花を横目に、僕は桐子さんに聞いたかったことの一つを切り出した。
「直仁くんのおじいちゃん、亡くなる前に入院してたでしょ。その頃うちにあの人から手紙が届いたんだ。自分はもう長くないらしいから、死ぬ前にまた私たちに会いたい、みたいなことが書かれてた」
「会いに、行ったんですか?」
「こっそり私だけね。お母さんは行かなかった。ここで会いに行ったらそれこそ奥さんにあわせる顔がないって言って」
「お母さん……」
話を聞いているうちに立花はどんどん涙目になっていた。
「何年かぶりに会ったあの人はすっかり痩せてて、ビックリしたな。その時にスマホの連絡先を交換したんだ。あの人は毎日メールするって言ってた。メールが来なくなったらその時はそういうことだ、とも」
「それであの日、母の実家に行ったんですね」
桐子さんはこくりと頷いた。
「直仁くんにあげたあのライター、お母さんがあの人に贈ったものなんだ。奥さんに関係がばれた時に突っ返されたんだって。だからせめて仏壇にって思ったんだけど、奥さんが家に上がらせてもくれなくてさ。で、たまたまコンビニの場所を聞いた直仁くんがついてきたみたいだったから、もういっかー、って。ごめんね、そんな程度の理由だったんだ」
事の真相はあっけないものだった。僕はその中の端役でしかなかった。
「どう?直仁くん。がっかりしたよね」
「ショックがないと言えば嘘になります。でも、本当の事が知れて良かったとも思ってます」
僕の言葉を聞くと桐子さんは微笑んだ。
「直仁くんはいい子だね」
そう言って手に持っていたタバコを灰皿に押し付けて、
「話はこれで終わり。じゃあね、直仁くん。もう会うこともないでしょ」
と席を立とうとした。
「ちょっと待ってください」
「なに?もう用事は終わったと思うんだけど」
「今からおじいちゃんのお墓に行きましょう」
桐子さんの目が丸くなる。
「なんで?」
「桐子さんはおじいちゃんの子どもなんですよね。だったらお墓参りぐらいするべきです」
「そうだよ!きっとその方がお姉ちゃんの本当のお父さんも喜ぶよ!」
僕の提案に立花が賛同する。僕ら二人の眼差しを受けて桐子さんは何か言いかけたようだったが、
「分かった。それじゃ行こうか」
と首を縦に振った。
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