第2話

 時が経ち、僕は中学生になった。元々興味のあった美術部に入部し、絵の練習に明け暮れる日々を送っていた。

 そんなある日のこと。画材を買いに隣町の文房具店に行った帰り道、たまたま出くわした同級生に声をかけられた。同じ美術部の部員でもある立花美里だった。

「あれ、坂東くんだ。家この辺だったっけ」

「うちはこっちじゃないよ。画材の買い出し」

「そうなんだ。もしかして、向こうの角のお店?」

「うん。あそこ品揃えがいいから」

「分かる分かる。取り寄せもしてくれるしね」

 立花はうんうんと頷いている。そして何か思い付いたように急に顔を近づけて言った。

「ところで坂東くん。もし良かったら今からうちに来ない?制作中の絵があるんだけど行き詰まっちゃってて。アドバイスが欲しいんだ」

「別にかまわないよ。あんまり遅くなるとまずいけど」

「大丈夫。ここからすぐだから」

 案内された立花の家は本当にすぐ近くの大きなマンションだった。ロビーを通りエレベーターに乗り込み、6階に上がる。

「散らかってるけど、ごめんね」

 そう言う立花に先導されて玄関のドアをくぐると、確かに生活感のある空間が広がっていた。しかし、それ以上に僕が気になったのは、

「このにおい、タバコ……?」

 そう、部屋のそこかしこからタバコのにおいが漂っていた。それはいつかコンビニの前で桐子さんが吸っていたタバコと同じにおいだった。

「あ!もしかして坂東くん、タバコ駄目な人?」

「え、いや、そうじゃない。大丈夫だよ」

 僕が返事をすると立花はほっと胸をなでおろした。

「良かったー。うち家族みんなタバコ吸うから、におい取れないんだよね」

「……このにおいのタバコって、有名なの?」

 立花は一瞬きょとんとした顔になった。僕からそんな質問が来るとは思わなかったのだろう。

「え、どうだろ?分からないけど……。そうだ!持ってきてあげる。私の部屋、廊下の左側だから先に行ってて」

 立花はそう言って別の部屋に入っていった。僕は言われた通りに立花の部屋に向かった。

 女子の部屋に入るのはこれが初めてで、扉の前まで来ると急に緊張し始めた。

「どうしたの?部屋の前で固まって」

 立花はすぐに追いついてきた。その手にはタバコの箱が握られている。

「はいコレ。お母さんの部屋から借りてきたよ。お母さんもお父さんもずっとこの銘柄吸ってるんだって」

 そう言って見せてくれた箱には黒地に白い文字で商品名や喫煙についての注意が書かれていた。タバコの箱をちゃんと見たのは初めてだった。

「ねぇ、いつまで見てるの?見てほしいのはタバコじゃなくて絵なんだけどな」

 タバコの箱をじっくり見ていると、じれったそうに立花はタバコの箱をさっと隠してしまった。

「あぁ、ごめん。絵はこの部屋にあるんだよね」

「うん。率直な意見をお願いね」

 目の前の扉を開けて立花の部屋に入る。女の子らしい部屋で、タバコのにおいもここまでは届いていなかった。

「これなんだけどね」

 立花が見せてくれた絵は確かにまだ制作途中といった人物画だった。でも、僕には分かった。この絵のモデル、この絵に描かれている人物は……、

「これ、桐子さん?」

 僕の呟きを聞いて、立花が驚いた表情になった。

「坂東くん、お姉ちゃんのこと知ってるの?」

「お姉ちゃん?桐子さんが立花のお姉さんなの?」

「そうだよ。血はつながってないけど」

 それから立花は教えてくれた。

「私のお母さん、結婚する前はシングルマザーだったの。詳しいことは聞いたことないけど。お母さんもお姉ちゃんもその頃の事あんまり話したがらないから」

「ここで待ってれば桐子さんに会えるかな?」

 その問いかけに立花は首を横に振った。

「お姉ちゃん、今は一人暮らししてる。たまに帰ってくるけど、いつかは分かんないな」

「連絡とかできないの?」

 立花は大きく息を吐いた。

「坂東くん、ホントにどうしたの?うち来てから変だよ?どうしてそんなにお姉ちゃんが気になるの?って言うかどうしてお姉ちゃんのこと知ってるの?」

 立花の疑問はもっともだった。僕はズボンのポケットからあのライターを取り出して見せた。

「数年前のおじいちゃんの葬式の日、お母さんの実家に桐子さんがいたんだ。ひどくおばあちゃんに怒鳴られてた。その後話をした時にこのライターをくれたんだ」

 立花がはっと息をのむ。このライターを知っているようだった。

「それ、お母さんがなくしたって言ってたライター……。お姉ちゃんが持ち出してたんだ」

「立花。僕は桐子さんにもう一度会いたいんだ」

「会ってどうするの?」

「聞きたいことがたくさんあるから……。いや、違う。きっと忘れられないからだ」

 そうだ。僕は忘れられないんだ。ひどい言葉を浴びせられた後でもタバコをくわえてまっすぐ前を見ていたあの姿を。

「それって、お姉ちゃんを好きってこと?」

「どうだろう。分からない。でも、あの時の桐子さんの姿はずっと僕の中に残ってる」

 それを聞いて、立花はやれやれといった様子で、

「もういい。好きにすれば。お姉ちゃんには私から連絡する。結果は教えるから、坂東くんの連絡先教えて」

 そうして僕は立花に連絡先を教えてから帰路についた。結局絵の話は全然しなかった。

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