あの日のライター
石野二番
第1話
母方の祖父の葬式が終わった後、母の実家で僕は初めてその女性に出会った。
その人は庭の真ん中で祖母にひどく叱責されていた。よく顔を見せられたものだ、とかそんなようなことを祖母はわめき散らしていて、その人はその言葉に反論することもなく黙ってその身に浴びていた。
「お母さん、あの人は誰?どうしてあんなにおばあちゃんに怒られているの?」
僕が尋ねると、母は渋い顔をして、
「
とだけ答えて台所に引っ込んでしまった。
女性と祖母のいた方に向き直ると、祖母はもういなくなっていて女性だけが残されていた。女性は庭の隅に行くと何かをポケットから取り出した。それはライターとタバコだった。
タバコに火を点けようとすると、台所から見ていたのだろう、母の声が飛んできた。
「うちでタバコなんて吸わないでちょうだい!」
明らかに怒気を含んだ声を聞いて、女性はその手を止めた。辺りを見回して、そこで僕と目が合った。こちらに歩いてくる。僕の目の前でしゃがんだその人は視線を合わせて、
「ねぇ、この辺にコンビニない?」
と僕に聞いた。女性にしては少し低い、でもきれいな声だった。
コンビニの場所を教えると、女性は母の実家を出ていった。僕はその人のことが気になって、母にお菓子を買いに行ってくると嘘をついてその後を追いかけた。
母の実家から最寄りのコンビニまでは僕の足でも十分もかからない。そのコンビニの店舗の前、灰皿のそばに彼女はいた。気だるげにタバコを吸っている。
僕が近付くと、その人は、
「タバコの煙は身体に悪いよ」
と言った。
「君、何年生?」
「小学四年生」
「育ちざかりってやつじゃん。なおさら駄目だよ」
「お姉さん、誰?なんでおばあちゃんに怒られてたの?」
僕の問いにその人は、
「なんでだろうね」
とはぐらかすように答えた。
「悪いことしたの?」
「そうかもね。きっと、私がいるって、それだけで我慢ならないんだろうね」
「何それ」
「私、
「坂東直仁」
「直仁くん。君もう帰った方がいいよ。じゃないと今度は君が怒られちゃうよ」
「いいよ。あそこにいてもつまんないし」
僕の答えを聞いて、桐子さんは笑った。
「私とおんなじだね」
そう言うと僕から視線を外してタバコの続きを吸い始めた。まっすぐ前を向いてタバコをくわえているその姿が僕にはとても印象的だった。
隣でタバコを吸う桐子さんを見ていると、ズボンのポケットでスマホが鳴った。画面を見ると、母からの着信だった。
「もしもし」
『直仁、あなたまだコンビニにいるの?もうすぐ帰るから、戻ってきなさい』
「うん、わかった」
通話を切ると、桐子さんがこっちを見ていた。
「スマホ、もう持ってるんだ」
「うん。十歳になったから」
「イマドキだね。……そうだ、君にこれをあげよう。手出して」
言われるがままに手を出すと、桐子さんはその手に自分のライターを握らせた。
「お近づきのしるしに。誰かに言ったり見せちゃダメだよ。怒られちゃうから、私が」
そのライターはずっしりしていて、外側にきれいな装飾がされていた。見る角度で反射する光の色が変わって見える。
「ありがとう、桐子さん」
「いえいえ。さ、もう行きな。親が待ってるんでしょ」
それから桐子さんに言われるままに僕は母の実家に戻った。父と母は車の前で待っていた。
「あなた、何してたの?お菓子買ってくるんじゃなかったの?それになんだかタバコ臭いわよ」
母は訝しげに言ったが、僕は適当に誤魔化して車の後部座席に乗った。帰りの道中、ポケットの中の桐子さんのライターが放つ存在感にずっとドキドキしていた。
うちに帰ってから桐子さんにもらったライターについてネットで調べてみた。どうやらジッポーライターというようだ。そして外側の装飾は螺鈿と呼ばれるものらしい。確かにこのライターの光り方は貝殻の裏側と同じだった。
桐子さんは何者なのか、どうして初めて会った僕にこのライターをくれたのか、頭の中をたくさんのハテナマークが満たしていったが、一人で考えていても答えが出るはずもなかった。ただ一つはっきりしているのは、もう一度桐子さんに会いたいというほのかな思いだけだった。
それから何度か母の実家に行く機会があり、その度に会えることを期待していたのだけど、残念ながら桐子さんが姿を見せることはなかった。
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