色無地と江戸小紋

増田朋美

色無地と江戸小紋

その日も雨が降って寒い日であった。まだまだ春になるのは遠いなあと思われる、日本である。なかなか春にならないなと思いながらも少しずつ春になっていくのを楽しもうと言うのが、古典的な考え方であるが、最近ではそうでもない人も増えているようだ。直ぐに結論を急いでしまう人が、日本でも増えてきているらしい。日本人は、のんびりしていて、なかなか結論を出さない民族であるはずなのに?

その日、杉ちゃんとジョチさんが、増田カールさんの経営しているリサイクルきものショップ、増田呉服店を訪れたところ、そこには一人先客がいた。なんでも、まだ、20代そこそこで、着物というものはほとんど知らないだろうなと思われる女性だった。

「だから、本尊さんの前で羽二重は着てはいけませんよ。それは、古典文学の本にも書いてあるじゃありませんか。それを破ったら、日本人のルールを破ることになります。なので、羽二重ではなくて他の着物を買ってください。」

カールさんが困った顔をしてその女性にそう言っている。

「こんにちは、カールさん。またなんか困ったことがあったのか?」

杉ちゃんが、カールさんに聞くと、

「こちらの女性なんですけどね。羽二重の着物で写経会にいくというので、それではまずいということをお伝えしたいんですけどね。どうしても、この柄がいいんだと言って、全然聞いてくれないんですよ。」

と、カールさんは女性を困った顔で見た。

「はあ、お前さんの名前は?そして、お前さんは何歳だ?」

杉ちゃんが女性に聞くと、

「赤城祥子、年は、23歳です。」

と女性は答えた。

「赤木祥子さんね。それで、職業は?」

杉ちゃんが聞くと、

「働いていないです。大学を出たんですけど、就職決まっていたところが、破産してしまって就職できなかったんです。」

と、彼女は答えた。

「それでどうしてお写経に興味持ったりしたんですか?」

ジョチさんが聞くと、

「はい。それで、私、ひどい鬱になってしまって、それで世の中から必要ないと思ってしまったんですよ。だから、そういう世俗を超越したというか、そういう世界に興味を持つようになりまして。それで、お写経とか、参加してみたいと思ったんです。」

と、彼女は答えた。

「どこのお寺で開かれる写経会ですかね?」

ジョチさんがまた聞くと、

「はい。島上寺です。来週、開催されることになっています。それで今までの私とはちょっと違うという意味で着物を着ていこうと思ったんですけど。それで気に入った着物を着たいと思ったんですが、、、。」

彼女はそう答えるのであった。

「ああわかりました。ちなみに、そこのお寺の檀家さんとか、そういう感じの方なのですか?そういうことなら、ある程度、住職さんから、聞くこともできると思いますが。」

「そういうことじゃないんです。ただウェブサイトで、募集していたのでそれに応募してみようと思いまして。」

ジョチさんの問いかけに彼女は答える。

「島上寺か。それなら、確かあそこは、曹洞宗かどっかのお寺だったよな?お前さん、古典の本とか読んだことはあるか?例えば、古典の正法眼蔵とか。そこら辺に、曹洞宗の信徒がしなければ行けないこと、つまり、これを戒律と言うんだが、それがしっかり書いてあるからさ、それを、守って寺にいったほうが良いと思うよ。」

と、杉ちゃんは言った。

「それに、曹洞宗というのは、教えが比較的わかりやすいという鎌倉仏教の中でも、最も戒律が厳しい分野だと聞いてます。それを守っている人も多いわけですから、そういう人が集まるようなお寺では、やはり羽二重の着用はまずいのではないですか?」

と、ジョチさんが杉ちゃんの話を続けた。

「そうなんですか。結局、宗教ってやっぱり多かれ少なかれそういうことあるんですね。なになにのときにはなになにをしてはいけないとか。そういうのを強制させないで、本当に教えてもらうことって言うのは、できないんでしょうかね。」

祥子さんは、杉ちゃんにそういった。

「そうだねえ。戒律を守らないで、ご利益だけもらおうっていうのは、ずるい心だぜ。もし、本当に、仏様のお話を聞きたいのであれば、多かれ少なかれしなくちゃならないことはあると思うよ。そういうわけだからさ、一度正法眼蔵とか読んで、それっから写経会に参加してみたらどうなの?そうすれば、着物だって、ちゃんと、羽二重はやめようって言う気持ちになると思うんだけど。」

杉ちゃんがそう言うと、祥子さんは、大変がっかりしたような感じの顔をした。

「なんですか、そういうことはやっぱり伝統宗教でもあるんですね。そういうくだらないことを守らせるってことは、どこでもあるんですか。それでは、本当に私の事を、聞いてくれるということは無いってことでしょうか?」

「なんですかじゃないよ。そういうふうに簡単に救いを求めるようなもんじゃないんだよ。正法眼蔵にもあるけど、元々ね、お写経とか、そういうものは、自分で悟りを開いて、なんとかしようという気持ちを得るためにするもので、誰かに助けてもらいたいとか、そういうものじゃないんだよ。それに、仏教を習いに行くってことは、誰かに助けを求めようとかそういうことでは無いんだよね。自分の悪いところばっかり見えてくるのが仏教ということだって、僕は、庵主様に習ったことがあるよ。」

杉ちゃんがそう言うと、祥子さんは、そうなんですかと小さな声で言った。

「でも、そういうふうに、なんとかしようという気持ちを持ち始めたことから、何かが変わり始めていると思います。多分、写経会に言っても、人生が変わるとか、そういうことは無いと思いますが、それでも、なにか変われることは、あるのではないかと思いますから、ぜひ、参加してみると良いと思いますよ。」

ジョチさんは、そう彼女に言った。

「そういうわけですから、羽二重で写経会に行くのはやめたほうが良いと思います。例えば、仏教のお葬式であれば、赤い服を着ていく人はいないですよね。黒い服でいきますよね。それと同じことで、写経会も仏教の行事ですから、羽二重の着物を着ては行けないのだと言うことですよ。だから、今回は、可愛い着物を着たいという気持ちは、ちょっと我慢して、写経会にふさわしい着物を着て行ったほうが良いと思いますよ。」

「そうですか。わかりました。そうか、なにかヒントが貰えるかなと思ったんですけど、そういうことではないんですね。このお着物、とてもかわいいと思ったんですけど、それでは、この着物の何が行けないのか教えてください。」

祥子さんはジョチさんの説明を聞いて、少し表情を変えてそう聞いた。

「ええとねえ。まず初めに羽二重は、ツルンとしていて、弱い光に当てても光ります。これが行けないんです。何故かといいますと、如来さんや菩薩さんなどの本尊さんは、みんな光り輝く着物を着ていますよね。それに、人間が勝っては行けないということです。羽二重は、光絹と言って、光る生地として重宝されてきましたけど、それは仏様の前では着用してはいけないということになっています。なので、羽二重のような光る生地は、本尊さんの前で着用するのはやめたほうが良いです。島上寺の本尊さんは、美しいお顔をされていることで、有名ですからね。」

カールさんは、一生懸命着物にまつわる説明をした。そういうことは、昔の日本人であれば、親が教えていくものだ。あるいは、文献などでも書いてくれてあることだろう。だけど、赤城祥子さんのような若い世代では、着物を着ることはほとんど無いし、着物の事を知識として知っている人に出会う確率も低い。かといって、着物屋がそういう事を教えてくれるかというと、そんなことも知らないのかと笑いものにさせられる着物屋もあるし、逆に売上ばかり優先してやたらな口実を付けられて派手な着物を勧められることもある。だから、日本人は宗教的な考えが少ないと言うか、髪をバカにしているという外国人が出ても不思議はないのだ。

「わかりました。じゃあおじさん、本尊さんの前では、どういう着物を着ていけば良いのか教えてください。」

祥子さんは素直にそういった。

「はい、そうですね。仏教では、なにもないこと、つまり無が尊ばれますから、柄の何もない色無地の着物とか、柄があるけれど遠目からでは、ないように見える鮫小紋などが一番だと思います。色は、紫が一番良いのですが、紫ですと、和尚様の着物と同格になってしまうので、紺やモスグリーンなどが良いのではないでしょうか?墨の汚れを防ぐという意味でも効果的です。」

カールさんが説明すると、彼女は納得したような顔をして、

「わかりました、ただ私としましては、柄が全くないというのは少々老けすぎているというか、そんな気がしてしまうので、鮫小紋でお願いします。」

と言ってくれた。カールさんはわかりましたとにこやかなかおをして、

「じゃあこちらの鮫小紋はいかがでしょう。一越の、全く光らない生地の鮫小紋です。色は紺色なので、割と落ち着いた演出ができますよ。あ、それから、注意点ですが、鮫小紋はあくまでも慶事に使う着物ですから、喪服として使用はしないでくださいね。なので写経会には着用してもいいですけれど、法事や葬儀などでは使用しないでください。それはルールとしてあることなので、忘れないでくださいね。」

と紺色の鮫小紋を彼女に見せた。鮫小紋というのは、とても小さな点を、円盤のような形に集めさせた日本独自の柄であった。

「これを女性が着るということは、魔除けの意味があるのです。まあ言ってみれば、悪い虫がつかないようにという意味でもあります。」

カールさんがそう言うと、

「それから、袋帯を締めれば礼装用として、結婚式などにも使えるが、名古屋帯を使えば、食事会などの外出着としても使えるぞ。そういうわけで、一度は持っておきたい着物だよね。鮫小紋は。」

と杉ちゃんが付け加えた。祥子さんは、

「写経会に行くにはどっちの帯を締めれば良いのですか?」

と、とても素直に聞いてきた。

「うーんそうだねえ。少なくとも、普段着で行く用事じゃないでしょ。名古屋帯は普段遣いの帯だし、袋帯は、しっかり着ていきたいときに使う帯だよな。だから、どっちだ?」

「そうか。そういうふうに考えれば良いのか。そういうことなら、袋帯ですね。袋帯って確か、お太鼓を結ばないで全部同じ太さになっている帯ですよね?」

彼女は、直ぐ答えた。そういうところからも、着物を着ようとしてくれている女性だと杉ちゃんたちは思った。

「ええ、そういうことなんですよ。それで、帯も、本尊さんがいるわけですから、控えめなところがあったほうがいいと思うんですね。だから割りとでしゃばりすぎない袋帯が良いと思うんです。もし、帯が締められない場合は、作り帯にしてしまって全然構いませんよ。最近は作り帯を作ってみようという本も発売されていますから、それで作ってみても良いんじゃないですかね?」

とカールさんは直ぐに言った。

「わかりました。じゃあ、ここの、1000円コーナーというところにある帯で、こちらの袋帯ではだめでしょうか?これは光っているところは無いし。」

と、彼女は、かごの中に入っていた、袋帯を取り出した。菊の花がきれいに刺繍された、大きな花がらを刺繍してある、ピンクの袋帯であった。

「それはいいですね。その鮫小紋の着物と十分わかりあえます。」

カールさんが言うと、

「じゃあ、この着物と帯で写経会に行きます!良かったです。着物で行ってみたいと思ったんですが、やっと自身持って着られる着物ができました。嬉しいです。」

と、赤城祥子さんは、にこやかに笑った。

「はい、わかりました。お値段は、うちの着物はリサイクル着物ですから、着物が2000円で、帯が1000円で大丈夫です。合計、税込みで三千円です。」

と、カールさんが言うと、

「そ、それでいいんですか?」

と、祥子さんは、驚いた顔をした。

「はい、構いません。リサイクル着物はそのくらいしか、値段が付けられないんですよ。何しろ、需要が無いものですからね。」

カールさんがそう言うと、彼女は、わかりましたと言って、三千円を、カールさんに渡した。

「こんなきれいな着物なのに三千円なんですか。なんだかちょっと悲しいですね。なんでそんな値段しかつかないんだろ。」

「まあねえ。需要がないというか、着物着る人、めったにいないですからね。なにか訳アリの人ばかりでしょう。そういう人が入手しやすいこともあるんじゃないのでしょうか。リサイクル着物というのは、そういう人のためのビジネスでもあるんだそうです。」

ジョチさんは、経営者らしく、そういう事を言った。

「まあいいじゃないですか。じゃあ、領収書を持っていってください。よろしくお願いします。」

と、カールさんが、赤城祥子さんに、領収書を渡した。

「ありがとうございます。これで私は、自身持って写経会にいけますね。着物代官とか、着物ポリスとか、そういう、直ぐに注意をしたがる人もいるようですけど、それもこれで撃退できるかな。」

「そうですねえ、着物警察はいろんなところにいますけど、結局のところ、強い意志が大事なんじゃ無いかなと思いますね。それは、やっぱり、一番大事なことだと思います。」

と、ジョチさんは、カールさんの代わりに言った。彼女は、カールさんに畳んでもらった着物と帯を受け取って、

「ありがとうございます。また、なにかあったら、相談に来ます。」

と、にこやかに笑って、店を出ていった。

それから、数日が経って。またカールさんの経営している増田呉服店は、やってくるのはインターネットでの注文ばかりで来店するお客はほとんどいなかったが、それでも毎日は過ぎていった。

また、カールさんの店のドアについているザフィアチャイムがカランコロンとなった。

「はいいいらっしゃいませ。」

カールさんは、いつもと変わらずそういったのであるが、

「あの、息子の保育園への入園式に着物を着たいんですけど、その時の着物ってありますか?」

と、一人の女性がカールさんの店にやってきた。

「ああ、式典に着たいと言うなら、訪問着とか、江戸小紋とか、そういうものがいいですね。そうなりますと、こちらの着物などよろしいのでは無いですか?」

と、カールさんは言ったのであるが、女性はそれを無視して、

「こちらの御着物で行ってはだめでしょうか?」

と、一枚の派手な着物を勝手に取り出した。

「そうですね。こちらは京小紋です。礼装にはなりません。式典に使うのであれば、色無地とか、江戸小紋が適しています。それは、どこの地域でも同じです。なので、それをおすすめします。」

と、カールさんが言うと、

「どうして、色無地でなければだめなんですか?全く柄のない着物なんて、地味でつまらないじゃないですか。折角の式典ですもの。派手な格好をしていいと思うのが普通ではありませんか?」

と女性は聞いた。

「今の時代、何でもありなんですから、何をきたっていいのではないかと思うのですけど?それは違いますか?それに昔のように、何でもルールにあわせなければならないってことはもう無いでしょう?」

「いやあどうですかねえ。ちゃんとルールということはあると思いますよ。それは、日本の伝統文化というか、そういうふうに決まっていたんですから。やっぱり守らなければならないんじゃないかな。いくら、ある程度自由になったからと言ってもね。自由を履き違えちゃだめですよね。それは、しっかり考える必要はあるのではないかと思うんですよね。」

カールさんはそう女性に言った。

「では、こういうかわいいものを着ては行けないと言うのですか?だって着物を着る機会なんてそうはないんですから、何を選んだっていいでしょう?」

女性がそう言うと、

「いや。逆にめったに着る機会が無いものだからこそ、着物というものは、格付けとか、そういうものが厳しいのではないかと思いますよ。だから、式典に出るときは、それ用の着物を着る。カジュアルに着るときにはカジュアルな着物を着る。これは、洋服でも同じじゃないですか。例えば、入学式のような式典に、ジャージで行く人はいませんよね。着物だってそれと同じことをするわけですよ。それと同じ感覚で選んでいただかないと困ります。」

とカールさんは、自分なりに着物を格付けの理由を言った。それは理解してもらえるかどうか、非常に難しいところもあったが、カールさんはそこは伝えて置かなければだめなのではないかと思った。

「着物なんて、今の時代は洋服さえあればいいと考えるひとばかりの時代です。だから、そういうときにどうやって残っていくかを考えると、やっぱり格付けなるものは必要なのではないかと思うのです。」

「そうなんですか。着物というものは自分の個性とか、自分の考え方とか、そういうものを表現するものではないのですか?」

女性は、カールさんにそう聞いた。

「いえ、日本の文化では、そういうものはなかなか無いですよね。でもそれが、すごいことなんじゃないかなと思いますよ。僕もイスラエルから来て、着物は個性的では無いことにびっくりしましたけれど、着物は相手への敬意を何よりも大事にするから、格というものが発生するんだと思うんですね。それは、イスラエルにはなかった世界だから、僕も着物屋をやろうと思ったんです。相手に対して、自分がどれくらい敬意を示しているのか。それを表現するために、あえて、礼装のときに地味な格好をするのではないかと思うのですよね。だからこそ、色無地とか、そういうものが亡くならないんだと思いますよ。」

カールさんは、そういった。本来であればこれは日本人が教えることだと思うのだが、今どきそういう事を言える日本人は少ないのではないかと思う。日本人は、そういうところが、本当に鈍感と言うかむとんちゃくすぎる。そして、変な方向に向かっているような気がする。

「そうですか、やっぱり私は、洋服のほうがいいのかしらね。」

女性は、御免遊ばせと言って、カールさんの店を出ていった。

寂しくザフィアチャイムがカランコロンとなった。





  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

色無地と江戸小紋 増田朋美 @masubuchi4996

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る