内見から始まってしまいそう

今どきの地縛霊ってラフだな

「それでまあ、俺はここから出られないんだよね」


 目の前の男、亀山が、は〜あ、とため息をつく。なるほど、と納得はしてみたが、亀山は不思議そう、というよりヘンテコなものを見ているように、まだ幼さが残る顔をしかめた。見た感じ大学3年生といったところだろうか。成人はしている、ように見える。


「お兄さんじーっと見るね」


「あ、すみません」


「いや良いんだけど珍しいからさ」


 珍しい、確かにそうかもしれない。25年生きてきて、こんな状況は初めてだ。改めて周りを見回すと、さっきまで内見していたいた部屋に相違ない。ただ、時間が止まったかのようになんの音もしない。外の風の音も、車の音も、自分が床を踏んで歩く音ですら、何も音がしなかった。


 亀山が、よいしょ、と呟き立ち上がる。身長は俺より15cmくらい低いだろうか。色の抜け始めた金髪を見下ろすと、怪訝そうな顔と目が合う。


「お兄さんさ、本当に今この状況理解してる?」


「まあ……大体は」


「普通、地縛霊と謎の空間に閉じ込められたら腰抜かすか逃げ出すと思うんだけど」


「そうなんですかね」


「少なくとも今まで内見に来たハゲのおっさんとバンドマンはそうだったよ」


 2人しか内見に来ていないということは、比較的新しい霊なのだろうか、と目の前の自称地縛霊を見て思う。腰に手を当て、まだ怪訝そうな顔のままこちらをじろりと見ているが、圧はない。寒気もしない。映画で見た霊ってもっと……なんというかおどろおどろしいような気がしたのだが、最近の霊はこのくらいラフなのだろうか。


「ていうかお兄さんはなんでここに内見来たの?最初に事故物件って言われたでしょ、ここ。安いから?」


 それしかないか、と金髪がそっぽを向く。着ているカーキ色の上着も、やや腰で履いているジーパンも、破れたり汚れたりはしていない。事故物件、と言葉にされて改めて、ああそうかここが事故物件だという話だったな、と思い出した。



 このアパートに内見に来た理由は、昨日突然思い立ったから、という理由だけではもちろんないが、早急に引越し先を見つけなければならないことは確かだった。比較的職場から近くて家賃もそこそこで、近くにスーパーとジムがあればなお良い。そんな条件で部屋を探していたときに見つけたのが、このアパートだった。


 駅近築20年リフォーム済み、バストイレ別の3階角部屋。1Kだがまあまあ広さも合ってスーパーも近い。そして、都心の、しかもそこそこ栄えた駅の近くなのに何故か家賃が35,000円という破格。なにかあるなと思いつつ、なるべく節約もしたかったこともあり、ここ、良いですね、と口をついて出ていた。あの時の不動産屋の顔、引きつっていたな。「事故物件……なんですけどね……」と、なにかに怯えるように伝えてきた。


 昔から霊的な何かをそこまで信じているわけでもないし、まあとりあえず見てみるかとその事故物件へ連れて行ってもらうことにして、車に乗り込んだ。運転してくれた担当の吉見さん、突然テンションが上がってたけど、あれはよっしゃ事故物件片付いた、なのか、行くの嫌だけどテンション上げないとやってられない、なのかどちらだろう。あとでクレーム来たり即解約だったら面倒だな、の線もあるか。


 どっしりしたコンクリの階段を上がり、エレベーターはないけど、この広さなら新しく大きめの冷蔵庫を買っても搬入とかも大丈夫そうだなとなんとなく確認する。緑色のドアを開けて部屋に入ると、事故物件、というのでもっとひんやり暗い空間を想像したが、午前中の光が差し込んで暑いくらいだった。事故が何なのかはわからないけど、本当に人が死んだのかと疑うくらい、眩しい。


「こちらが収納になります」


 キッチン、風呂、トイレと見て回り、なんとなく緊張感のある吉見さんの声に導かれてウォークインクローゼットを覗く。なるほどまあまあ広いな、と中に足を踏み入れた瞬間、目の前がパッパッと白く点滅して、反射的に目を閉じ、開けたら音が消えていた。


「……え?」


 今の今まで1Kの部屋を見ていたはず。担当の吉見さんも後ろにいる。……いるけど、固まっている……?ぎこちない笑顔を貼りつけたまま、クローゼットを開けた時の両手を開いた姿勢で蝋人形のように固まっている。かなり陽気な姿勢だなと思った。


「吉見さん」


 肩を叩くと、コンコン、と人体からするような音ではない音がした。それこそ陶器を叩いているような。吉見さん、肩に固いパッドとか入れていたりしないよな?内見ドッキリキャンペーンとかやっているのか?と一応ぐるりと見てみたが、本当に人形のように固まったまま動かない。息もしていないが、生きているのだろうか。


 とにかく状況を把握しなければ、と目を擦った一瞬、今までそこにいなかったはずの人間の男と、灰色の布団がかかったこたつが、部屋のど真ん中にぬっ、と現れた。思わず、え、と声が出る。机の上にはみかんが乗っていて、おもわず実家、とテロップが出るのを連想した。おかしい。突然実家が現れるわけがない。じり、と後ろに1歩下がると、男は細いツリ目をこちらに向けて、どぉもぉ、と気の抜けた挨拶と共に手を上げた。


「お兄さん内見に来た人?」


「……そうですが」


「普通に会話して良い?」


「その前にこれはどういう状況ですか」


「普通にお兄さんが内見してた部屋だよ。ちょっと時が止まってるだけ」


 まあこたつ入りな、と男が手招きをする。ツリ目をキューッと細め、愛想の良さそう、とたぶん本人は思っているであろう笑顔を作った。当然得体のしれないこたつに入る気にはなれないので断った。時が止まっている、ということは、吉見さんは生きているのだろうか。


「あのさ、ここ事故物件なのね」


「ああそれは」


 聞きました、と答えると男が頷く。それで、と続きを話し始めた。


「そんで、ここで起こったのは殺人事件」


「殺人……」


「で、俺はその被害者ね」


「……被害者?」


「そう。俺死んでんの。地縛霊」


 地縛霊。地縛霊って、なんだっけ。目の前の男は透けてもいないし普通に会話が成立しているし、足は……こたつの中なのでわからないが、ただの人間に見える。地縛霊というからには、霊なのではないか。ちょっと混乱してきた。


「お兄さん、大丈夫?」


「なんとか」


「全然顔変わんないね」


「よく言われます」


「ふ〜ん」


 ふ〜ん、のあとに疑問符が付きそうな、納得のいっていない返事が返ってくる。つい最近まで付き合っていた、元彼女の由佳ゆかが機嫌の悪いときにする返事に似ているな、と思ってすぐに浮かんだ顔をかき消す。まあいいや、と男が話を続けた。


「でさ、俺、殺されたとき未練があってさ」


「未練が」


「そうそう。俺ね、恋人いたことなくて」


「はあ」


「だから、大学入って色々頑張ってさ。その日はレポートのわかんないとこ教えたげるってリナちゃんを家に呼んでたわけ」


「リナさんを家に」


「そしたらピンポーンつってはいは〜いって出るじゃん?それでいきなりグサーだよ?グサー」


「グサーというのは包丁で?リナさんが?」


「いやいやリナちゃんの彼氏ね」


「彼氏がいたんですか」


「そう。俺知らなくてさ〜!つってもなんにもしてないよ?でもその彼氏かなり愛が重くて、俺の女に手出してんじゃねえ系だったってわけよ。亀山てめえ!ぶっ殺す!ってね」


「それでグサーと」


「お腹をね。はい死んだ、って感じ」


 話の終わりに、男は昔見たアメリカンコメディのようにやれやれと両手を上げて首を振った。話の流れからすると、この男は亀山というらしい。それはともかく自分が殺された話をこんなにスラスラ話せるものなのだろうか。


「亀山さんは、その彼氏を呪い殺したくて地縛霊になったんですか?」


 地縛霊の地縛霊になった理由を普通に疑問として本人に聞いている状況、謎ではあるが単純に気にはなる。この部屋で起こったという殺人事件の顛末に、さぞかし強い恨みがあったのだろうと少し同情した。しかし、亀山はこちらの問いに対して本当に不思議そう、というかああそうかそういう考え方もあったな、というような顔をして答える。


「え?ああ違うっぽいんだよねなんか。彼氏がいる女の子に手を出しちゃったのは俺が悪いし、別に彼氏のこともリナちゃんのことも恨んでないよ」


「じゃあ何故」


「う〜ん……死んでからちょっと考えてみたんだけど、単純に俺さ」


「はい」


「恋人ができたことないのが未練なんじゃないかなって」


 たぶんね、と、特に面白くはないが亀山は笑った。擬音をつけるとしたらてへへ、みたいな笑い方だった。全然てへへではないし、何故リナとその彼氏を恨んでいないのか自分には理解しかねるが、嘘は言っていないようだった。恨みとか、怒りとか、そういった感情を隠しているようには見えない。会って体感5分程度しか経っていないが、亀山は感情がわかりやすい地縛霊のようだ。生前もそうだったのかもしれない。


「それで、その未練をはらさないと成仏できないっぽくて」


「それは誰かに聞いたんですか」


「いや?地縛霊のカン?みたいな?」


「はあ……」


「とにかく、俺には未練がある。で、それをはらさないと成仏できない」


「まあそれはなんとなく……」


「でも、この部屋で死んだから未練がここにとどまってる的な感じでさ」


「この状況はどうやってるんですか?」


「え、わかんない。誰かが来たら、時よ止まれーってやってる」


「じゃああなたの姿が俺や他の内見をしに来た人間に見えているのは」


「え~?なんでだろ?見えろって念じてる……のかな無意識に」


 なんだか話がふわふわしてきたところで、話は冒頭に戻るのであった。



 ここから出られない、というのは地縛霊の習性的にありえるのかもしれない。確か地縛霊というのは、1つの場所に怨念や恨み、思い残したことがあってそこに留まる霊の事だったはず。夏にたまたま見た心霊番組の知識が実際に役に立つ日が来ようとは。


 そうなると亀山は、この部屋に思い入れがあることになる。さっきのふわふわした説明から考えると、リナとやらを呼んで勉強会、あわよくばいい仲に……なんて考えていたのがこの部屋で、そのまま死んでしまったからここに地縛霊として縛られているということになるのか。亀山自身もよくわかっていない風ではあるが、内見に来た人間にこうして話しかけていることから、部屋から出られないというのは試したけどダメだった、ということだろう。


 その地縛霊、亀山の方をちらりと見ると、こたつの布団にくるまろうとしているところだった。あ~さむ、と上着の袖を引っ張っている。


「ここ事故物件で安いから内見に来るって人まあまあいてさ、その度にこうやって話してんの。お兄さんで3人目」


「地縛霊でも寒いとかあるんですか」


「今そこじゃなくない?」


 初めて地縛霊にツッコまれるという経験をした。死んでいる、ということを除けば亀山は良いやつで愉快なやつのようだった。幼い顔に似合わない金髪が、なんだかやけに少年のように見えてくる。


 しかしこちらもずっとこの状況に甘んじているわけにはいかない。仕事もあるし、クローゼットの前で未だ面白い蝋人形になったままの吉見さんのことも気がかりだし、なにより時が止まった部屋に長いこといて自分がどうなるのか想像がつかなくて少し恐ろしい。浦島太郎のようになったりしないだろうか。こたつに入った亀山を見下ろす。


「話す、ということは協力してほしいということですよね」


「おっ、お兄さん話が早いね」


 内見に来た人間に時を止めて身の上話をする、しかも成仏したいとくれば、自分にできない何かを手伝ってほしいということだ。今まで来た人たちはおそらく断ったのだろう。亀山は怨霊ではなさそうなので殺したりはしていないと思うが、ここまで話を聞いていてはいさようならはちょっと薄情では、と思ってしまった。たぶんこれは、先週の出来事があったからだ。


「恋人がほしいんだよねやっぱ」


 亀山が、またてへへ笑いをして頭を掻く。


「デートとか、食事作ったりとか、手を繋いだりとか、やってみたかったしさ」


 中学生のような恋愛観だ。今どきの大学生は進んでいるものと思っていたが、亀山に関してはそうでもないらしい。手を、繋いだり。なるほど。由佳ともあまりしたことはなかったかもしれない。できるかな、と考える。たぶんできる。そして、それしかこの悲しく優しい地縛霊を成仏させる術はない。大きく息を吸い、意を決する、ということを人生で初めてした。


「じゃあ、俺としましょう」


「……は?」


 しん、と部屋に沈黙が流れる。思っていた通りの反応だが、思ったより顔が面白い。実家の猫が驚いて目を見開いた時のような顔だ。


「え、なに……?」


「恋人。俺としましょう」


「待って、お兄さん俺のこと好きなの?」


「いえ特に」


「なんなの?」


 こたつがガタガタ揺れる。やはり音はしなかったが激しく揺れていることは目で見てわかる。変な状態だ。亀山の動揺によって時空が歪むとかそういうのでなくて良かった。しかしこたつはかなり揺れている。亀山が怯えた目でこちらを見ていた。地縛霊に怯えられるのも初めての経験だ。


「成仏に協力します」


「協力って、ここに女の子を連れてきてくれるとかそういうんじゃないの?恋人体験させて成仏、みたいなさ」


「地縛霊のもとに女性を連れてくるなんていう非道な行いができると思いますか。しかも、その地縛霊と恋人ごっこしてください、なんて言えますか」


「それは……まあ……無理かもだけど……」


「じゃあ現状亀山さんとこうして話せる俺しかいないですよね」


「いやそうかな!?お兄さんがここ契約しなかったら次の内見に来る人女の子かもしれないじゃん!俺女の子が好きだし!」


「俺もです」


「なんなの!?」


 自分でもおかしなことを言っていると思う。由佳に振られて、頭がおかしくなったのかもしれない。でも、自暴自棄、とはまた違う、この男を救ってやらねば、という謎の使命感のようなものが胸のうちにあることもわかる。


「別にお願い断っても部屋契約しなくても殺したりしないし普通に時間戻すよ?」


「わかってます」


 1歩、2歩、亀山の座るこたつに近づく。わかりやすいほど大揺れするこたつの上で、みかんが激しく踊っていた。金髪の前まで来てゆっくりかがみこみ、目線を合わせる。


「先週、彼女にこっぴどく振られまして」


「はあ?」


「あなたじゃなくても代わりはいるの、と」


「……え?」


「5股されてました」


「それはまた……」


「同棲していた部屋、まあ彼女にとっては帰る場所の1つでしかなかったわけですが。そこには本命の彼氏と住むから出て行けと言われて」


「なにそれかわいそう」


「で、荷物をまとめて部屋を出る、本当に最後の去り際に突然、あなたは恋がわかってない。つまらない。と言われたんです」


「はあ……?」


「悔しいじゃないですか」


 自分で思っているより悔しかったらしい。気付くと拳を強く握りしめていて、それに怯えた亀山が、ヒッと声を上げた。恋がわかってたら5股するのか?そんな恋ならわかりたくない。俺は、正しい恋をわかりたい。


「俺、柳壮馬やなぎそうまといいます。会社員。趣味は筋トレです」


 地縛霊の未練をはらすため、自分の恋を理解するため、なんだって良い。由佳を忘れて、次に進むきっかけにしたい。それが男か女か、人間か地縛霊かなんて些細な問題だ。


「恋人ごっこ、やりましょう」


 逃げられなくなったのは、自分か、状況を飲み込めていない金髪の地縛霊か。とりあえず時間が動き出したら吉見さんと話をして、すぐにでもここを契約しよう。

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