第61話 旅の心得
「みんな、待っててくれたんだ」
「おなじ顔した奴がまたくるって話を通しておかないと、お前が《回廊》の係員に止められちまうからな」
半ば呆れたような美凪の顔を、おれはまともに見られなかった。
「そ、そうなんだ……ごめん」
2時間後、おれはふたたび幻界の土を踏んでいた。
工房にあったスペアの人形に魂を移し直してもらい、取るものもとりあえずやってきたのだ。
用意周到なモルテとフィラトには感謝してもしきれない。
2度目の《回廊》越えは、やっぱり怖かったけど、そんなことを言っている場合ではなかった。
「人形師のねーちゃんは怒ってたか?」
「そりゃもう、見たことないくらい怒ってたよ。人ってあんなに早口で罵倒語を並べ立てられるんだなって……」
作品は芸術家にとって我が子のようなもの、と考えると、フィラトの怒りももっともだった。
「モルテにも申し訳ないことしちゃったな。またスペアを作るから、その代金も請求するって」
「人形の身体って、やっぱり高いのか?」
「思ってたよりケタがひとつちがったよ。まあ、働いて返すつもりだけど……」
「おいおい、旅は始まったばかりだぞ。最初からそんな暗い顔でどうする」
美凪は励ますつもりでおれの背中をバンバン叩いたが、いろいろな意味で泣きそうだ。
「結局あのドラゴンはなんだったの?」
「近隣の牧場で飼育されていた、食肉用の地竜が脱走したんだと。まあ、不幸な事故だな」
「そんなものまで飼ってるんだ……」
「トンバのドラゴンステーキは絶品だぞ。値段は張るが、一度は食べてみるべきだ」
トンバというのは、おれたちがいまいる国の名で、オッサリオはその首都である。
国民の多くをエルフと人間が占める古い国だが、他にも様々な種族が共存している。
歴史と伝統を重んじる気風で、魔法や学術の研究も盛んだという。
「ふむふむ。これが兄さんマークⅡ、いやⅢか……」
陸が顔を近づけて、いろいろな角度から、おれを仔細に観察した。
「前の身体と変わんないね。スペックも同じなのかな?」
「うん。フィラトさんはそう言ってた」
「モルテお姉ちゃんがどういうつもりでこれを用意させてたかって考えると、ちょっと怖いね」
え、やだ。考えたくない。
た、たぶんだけど、そんな深い意味はないと思うぞ、妹よ。
ともあれ、ドラゴンに踏み潰されたのは、どう考えてもおれの落ち度だった。
美凪も言っていた通り、のんびり旅をするくらいの心持ちでちょうどいいのかもしれない。
そう思うと、景色を愉しむ余裕も生まれてくる。
行ったことはないが、この辺りはヨーロッパの田舎に近いようすで、ときどき見たこともない動植物が目に付いた。
行き交う人々も、半数以上は人間で、それ以外はオークやドワーフ、獣人といったところっで、これらの種族は人界でもその辺を歩いている。
「歩きながら聞いてくれ」
先頭を行く美凪が言った。
「幻界を旅するうえで、もっとも大切なことはなんだと思う?」
「大切なこと?」
おれは陸と顔を見合わせる。
それからプラスィノにも目線で訊ねたが、「はて?」というように首をかしげるばかりだ。
「それはな……挨拶だ」
「挨拶って、幼稚園児じゃないんだから」
呆れ顔をする陸に、美凪は「チッチッ」と人差し指を振ってみせた。
「この大陸にはいくつもの国が存在し、人種も種族も多種多様だ。当然、TPOに応じて挨拶も様々なワケだ。そうなると、初対面の相手への挨拶は極めて重要になってくる」
「理屈はわからなくもないけど、そんな大げさに言うほどのことなの?」
「甘いぜ嬢ちゃん」
「腹立つ言い方……」
「初めて見る顔。言葉も通じず、なにを考えているかもわからず、向こうから歩み寄るつもりもない……そんな奴、お近づきになりたくないだろう? 挨拶は、そこを解きほぐす第一歩。つまり、挨拶すらできん奴は、蛮族と見做される」
途中までおどけた口調で説明していた美凪だったが、最後のひと言を口にするとき、脅しつけるように声のトーンを落とした。
「こっちの世界は、隣人が敵だった歴史も長い。古臭い考えとバカにせず、真剣に実践することをおススメするぜ」
その後は、美凪先生による各種挨拶講座に移行した。
「エルフには胸に右手をあてておじぎ、これは貴人相手にも使える。ドワーフにはこぶしを突き出す。コボルトには両手を広げてなにも持ってないことをアピールする。オークには歯をむき出してシーシー言うのが一般的だけど、コイツを獣人に対してやるのはNGだ。オーガなんかは、出会い頭にお互いの顔をブン殴るらしいぞ」
「はー……いろいろあるんだな」
「ま、その都度私が最初にやってみせるから、基本それを真似すればいいんだが」
「それだと姉さんがいないときに外を出歩けないだろ。がんばって覚えるよ」
「向上心があるのはいいことだな。じゃあ、ほぼ全種族に対して使える共通の挨拶を教えてやろう」
「そんな便利なのがあるなら最初から言ってよ」
「そう言うな。種族固有の挨拶をしたほうが信頼を得やすいんだぞ」
両手をブラブラさせつつ「んじゃ、見てろー」と気怠げな宣言の後、美凪は片手を挙げた。
「Hi!」
「は?」
「聞き取れなかったか? じゃあもっかい――Hi!」
「いや、だから、なんで英語?」
「たまたまだろ。シンプルなほうが一般化しやすいってのもあるだろうし」
不可解だ。
ここって異世界だよな?
「カーテシーに似たのもあるぞ。ほら、昔のイギリスが舞台の映画なんかで女の子がやってる、片足を引いてもう一方のひざを曲げるやつ」
「そうなのか。もっと古い時代にも、人界の人間がこっちに来てたりしたのかな?」
「どうだろうな。それから、これは絶対に使っちゃいけないってヤツも、いちおう教えとく」
「なにそれ怖い。いいよ、教わらなくても」
「偶然が重なって、たまたまそういうポーズになることもあるだろ。見られるとマズいから口で説明するとだな……まず、両手を顔の横に持ってくる」
「ふむふむ」
「それから、Vサインをふたつ作る」
「うん?」
「最後に、上目遣いになって口をだらしなくひらく。このとき、頬が赤く染まっているよりバッドだ」
「待て待て」
これはその……アレだよな?
陸もいるから、口には出さないけども。
いわゆるエッチな漫画でたまに見るヤツだろ。
繰り返すが、兄さんなんでソレ知ってるの? とか訊かれたら、おれもダメージ受けるから言わないけども!
「冗談だよね?」
「冗談なもんか。これをやったらその場でブチ殺されることもあるから、絶対にするんじゃないぞ」
「するか!」
思わずツッコんでしまった。
久々にこんな大声出したな……
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