第62話 最初の町
幻界と人界の共通点は多い。
太陽と月がひとつずつあることや、1日が24時間で1年が365日であることあたりがわかりやすい例だろう。
おれが元いた世界と人界がそうであるように、幻界と人界もコインの表と裏のような関係で、共通の宇宙のルールに縛られているのかもしれない。
おれにもっと時間があれば、そのあたりの研究をしてみるのも面白そうだ。
西の空に太陽が沈みかける頃、おれたちは最初の町に着いた。
ボッカという名のその町は、かつてはこれといった特長もない田舎の村だったが、近くに《回廊》がひらき、日本大使館が置かれると、人界からやってきた異世界人相手に商売しようという者が集まり、急速な成長を遂げたのだそうだ。
「それじゃあ、私は大使館に顔を出してくる。いろいろと書類を提出しなくちゃならんからな」
美凪が言った。
幻界では電子機器が使えない。
なんと、マナが悪影響を与えるせいなのだという。
そのため事務手続きには基本的に、手書きの書類が必要になる。
「うう……おれがいきなり事故ったりしたから、余計な仕事が増えたよね?」
「それなんだが、牧場主との交渉で、壊れた人形の代金を弁償してもらえることになった」
「え?」
「喜べ! 当面は旅費に困らないぞ」
う、うわーい……?
それなら、ドラゴンに踏み潰された甲斐もあったというものだね。
「いや待て。そのお金はまずおれが受け取って、それからフィラトさんに渡すべきでは?」
「細かいことはいいんだよ。これで各地の名物食い放題だ!」
「イエーッ!」
「た……楽しみですぅ」
陸とプラスィノも美凪に同調してこぶしを突き上げる。
くそぅ! それでさっき値段を確認したのか。
そんなこんなで、今日の宿を決めたあと、美凪を待つついでにおれたちは町へ散策に出た。
中央広場では市がひらかれており、色とりどりのテントの前に、見たこともないような品々が並んでいた。
「ねね、兄さん! あれなんだろう?」
「わあ、見てよあの屋台。美味しそうだよ、買っていこうよ」
「あははは! なにこのお面。歯がイーッてなってる。イーッて」
陸は見るものすべてに目を輝かせ、まるで子供のように店と店とをいったりきたりした。
その際、おれも手を引かれてあっちへいったりこっちへいったりするので、1時間もする頃には疲労で目が回り出した。
「ま……待ってください……」
それについていくプラスィノも、青い顔をますます青くしている。
やはりというかなんというか、人混みが苦手らしい。
昼間であればまたちがったのだろうが、夕方では彼女の元気も半減だ。
「陸、もうちょっとゆっくり」
おれに言われて、陸もようやく気がついた。
「ごめん。わたし、はしやぎすぎてたかも」
「“かも”じゃなくて、めちゃくちゃはしゃいでたな」
おれが笑うと、陸は顔を真っ赤にした。
うんうん。兄としては、妹のこうした無邪気な姿に喜びを覚えるのだが、あまり言うとヘソを曲げてしまうだろうから、このくらいにしておこう。
ちなみに、美凪が教えてくれた挨拶については最初、半信半疑だったのだが、皆気軽に「Hi!」「Hi!」と言い合っていた。
試しに使ってみたところ、ふつうに通じたのは割と感動だった。
辺りが暗くなり、商人たちが店じまいをはじめたので、おれたちも宿にもどることにした。
店内はすでに、仕事終わりの職人や旅人、ご近所さんと思われるお年寄りなどでいっぱいになっており、おれたちはなんとか、隅っこに残っていたテーブル席を確保した。
「メニューは置いてないんだね。なにを注文したらいいのかな?」
「酒はダメだからな」
「わかってるよ、兄さん」
とりあえず、周囲の客が食べているもので、美味しそうなものをいくつか頼もうということになり、手をあげて給仕さんを呼んだ。
「お待たせしました。なにをご注文ですか?」
やってきたのは明らかに子供とわかる、猫獣人の女の子だった。
エプロンは真っ白だが、私物と思しき服はかなりの着古しで、あちこちに染みやほつれが見られた。
「ええと……あっちの席の人が食べてる麵料理と、後ろの人が食べてる炒め物を。あと、飲み物は水でいいので」
「き、霧矢さん……この世界のお水はタダじゃありません……きちんと浄化されたものだと、それなりに値が張ります」
「そうなのか……お酒以外でおススメってあります?」
「この時期ですと、ジャシの実ジュースはいかがですか? 地下の氷室で冷やしてあるので美味しいですよ」
「じゃあ、それを3つで」
「かしこまりました!」
猫の給仕さんはとびきりの笑顔で返事すると、厨房に注文を伝えにいった。
「元気な子だな。この宿の娘さんかな?」
「ちがうんじゃない? ここのご主人、人間だったでしょ」
「ま、まあ……人それぞれ、事情はありますから……」
しばらくして、注文した料理と飲み物が運ばれてきた。
人界の料理で喩えると、麺は色んな具材の入ったミートボール・パスタ、炒め物は野菜炒めといったところか。
ジャシの実というのは広場の屋台でも見かけた黄色い果実で、硬い皮の下にみずみずしい果肉が入っている。
出されたジュースは、これを絞って少量の水で割ったものだったが、甘酸っぱく、かつ後味はさっぱりしていて、どんな料理にも合いそうだった。
「どれも美味しいね、兄さん」
「ああ。異世界の味が口に合うか心配だったけど、これなら大丈夫そうだ」
「そ、それにしても遅いですね……美凪さん」
手続きに時間がかかっているのだろうか。
もしかしたら、人形が思ったより高価だったせいで、牧場主がゴネているのかもしれない。
店の入口に目を向けると、さっきの給仕さんが駆け回っているのが見えた。
小さいのによく働くな。
感心して眺めていると、突然その子がつんのめって転倒した。
どうやら、リザードマンの客の尻尾につまづいてしまったようだ。
「なにするんだ、このガキ!」
運の悪いことに、お盆に載せて運んでいたお酒が前に座っていた客にかかってしまった。
服を汚されたそのオークは激昂し、給仕さんの首根っこをつかまえた。
「苦しい……は、放してくださ……」
「お、おい、ガキ相手にやめロ。元はといえバ、オレの尻尾につまづいたからダ」
リザードマンの客が給仕さんを庇ったが、オークの怒りは収まらない。
「うるせェ! コイツを折檻したら、次はテメェだ!」
オークは給仕さんを床に叩きつけようと、頭上に持ち上げた。
これはマズい。
慌てて席を立つ。
横合いからそのオークに近づき、脇腹を押すように蹴りを入れる。
そんなに力を入れたつもりはなかったが、オークは派手に吹っ飛び、別の客のテーブルに突っ込んだ。
「やば」
人形の身体って、こんなにパワーがあるのか。
「なんじゃコラー!」
「スッゾオラー!」
オークの連れと巻き込まれた客が、同時におれに殴りかかってきた。
「兄さん!」
「霧矢さん……!」
「チッ、しょうがねえナ」
陸とプラスィノ、さらには給仕さんを転ばせたリザードマンが加勢に加わる。
これで、ようすを見ていた他の客たちにも火がついた。
血の気の多い連中が次々参戦し、酒場は大乱闘バトルの会場と化したのだった。
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